78 応答なし
「数時間前、ネルレイラ王は兵たちを率いてココット村へ向かわれました。王たちが戻るまでの間、住民は決して壁の外に出ないように命じられています」
それからもおばあちゃんは今起こっていることについて事細かに教えてくれたが、正直半分も理解できていたか怪しいところで。話を聞いているうちに頭痛が酷くなってきて、俺はもう休むように勧められてしまった。
「本当に、お二人とも同じ部屋でよろしいのですか?」
「大丈夫です。むしろ、その方がいいので」
ミモレさんに導かれ、アーネスと共に、用意してもらった部屋に入る。
正直、今アーネスと離れ離れになったら、気持ちが深く薄暗いところに沈み込んでしまいそうな気がしている。薄々察していたことだけど、心の準備まではできていなかったみたいで、誰かに傍にいてもらわないと心細くてしょうがないのだ。
「それでは私はこれで」
「ありがとうございます」
自分で言うのもなんだけど、随分とうわの空な返事をしてしまったように思う。目線を合わせず空っぽな返事をしてしまったことに気が付き、慌ててミモレさんの方を向いたら、彼は小さくにこりと微笑んで、扉のふちへ消えていった。
「……大丈夫か?」
「大丈夫」
アーネスに顔を覗き込まれて、また空虚な返事をしてしまったことに気付く。
「……じゃないかな、ごめん」
「なんで謝るんだよ」
慌てて見つめ直したアーネスの表情は、心配の色で満ちていた。今まで黙っていたけれど、彼も彼なりに気掛かりなことが多いのかもしれない。
「アーネスも、不安だよね」
「いや、俺はお前が心配だ」
「えっ?」
俺が心配?
「お前、さっきから顔色酷いぞ」
「あ……あぁ」
言われて少し声を漏らして、自分の声が随分と乾いていることに気が付いた。自分の頬に触れてみると、やけに冷たく湿っている。冷や汗がにじみ出て乾いた直後のような、気持ちの悪い感覚が帰ってくる。
どうやら、自分が思っているよりも、堪えているみたいだ。
「今日はもう休めよ。ほら、そこにデカいベッドもあるだろ」
「ああ……ありがとう」
言われてみれば、確かにこの部屋は随分と上等で、居心地が良さそうだ。アーネスの言うデカイベッドも2つ用意されている。丸硝子を張り合わせた窓は随分と大きく夜空を映し出しているし、窓際には可憐な一輪挿しが添えられている。
「って言っても、寝れる気はしないけどな」
「……だね」
俺が扉側、アーネスが窓側。俺たちは向かい合うように、それぞれのベッドに座る。間のスペースに足を延ばして、気を紛らわすように言葉を交わす。
いくら時間帯が夜だと言っても、二人一緒に目を覚ましてからまだ数時間しか経っていない。頭の中のごちゃごちゃと重なる心労を抜きにしたって、寝るのは難しいだろう。その上、強いストレスを受けているなら尚更だ。
「水差しは……あるな」
ベッドの間に挟まれたローテーブルの上には、確かに陶器の水差しがあった。すぐ横にコップも用意されているらしく、アーネスは二つあるうちの片方を取り上げ、水を注いで俺の方へ差し出してくれた。
「飲めよ。ぶっ倒れられたら困る」
「ありがとう」
丁寧に両手で受け取って、そのまま中の水を呷る。
「もう一杯いるか?」
「うん、おねがい」
のどを潤して落ち着こうにも、、コップ一杯では足りないな、なんて考えたところで、アーネスが追加の水を注いでくれた。
まったく、気遣いのできる男だ、つくづく俺は恵まれているな。
「……ありがとう」
「ああ」
二杯目を飲み終え、コップを膝の上に置いてからは、沈黙が場を支配した。別に、話題がないわけではないが、不安を煽る様な会話は避けたい。そんな考えが、アーネスの中にはあるのだろう。
「……そう言えば、アーネスも妖精歌を使えるようになったんだね」
だったら、ここは俺から話を切り出すべきだ。そう思って、できるだけ明るい声色で、彼の成長について話すことにする。
「ん……ああ。ちょっと前にな。夏の妖精に契約してもらったんだ」
波打ち際の襲撃の際、彼は輝く波に乗って、俺を城壁の上へ連れていってくれた。
おそらくあれが、夏の妖精歌。もっというなら、あの後ネルレイラ王が使っていた「打ち時化る銀波」というやつなのだろう。ほとんど同じような効果だったしな。
「すごいね。試験、大変だったでしょ?」
考えてみれば、7歳になるまでの間、それなりの時間はあったわけだし、俺の知らないところで妖精と契約していてもおかしくないわけだ。
ほとんどダイアーのおかげで契約できた俺と違って、アーネスは自力で試験を突破したのかな?
