79 召喚
「……このままじっとしているのは嫌だ」
闇夜に沈み込んだ空気の中、俯く俺の目の前で、アーネスが一つ言い切った。
俺だって同じ思いだけど、例え今から俺たちが動いたとして、何ができる?
そう言って、彼の発言を否定するのは簡単だ。
「何か、思い付いたことはある?」
だから、あくまで俺は意見を待つ。
無いなら無いで一緒に考えるつもりでいたが、その顔つきから察するにアーネスには何かしら考えがありそうだ。
「一つだけ。それだけでどうにかなるわけじゃないけど」
そう言ってアーネスは胸元から手帳のような物を取り出して開き、上下を反転させて俺に見せてくれた。記されているのは、独特な言い回しから察するに、おそらく歌詞と音律のメモだろうか?
「ひょっとして、妖精歌?」
「いや、さっきお前が使ってたのと同じだ」
それはつまり、リーラントを呼び出す歌と同じってことだろう。
アーネスが契約してるって言う、夏の妖精を呼び出せるのか?
「三年前に、会ったことあるだろ。波打ち際にいた妖精」
「え? ……あ、アイツ!?」
流石に覚えているぞ、あの意地悪くって鬱陶しい妖精。
多感な幼少期の経験の中でも、一、二を争う不快さだったからな。
正直、今世の俺はびっくりするほど気のいい人としか関わってこなかった自信があるけど、あいつだけは例外と言っていい。
「あんな奴呼び出して、どうするの?」
「あいつは村近くの海岸に住んでる。だったら、襲撃の一部始終を見てるはずだろ?」
なるほど、確かにエルーンおばあちゃんは、ココット村が「海賊」の襲撃を受けたと言っていた。
入学式中の様子を見るに、奴らは大きな船を使っているようだから、そりゃあ目立って見えたはずだろう。
もし、その時の様子を聞き出せれば、何か進展があるかもしれない。
「けど、素直に話してくれるかなぁ……?」
「正直、わからないけど……やってみる価値はあるんじゃないか?」
それもそうだが、流石におばあちゃんの許可はとった方が良さそうではあるな。
呼び出した瞬間、とんでもないことをしでかさないとも限らないわけだし。
◆◆◆
エルーンおばあちゃんは忙しいだろうに、俺たちが部屋を訪ねるとしっかりと時間を取って対応してくれた。
それで、例の妖精を呼び出したい旨を伝えると、流石に少し微妙な顔をしていたが、見張りを付けているならやって良しと、そういう結論になったわけで。
「アーネス君のおうた、楽しみですねぇ」
「ははは……」
当然のように駆けつけてくれたミモレさんと、俺は隣に並んでいる。
今は先ほどの、ベッドが2つある部屋の端の方で、アーネスの準備を待っている。
小声で発声練習しているのも見えるな。別にミスっても何回でもやり直せば良いと思うけどなにか訳があるんだろうか。
「見るからに緊張しててかわいいなぁ」
「緊張ですか?」
「ええ、明らかにいいとこ見せたいって感じに見えます」
いいところを見せたいって……ひょっとして俺に?
ふーん。なるほどな。
いや、別に何とも思わないぞ?
でも、そっかー、ふーん。俺にねぇ。
「かわいいですね、アーネス君」
「そうですね」
「聞こえてるぞー!」
さっきまで緊張感に満ちていたのに、なんだかなごんでしまったな。
とは言え、これからは真面目な対話の時間だ。
また波打ち際の時みたいに不意を突かれないよう、注意しておこう。
「よし、じゃあいくぞ」
なんて、俺が考えていたら、準備は終わっていたらしい。
アーネスは大きく息を吸い込み、一度吐いてからまた吸って、胸に手を当て口を開いた。
「それは水平線を割り乱す者。雛鳥の羽を焼き見張る者」
声変わり前では辛いだろうに、かなりの低音を保ちながら、アーネスは歌唱を続けている。なんとなく、ベースギターを思い出すような声色って言って伝わるだろうか?
なんにせよ、程よい緊張感のある美しい声色だ。
「改変をもって糧を成す、その名の意味をここに表せ」
終わり際は少しだけハスキーに、厳かな質感のある声色で、アーネスはその歌を結んだ。
「アクシー」
同時に、部屋のそこら中にキラキラと、光の粒が現れる。星のように水色に瞬いた空間から、水の粒が湧き出してやがて奔流を作り出した。
束のように寄り集まった水滴が革を作り、ある地点を軸に巻きつき始める。海中に巻く魚影のように、光る渦潮を作り出していく。
やがて光とともに渦潮が弾けて、清々しい色調の水しぶきが散った。
その中心には、目を閉じながら対空するタキシード姿の……アレ?
「はあっ、はああっ……!」
なんか、現れてすぐ地面にぼてっと落ちたぞ?
ずいぶん息を切らせているし、羽を畳んで四つん這いになっている。
「ああ、たすかったー!」
一体どういうことだ?
助かったって……どういう?
「全く勘弁してほしいよね。あれのどこが海賊なんだか」
「おい、何があったんだ?」
「んー? ああ、やっぱアーネスか。丁度いい」
困惑する俺たちをよそに、タキシードの妖精は顔を上げ、ニヤリと笑ってアーネスを見た。妙な寒気に襲われたのは、その笑みがやけに邪悪だったからだろうか。
続く一言を聞きたくないという気持ちが、俺の中に芽生えた時には妖精は口を開いてしまっていた。
「東の海から夜神が来た。君を迎えに来たんだよ」




