94 私はもう悪役にしかなれない
それからのことは酷く曖昧で、ほとんど記憶にないけれど。
多分、どこか知らない空間に出て、私は死んでしまったんだと思う。
どれくらいか分からないけれど、私はかなり長い間眠っていたのかな。
暗い、暗い闇の中で一人。
あらゆる感覚が曖昧なまま過ごしてたら……
ふと、目の前に光が差し込んだんだ。
暖色系っていうのかな。
キャンプファイヤーの炎みたいな、暖かい光だったのを覚えてる。
私、ずっと暗闇の中にいたからさ。
その光を見た瞬間、掴まなきゃって、思ったんだ。
光に向けて思い切り左手を伸ばしたら、何かが私の指先に触れて。
小さくて細いその何かを、私は思い切り掴んで手繰り寄せた。
私が強く引いても、それはなかなかこっちに来てくれなくて。
このままじゃ逃げられちゃうって、そう思った。
だから私は、右手を使った。
光るそれをできるだけ引き寄せて、もう片方の手を振り下ろした。
何回か空振りしたみたいだったけど、そのあと強い手ごたえを感じた。
同時に、目の前の光が、一層強くなったように思えて。
これで正解なんだって、そう思った。
だから私は何度も振り下ろした。
その度に目の前の光が大きくなって、私の目の前に広がっていった。
何度も何度も振り下ろしていたら、何かが私の口先に触れて。
その瞬間、少しだけ意識がはっきりして。
「ノエルッ!!!」
そんな叫び声が聞こえた直後に、私の中で何かが弾けたんだ。
◆◇◆◇◆
「ずっと会いたかったよ。あなたを探して、異世界にまで来たんだから」
レーダ・ハイマンがあなたなんだって、確信するのには随分時間がかかったよ。
何せ、意識を取り戻した直後に私、ノエルじゃないってばれちゃったから。
異世界語が理解できてしまうことに混乱して、あれこれミナに尋ねたら、彼女はあからさまに絶望した顔をして、私に対して心を閉ざしたんだ。
「憑依って言うのかな。私はノエルでもあるけど、彼女の人格はもう私の中には無いの」
そりゃあ憑依した直後の頃は、二人分入り混じったような状態だったさ。
赤坂アオイの方が強すぎて、いつの間にか彼女は姿を現さなくなったけど。
私だってできるなら、彼女には消えてほしくなかったさ。
憑依してからしばらくは、ノエルとして振る舞うことも考えたさ。
それでも私の中の彼女はどんどんどんどん薄れて行って、私だけがハイマン家の家族じゃないって、受け入れなきゃいけない時が来たんだよ。
「あなたは随分馴染んだみたいだけど、私はこっちに馴染めなかった」
あなたはきっとうまくやったんだろうね。
実の母親からの信頼も厚ければ、父親からも溺愛されてる。
7歳で離れた場所に住むって言っても許可が出るくらい、信頼だってされてるんだろう。
「知ってる? 私、あなたが今までどこに行ってたのかも知らなかったんだよ? あなたが王都に住もうとしてたってことも、教えてもらえなかったんだよ?」
あなたはさっき「王都に連れて行けなかったのは」って言いかけたよね?
きっとあなたとアーネスは、一緒に王都に住もうとしてたんだよね?
私はそんなこと、何一つ知らずにいたのに。
ミナとダイアーは私を治療院に預けて、家族水入らずで王都へ出かけた。
村が襲撃を受けている間、私は一人で壁の中にいたのに……!
「わかってるよ、私が悪いってことくらい。自業自得だってことくらい……!」
前世で犯した罪に比べれば、今世での仕打ちなんて大したことないって……
私があなたにしたことに比べれば、こんな仕打ちも当たり前だって……
「でもさ。私だって頑張ったじゃん! 3年と、こっちに来てからもう5年だよ!? 8年探し続けたんだから、そろそろ報われてもいいじゃん!!」
道理とか対価とか、贖罪とか恩讐とか、因果応報とかどうでもいいけどさ……
私はもう悪役にしかなれないってことくらい、本当はわかりきってるけどさ……!
「私だって……!」
これだけ頑張ったんだから、せめてこれくらい言う権利あるでしょ……!?
「私だって、あなたと幸せになりたかった!!!」
…………。
アーネスとあなたのこと、浜辺の外からずっと見てたんだ。
随分お似合いに見えたさ。
認めるよ。きっとあなたたちなら幸せになれるだろうって思った。
「……どの口がって、感じかな? 私のこと、責めたいかな? それとも殴り飛ばしたい?」
息を吐き、あなたを見据える。
あなたは何も答えてくれない。
ただ少しだけ俯いて、拳を握りしめて目を合わせてくれない。
「酷いことたくさん言い返したいかな!? それとも酷いことしたいかな!?」
これだけぶちまけたんだ。
あなたにはその権利がある。
私を思い切り殴り飛ばして、言葉でボロボロにする権利がある。
「さあ答えてよ!」
私は大きく腕を開いて、目を見開いてあなたに問う。
包丁を向けてちゃ、消極的な答えしか帰って来ないと思ったから。
拒絶されるならそれでもよかった。
いっその事、今すぐあなたが逃げ出してくれたら全てを終えられるはずだった。
「答えてよッ!! お姉ちゃん!!」
赤坂アオイとノエル・ハイマン。
この手に握った包丁で、二人の私を終わらせられるはずだった。
「……ぇ?」
はずだったのに。
「ごめん」
……あなたは大きく踏み込んだ。
あなたがそうしなければ、私は人生を呪えたはずなのに。
「……どうして」
あなたはどうしてそんなにも強く、私のことを抱きしめるの?