「人に手伝ってもらったんだ。修道院の院長……名前がトライトって言うんだけど、ほとんどあの人のおかげだった」
「へえ! ていうことは、仲良くなれたの?」
「まあ……ちょっとは」
「へぇー!」
アーネスが俺以外の人とそんな仲になっていたなんて、素直に喜ばしいことだ。女の子ならちょっとくらい嫉妬していたかもしれないが、あの人は大人のお兄さんだったしな。
「なんだよ、別に大したことじゃないだろ……」
少しばかり反応が激しすぎたせいか、アーネスは自分の横髪をくるくるといじくり始めている。顔も少し伏せられているけど、照れているのがバレバレだ。部屋の中は薄暗いとはいえ、君は表情豊かだからな。暖色ランプに照らされて、頬の赤さが際立つぜ。
「ていうか、リーラントが使ったあの眠らせてくるやつも妖精歌なんだよな?」
「え、うんそうだよ」
「お前は使えないのか?」
言われてみれば。実際、春昼落としは俺にも問題なく使えるだろう。それこそ前にアーネスに使ったことがあるわけだし。
あ、でも一つ問題があるな。
「たぶんできるけど、一回しか使えないんだよね」
俺が契約している妖精はリーラントだけだから、使えるのは一回だけだ。リーラントは一度に何人も眠らせられるみたいだったけど、俺にはできない。
「だったら自分に使えよ。俺は別に平気だし」
「そう?」
まあ、そう言ってくれるなら、試してみてもいいけど。そもそも、これって、自分に使えるものなんだろうか? 相手を眠らせることはできるけど、自分に使うことはできないとか、ありそうな話ではあるけどな。
リーラントに聞くのが一番早いけど、そもそもどこにいるか分からないわけだし……
ていうか、あれ?
「よくよく考えたら、俺リーラント呼べるじゃん」
「え?」
そう言えば、最近使ってなかったから忘れてたけど、特別な歌さえ歌ってやれば彼女を呼ぶことができるはずだ。
あれ自体は妖精歌とは少し違うみたいで、使用回数を消費しないみたいだったし、とりあえず歌ってしまえばいいんじゃないか?
それから、説明してもらえばいいんじゃないか?
「ちょっと呼んでみる」
「え、大丈夫なのか? 取り込み中だったり……」
「多分、大丈夫じゃないかな……?」
確かにもしかしたら取り込み中かもしれないけど、アレで来るのは分体だって話だったし、呼んでも問題ないはずだよな?
……わかんないけど、もしダメだったら許してくれ!
***
そう思って、何度か歌ってわかったことがある。
「妖精歌が使えない」
歌を歌っても、リーラントは来てくれなかったし、春昼落としを自分に使うこともできそうにない。だったらせめてと思い立って、アーネスに春昼落としを使おうとしても、何の効果も得られなかった。
いつもなら、歌っている最中から何かが起きそうな感覚がするものなのだけれど、今回ばかりはそれすらもない。手ごたえが無いというよりは、誰かに力を貸してもらえている感覚がないのだ。
「まさかとは思うけど」
かつてリーラントは言っていた。妖精歌は契約している妖精一人につき、一日一回まででしか使えないと。だが俺は少なくとも、ここ数日の間に妖精歌を使った覚えはない。
もしかしたら、契約を破棄された可能性もあるが、彼女が無断でそんなことをするとも思えない。だったら、考えられる可能性は少なくなる。
「彼女になにかあったんじゃ……?」
やけに優しい声色で春昼落としを歌いながら、俺たちを抱きしめたリーラントの顔が脳裏に映る。結局今まで、何が起こっていたのかについて、リーラントが説明らしい説明をしなかったことが思い返される。
「リーラント?」
記憶の中の彼女は、決意に満ちた表情をしていた。




