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今世の俺は長女だから  作者: ビーデシオン
第四章「妖精神の傘の下」
67/105

67 晩歌


 自分は安寧の真っただ中にいて、誰もに愛されていて。

 はっきり言って、いい気分になっていた。

 正直、こんな時間がずっと続くと思っていた。


「にぃーしのぉー、りぃーくにぃーはー」


 これから、前世でいろいろあったはずの、学業にいそしむことになるとしても。

 これから、幼馴染の親友と、二人暮らしをするのだとしても。

 なんだかんだ言って、今までうまくいっていたから。

 何かしら困難に直面しても、また乗り越えていけると思っていた。


「こーえがぁー、おぉるぞぉー」


 いつかまた、前世のトラウマを刺激されるかもしれない。

 自分の存在価値を疑うことになるかもしれない。

 ひょっとしたら、人間関係に心が追い付かなくなったりするかもしれない。

 王都の中、冗談を交える心の裏で、そんな考えが浮かばなかったわけじゃない。


「にぃーしのぉー、りぃーくちぃーでー」


 表には出してこなかったが、俺はひそかにそれに備えていた。

 楽観で心を癒していく裏で、いずれ迫りくる恐慌に備えていた。

 前世の後悔にだって、向き合って見せるつもりでいた。

 少なくとも、心の準備は万全だった。


「こーえさぁー、こさぁえるぞぉー」



***



 入学式は広場で行われるそうで、俺とアーネスは係員の指示に従って、学園構内を歩いていた。

 俺たちの他にも、新入生らしき人々は数多くいて、その多くは同年代の子供たちである。


 ネルレイラ王国の教育事情は知らないけど、意外とみんな、子どものうちから学校に通えてしまうんだな。

 これだけの人数がいて、全員が名家のお坊ちゃまってこともないだろうし。


「うん……?」

「どうかした?」


 俺が考え事をしていたら突然、アーネスが目を細めて、顎を突き出すような仕草をした。

 別に立ち止まったりしているわけではないが、妙な動きだったので、歩きながら声をかけてみる。


「なんか、変な臭いがしないか?」

「変な臭い……?」


 俺は何も感じないが……なんて思いながら、一応俺も、鼻から息を吸ってみる。

 言われてみれば確かに、少し妙な香りがするような気もする。

 というか、これひょっとして……


「潮の香り?」

「海が近いのか?」


 言われて耳も澄ませてみると、波の音も聞こえてきたような気がする。

 先の方は壁に阻まれていてよく見えないけれど、ひょっとして。


「みなさーん。ここで列になって進んでください。あまり前を押さないようにー」


 ちょうど、前の方から歩いてきた係員の方が、そんな風に声をかけているのが見えた。

 どうやら目的地は、王都を囲む壁の外らしい。

 遠くの方で人混みが収束していっていることからもわかる通り、皆々が門の方へ誘導されている。

 そして、その門の先に見えるのは……


「ああ、海じゃん!」


 そっか、ネルレイラ王国は海に面しているものな。

 交通の便を考えるなら、王都に港があってもおかしくないか。

 なんにせよ、久しぶりのウェミダー!



***



 心安らぐ波の音。

 ちょっときつめの潮の香り。

 辺り一面に広がる青々しい芝生。

 そんな情景に心をゆだねられたのも最初だけで。


「話、長くないか」


 俺たちは、いかにも校長っぽい人の話を長々と聞かされて、うんざりしていた。

 一応、海の見える芝生の広場とかいう、結構爽やかなシチュエーションなんだけどな。

 日差しはきついし、人は多いし、なによりずっと立ちっぱなしだし、そろそろぶっ倒れる人も出るんじゃないか?

