92 赤坂アオイと彼の消失
正直、興味本位の思い付きの割には、上手くいきすぎてるなって思ったよ。
私がちょっと促しただけで、あなたは休学手続きに署名しちゃって。
そのまま私の家に居つくまでになってくれた。
そういえば、当時のあなたは結構饒舌だったよね。
心の中を全部吐き出してくれるみたいに、次々私に話題をくれた。
それでもそのうち口数が減っていったのは、やっぱり家から出なくなったからかな。
外に出ないと、話題なんて作りようがないもんね。
その代わり、あなたはよく私の話を聞いてくれるようになったじゃない?
あれはすごく楽しかった。私としても、大学であった出来事を帰ったら聞いてもらえるって思うと、随分気が楽に思えたよ。
正直いい事ばかりじゃなかったし、あのグループを抜けてから居心地も随分悪くなったけど。
家に帰ればあなたがいるって……そう思えたから頑張れた。
あなたがやけに自慢げに、近所の美味しいパン屋を教えてくれたのを覚えてるよ。
私がこっそり見に行ってみたら、潰れて駐車場になってたね。
あなたが自信なさそうに、昔見た海外ドラマを見ようって言ったのを覚えてるよ。
期待せずサブスクで見てみたら、二人して寝不足になるくらいハマったよね。
喜びに、哀しみに、楽しげな顔。
あなたが見せてくれた表情、全部全部覚えてたはずなのに。
あなたが怒ったところだけは、思い出せないのはなんでかな。
本当は、わかってるんだ。
ある冬の夕暮れ、無事三年への進級が決まって、二人して初めてお酒を買ってみた日。
夜、私が少し調子に乗って、
「私たち、お似合いのカップルだと思わない?」
って言った時、あなたは即答してくれなかったよね。
それどころか、随分困ったような顔して、
「どちらかと言えば、兄弟みたいに思ってた」
って言ったの。
あれ、ずっと心の奥で根に持ってた。
だってあなた一人っ子だったんでしょ?
私も一人っ子だって知ってたでしょ?
なのにどうして兄弟なのさ。
あなたにとって私は姉か妹か知らないけどさ。
どうして……最後まで寄り添えないみたいに言うんだって、そう思った。
あの日以降、私たちどこかぎこちなくなったよね。
それが私の就活のせいだったのか、すり減るお金のせいだったのかは知らないけどさ。
あの日以来、あなたは何かを怖がってるように見えた。
……なんて、言い方もできるけどさ。
私、実は、気付いてたんだ。
あなたはきっと、誰かを傷つけることを酷く恐れてたんだよね。
あの日、初めて私が怒ったから。
結局仲直りしなかったから、あなたは私を恐れてたんだよね。
何とか内定一つ取って、なんとか卒論書ききって、なんとか大学卒業できて。
本当はその度、その度にあなたと一緒に喜びたかったのに。
私が当然みたいにふるまったから、あなたは遠慮しちゃったんだよね。
私が意地になって強い言葉を使うようになったから、あなたは怖がっていたんだよね。
……そうだったらいいな。
ねえ、あなたはあの時どう思ってたの?
私のことを本当は、どう思ってたの?
本当はわかってた。あなたが私に負い目を感じてたの。
気付いてた。あなたの自信が、どんどん失われていってたの。
知ってたんだ。あなたが無理して彼氏を演じてくれてたの。
全部全部気付いてたのに、あの日、私はあなたを突き放した。
よく考えたらわかったはずなのに、私は貴方が悪いって決めつけた。
話し合うことだってできたはずなのに、一方的に言葉を押し付けた。
明らかにやりすぎだったのに引っ越しの手配まで進めてさ。
あなたのパソコンに残ってた音声ファイル。
後半になるとR指定がつくやつばっかりで、勝手に失望したけどさ。
よくよく見てたら気付けたはずなんだ。
相手役が全部「彼女」だったってことくらい。
あなたが課金してたソーシャルゲーム。
カッコイイ男の子たちが、いっぱい出てくる奴ばっかりだったけどさ。
あれ、明らかに女性向けだったよね。
ひょっとして、隠れて「勉強」してくれてたの?
車の中で雨音を聞いてたら疑問の答えが見えてきて。
忘れ物を取りに戻りたいって、無理言って引き返して貰ったけれど。
気付くのが遅すぎたんだろうね。
マンションの三階、あの窓が開きっぱなしで汚れの浮いたベランダには……
裸足のあなたの足跡だけが、やけに鮮明に残ってた。




