89 その名において宣言する
「霧払う朝焼け!!」
手元の弓を目にも止まらぬ速さで震わせ、次々と光の矢を放っていく。
飛び交う矢がグールの軍勢を貫いて、彼らを光に呑み込んでいく。
ダイアーが本気で戦う姿は、相変わらず憎たらしいほどかっこいい。
でも、俺たちのために戦ってくれているのは、彼だけじゃない。
「春の運び屋!」
歌に合わせて現れた巨大な扇を思い切り振り下ろすリーラント。
若草色のドレスが光の粒子を吹き散らしながら靡いて、爆風のような風が吹く。
浜辺の砂を巻きあげて猛進する渦巻きが、カーブを描きつつ大群を呑み込んでいく。
「流石、歌い手さん方はやることが派手ですね!
そう言うミモレさんは、胸元から抜いたスカーフを拳に巻いて、二人の猛攻からあぶれたグールに、正拳突きをお見舞いしていた。
ぶつかる瞬間に拳が光って、グールの姿が光に飲まれ、消滅する。
スカーフの素材が気になるところだけど、それよりこの人、身のこなしが只者じゃない。
武術の達人めいて砂原を舞い、孤立したグールを次々と打ち倒してかかっている。
「すごい……!」
眼前の光景に目を奪われていたら、ふと、隣からそんな声が聞こえた。
隣には、瞬く光の応酬を眺めるアーネスがいた。
もはや、彼の表情に悲痛さは無く、その赤く潤んだ瞳をどうしようもなく輝かせていて――
「「綺麗だ」」
二人の声が重なって、彼がこちらを向いたのが分かった。
にかっと笑うその表情には、意見が重なったことを喜ぶ意図が見える。
「ふふ」
ひとまずは笑顔を返してやるが……勘違いするなよ、アーネス。
確かに彼らの戦いは美麗だが、俺は彼らに言葉を贈ったわけじゃない。
「やっぱり、アーネスには笑顔が似合うよ」
「え?」
俺は、君に対して言ったんだ。
君の光り輝く君の瞳は、どんな宝石よりも綺麗だ。
……ま、宝石なんて、数えるほどしか見たことないけどな!
気障な考えは脇に置いて、今は俺たちが何をすべきか考えよう。
そうだ、夜神は……夜神は今、何をしている?
「ふむ。正直、想定外ですが……なんのつもりです? 妖精神」
陣地の奥深く見れば、押し寄せるグールの壁の向こうに、何かを見上げる女性が見えた。
ロングの黒髪、そこそこの身長と黒ずくめの不気味な服装。
間違いない、あれが夜神だ。
一方で、夜神見上げる先には、また別の人影が浮いていた。
「なあに、息子たちと、ちょっとした賭けをしてたのさ。あの子が自分の意志で、お前の誘いを拒絶するかどうか」
全身真っ白で、いつか見たフード付きマントを身に着けたその人物は、浜辺の空に浮きながら、夜神と言葉を交わしていた。
あれは妖精神にしてこの国の王、そしてダイアーの父親であるネルレイラ・ハイマンだ。
「結果は見ての通りさ。あの子は、遠くの誰もに望まれたとて、身近な人々と生きることを選んだ」
交わす言葉全てを聞き取れているかどうかはわからない。
アクシーの話が本当なら、彼は夜神の率いる襲撃を、何度も見過ごしていたことになる。
正直、恨んでも良い人物だと思う。思うけど……
「許せよ、夜神。私も息子と遊びたかったんだ」
血のつながりがあるからだろうか。
何故かその、慈愛に満ちたように軽快な声色を憎めない。
一種の恐ろしさ……あるいは怖れを感じさせるほどに、彼の声色は澄んでいる。
「……約束はどうした」
「おや? ですです口調はもういいのかい?」
「どうでもいい。お前に媚びても仕方ない」
対して、夜神の声色は徐々に濁り始めている。
言葉の端々の抑揚が歪んで、声色が怒りに満ちていく。
「私とお前は……確かに約束したはずだ。器の選定が終わるまでの間、我らはお互いに手出しはしないと」
何かがまずい。
部外者の俺が直感できるほどに、彼らの会話は荒み始めている。
アーネスも直感したのだろう。俺の手を強く握っている。
彼も妖精神の姿を視界にとらえて、息をのんで見守っている。
「ああ、それなんだけどさ」
おそらく夜神は今、何かをしようとしているんじゃないか?
そんな疑念が……俺の中にふつふつと渦巻いて……
「もう終わっているはずじゃないか? 約束」
「……え?」
妖精神の一言で、一瞬にして掻き消えた。
夜神がずいぶん間抜けな声を上げたせいで、緊張が解けてしまった。
「器の選定が終わるまでの間、僕らはお互いの国に侵攻しない。僕たちの契約は、そう言った内容だったはずだね」
「……ああ」
「君だって、選定が終わったからやってきたんだろう? それとも未だ道半ばであるのに、君は私兵を引き連れてきたとでも言うのかい?」
勘違いでなければ、妖精神のその声色には、確かな苛立ちが含まれているように思えた。
俺は、国家間のやり取りに知識があるわけではないが……言われてみれば確かに。
ここは紛れもなくネルレイラ王国で、踏み入ってきているのは夜神だ。
まさか、国家君主自ら軍勢を引き連れておいて、侵攻でないと言えるはずがない。
「私の国を焼いておいて、その言い分が通ると思うのかい?」
器の選定が終わるまでの間、僕らはお互いに手出しはしない。
その文言が確かであるなら、先に約束を破ったのは、夜神だ。
今、わざとらしく口元を手で覆って、目を見開いている夜神だ。
「あはっ、あははははははッ!」
妖精神が畳み掛け終えた途端、突然、夜神が笑い出した。
浜辺を切り裂く不気味な声は、戦闘の喧騒を貫いて、俺たちの下にも聞こえてきた。
「その通り! 我らは彼という器を見つけ、契約は既に果たされた!」
その身にまとった漆黒の法衣をはためかせ、天を仰ぐ夜神。
それを見て、わざとらしく頭を抱える妖精神。
「ああ、なんで忘れていたんだろうな妖精神!」
「そこの仲人が何かそそのかしたせいじゃないか? 夜神」
話題に上がった仲介人……アクシーはその声で忽然と姿を消した。
また、お前の仕業だったのか……
「「あははははっ!!」」
浜辺に二つ重なった笑い声。
目を細めて笑う妖精神と、目を見開いて笑う夜神。
それを意にも介さず戦い続ける大人たちと違って、俺とアーネスはただ、その異様な光景を眺めるしかなかった。
「「ならば、ここで新たに宣言しよう」」
そして、彼らはまた同じ声を重ねた。
笑い声を同時に止めて、柏手を打ったようにまた同時に。
胸を開いて、息を吸い込んで、声をそろえた。
「妖精神ネルレイラと」
「夜神ジャックの名において」
それが何を意味するのか、俺にはさっぱりわからなかったが……
ひとまず、確かなこととして。
「「両国間の不可侵条約を破棄するッ!!」」
俺とアーネスの行動が、何かを変えてしまったのだと。
ひどく直感的に理解した。