 万が一の時の救護体制とか、大丈夫なんだろうか。


「あ」

「どうした?」


 控えている学園職員はいるのかな、なんて考えながら列の外側を眺めていたら、気になる人を見つけた。

 長身で、俺に劣らずファンシーな、若草色のドレスを身につけた美麗な女性。


「あれは……リーラントか」

「ちゃんと教師ポジションにいるんだね」

「ポジショ……よくわかんねぇけど、そうみたいだな」


 あ、ずっと眺めていたら、こっちに気が付いたみたいだ。

 目を合わせてきたと思ったら、わざとらしくウインクしてくれている。

 相変わらずお茶目な人だ。

 入学式が終わったらあいさつに行かないとな。


「まあしかし……ほんと長いな」

「あんまり文句言うんじゃありません」

「なんだそれ、別にいいだろ。周りだってざわざわしてるぞ」


 まあ、それはそうなんだが。

 流石にこの日差しには文句があるのか、結構なざわつきようである。

 そろそろざわめきで校長の声が聞こえなくなりそうだ。

 いやまあ、学園なら校長じゃなくて学園長とかだろうけど。


「うん……? レーダ、あれ見てみろ」

「なに? また誰か見つけた?」

「いや、海の方に……なんだあれ?」


 なんだ、水平線の先にクラーケンでも現れたか?

 なんて思いながら見てみると、確かに何かの影が見えた。

 何かっていうか、船だなあれ。

 時間的には昼前だけど、漁から戻ってきた船とかだろうか。


 それにしても、すごい数だ。

 流石、王都となると船の数もすごいんだな。

 きっと港も特別デカいんだろう。

 交易とかもやってるのかな?


「……おかしいな」

「何が?」

「船がこっちに向かってきてる」


 ふむ? それの何がおかしいんだ?

 船が港に着こうとするのは当たり前のことだろ?


「王都の港は、もう少し離れたところにあるはずなのに」


 ……ほう?

 それはつまり、どういうことだ?



 なんて、俺が思い始めたところのことだった。



「…………えがぁー、おぉるぞぉー」


 ざわめきの中に聞こえた、低く響く声。

 遠く、遠くから響くような、揃った男性的な声。


「にぃーしのぉー、りぃーくちぃーでー」


 耳をすませば、それが海の方から響いていることがわかった。

 まるで合唱のように迫力を増していくその声が、どんどんと大きくなっていく。

 皆々がそれに気付いたのか、いつの間にかスピーチも中断されていた。


「こーえさぁー、こさぁえるぞぉー」


 ぞわり。

 背筋が冷えるような感覚がした。

 迫力を増すその声のせいで、気付いてしまったのだ。

 先ほどまで、水平線の上にいたその船団が、もう波打ち際に迫っていることに。

 座礁も辞さないようなの速度で、芝生から少しだけ離れた浜辺に突っ込もうとしていることに。


「にぃーしのぉー、りぃーくにぃーはー」


 俺はアーネスに呼びかけようとしたが、自分で自分の声を聞き取れなかった。

 海から響く大合唱は、周辺全ての音を飲み込み、俺の声をかき消した。

 隣を見ると、口を大きくパクパクさせている子供が目に入る。

 しかしながらその声は、俺の元に届かない。


「こーえがぁー、おぉるぞぉー」


 周囲から音が消え、歌声だけが残る。

 列の中から、いち早く逃げ出した人影が見えた。

 俺もすぐさまそれに続くべく、アーネスの手を引く。

 アーネスもあっけに取られていたが、俺の後に続いて走る。


「にぃーしのぉー、りぃーくちぃーでー」


 俺たちは、海岸に背を向けて走り出した。

 人混みをかき分けて走り出した。

 逃げ出さなければ、取り返しのつかないことになるという確信があった。


「こーえさぁー、こさぁえるぞぉー」


 その考えを肯定するように、後ろから凄まじい衝撃が響いた。

 反射的に振り返ると、吹き上がる波と、勢いよく砂浜に乗り上げる船が見えた。

 船からは黒い何かが飛び散って、黒い何かは海岸に落ちていた。


「にぃーしのぉー、りぃーくにぃーはー」


 なおも響き続ける大合唱に鼓膜を殴られ続けながら、俺は思い出していた。

 自分の身に、命の危険が降りかかるあの感覚を。

 そうして初めて、今までの後悔が押し寄せてくるあの感覚を。


「こーえがぁー、おぉるぞぉー」


 表には出してこなかったが、俺はひそかにそれに備えていた。

 楽観で心を癒していく裏で、いずれ迫りくる恐慌に備えていた。

 前世の後悔にだって、向き合って見せるつもりでいた。

 少なくとも、心の準備は万全だった。


「にぃーしのぉー、りぃーくちぃーでー」


 だから、忘れていた。

 心構えだけでは、どうにもならないことだって、あるということを。


「こーえさぁー、こさぁえるぞぉー」

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