91 赤坂アオイと彼の出会い
覚えてる?
私とあなたって実は、入学式の日に話してたんだよ。
て言っても、その時は本当に少し話しただけ。
入学式後のオリエンテーションで、誰とも話さず、話しかけられず、ただそわそわと落ち着かない様子で座るあなたを、何となく放っておけなくて。
「大丈夫?」
なんて声をかけたら、あなたは驚いて机から消しゴムを落としてたね。
私が拾って見せようとしたら、ずいぶん慌てて屈みこんでさ。
拾って急いで身を起こして、頭を強くぶつけてた。
「だ、大丈夫。ありがとう」
質問しておいてなんだけど、どこが大丈夫なんだろうって思ったよ。
ずいぶん青い顔してたから、寝不足か何かかなって思ってた。
今思えば、あなたは机の上に置いたスマホで、誰かとやり取りしてたんだよね。
あれはきっと、病気のお母さんからのメッセージだったのかな。
思えば一年前期の間、君とはほとんど顔を合わさなかったね。
授業が被ってなかったのか、それとも私が気付いてなかっただけかな。
たまに見るあなたはいつも俯いて、自分の机とにらめっこしてた。
普段、どうやって過ごしてるんだろって、少し不思議だったんだ。
それで、本格的に興味が沸いたのは、後期になってからだった気がする。
金曜五限の必修の後、そわそわしながら教室に残る、あなたの姿を毎週見てた。
あなたはきっと、誰かに話しかけてほしかったんだよね。
一年生の後期なんて、みんな自分のグループを維持するのに必死で、他人のことなんてみちゃいないのにさ。
私の入ってたグループチャットで、こっそり馬鹿にされてたことは話したっけ。
雑談の話題にたまに上がって、へんなあだ名付けて遊ばれてた。
女子のグループなんてそんなものだって、何とも思ってなかったんだけどさ。
まあ、最後は見るに堪えなかったよ。
あの日、最終課題の発表日。
君はいつにも増して青い顔で、プロジェクターの前に立ってた。
知ってる? あなたが最後まで見たがらなかった授業の成績、あなただけS評価だったんだよ?
うちの大学は相対評価だったはずだから、多分間違い無いと思う。
第一、みんな必修授業なんてやる気なかったし、発表用のレジュメを作ってきたのも、あなただけだったしね。
ちゃんとした出来だったからこそ、教授は勿体ないと思ってたんだろうし、私のグループの人達は、重箱の隅をつつくみたいにあなたの振る舞いを貶してた。
私、それで嫌になっちゃって、メッセージアプリ消しちゃったんだ。
その後早めに帰ろうと思ってたら、ラウンジの外にあなたを見つけた。
あなたはスマホを握りしめて、仕切りに何かつぶやいてたよね。
正直かなり怖かったし、愚痴か毒でも吐いてるのかなって、思ってた。
それで、通り過ぎようとしたんだけど、私、見ちゃったんだ。
俯いて、震えながら泣くあなたの顔は、酷く自嘲気に笑ってた。
あの後、向かいの席に座って尋ねたら、あなたは戸惑いつつ、わけを話してくれたよね。
父親が浮気して、母親が病気になって、ついさっき死んだって連絡が来たって。
正直、途切れ途切れで話してくれた事情は、半分も理解できてなかったけど、本当に踏んだり蹴ったりな一年だったんだってことはわかったよ。
「あなたは、どうしてそこまでしてくれるんですか」
あの後、あなたは震えた声でそう言ったよね。
私の「今から家まで送ろうか?」「遠いなら私の家に来る?」なんて甘い言葉につられなかっただけ、あなたは随分偉かったと思うよ。
それでも最後の一言には、耐えられなかったみたいだけど。
私が目を合わせて言ったら、あなたは随分間抜けな声を上げたよね。
「実は、一目惚れだったんだよね」
実はアレ、嘘だったんだ。
本当は、あなたを利用したかっただけ。
一人暮らしの環境で、男を連れ込んでみたかっただけだった。
そうすれば、私の家族への……親への当て付けになると思ってたから。
あなたみたいに、手を差し伸べたらいう事聞いてくれそうな人を見つけて……つい、魔が差しただけなんだよ。
私が帰って荷物をまとめてる間、あなたはずっとそわそわしてたよね。
私がマンションに住んでることにも驚いてたし、どこに身を置けばいいのかわからなくて、膝を抱えてうずくまってた。
「とりあえず、シャワーでも浴びたら?」
私がそう言った瞬間、まるで脅された猫みたいに飛び跳ねて、何勘違いしたのか、顔赤くしたりなかんかしててさ。
「もっと自分を大切にした方がいい」とか「そんなつもりで来たわけじゃない」とか、もっともらしい建前を並べて。
バーカーの袖から真っ白で細い掌を出して、私へ向けて突き出して混乱するあなたを見てたら……私も思わず、妙な気持ちになっちゃって。
「かわいいね」
なんて、私が呟いた瞬間の、君の表情を今でも覚えてる。
羞恥心と、それを塗りつぶしてしまうくらいの困惑で、目をまんまるにしたあなたの顔は、確かに魅力的だったよ。
全然一目惚れじゃなかったけど、そのあとで大好きになったんだ。




