55 世界を超えた……
ちょっとー。さっきから海岸線で向き合って対話していらっしゃるお二人さーん。
神だの吸血鬼だの、私にわからない単語で話されても困るんですけどー。
今日の冒険の主役は私ですよー。
「ま、答えなんてどうでもいいんだけどね」
「そうだよ! 私にも妖精歌教えてよね!」
私が横入りするように叫んだら、二人は目をまん丸にしてこちらを向いてきた。
いや、そんな顔されても、先に人を置き去りにしたのはそっちでしょうに。
私だけ仲間はずれって酷くないですか?
「そうか……一応試練って言ったからには、約束を果たさないといけないか」
「当然でしょ? 私たちは正々堂々真っ正面から攻略してみせたんだし、文句はないよね!」
「全部トライトに任せておいてよく言うよ……」
それはそう。
正直客観的に見て、胸を張って力を貸せって言える立場ようなじゃないと思う。
でも、例え自分側に負い目があったとしても、こういうのは折れたら負けだ。
NOを言えない事務職時代の、苦労と学びがそう言ってるぜ。
「いいよ。約束通り、契約してあげる」
「やった!」
「ほら、さっさとこっちに来て手を出しな」
へえへえ。こりゃありがてぇ。
契約してもらえるなら、それでいいんでゲスよ。
ま、ふざけるのはほどほどにして、普通にお言葉に甘えておこう。
わざわざ向こうの気を悪くすることもないだろうし。
「これでいいの?」
「うん。ちょーっとまってね」
目の前の妖精さんはそう言うと、私のおててを私よりちっちゃな手で握り、何かをつぶやき始めなさった。
いかにも神聖な儀式って感じだけど、別にエフェクトとかは付いていないのでよくわからない。
ちょっと気まずくなってアーネスの方を向いてみたけれど、彼は彼で何か考えごとをしているようだ。
このまま、ずっと待ってればいいのかしら。
知らないうちに変なことされてたりしない?
契約の下の方にめちゃくちゃちっちゃい薄文字で、マグロ漁船に乗りますみたいな一文足されてたりしない? 大丈夫?
「はい。これで契約は終わり」
「ありがとう! これで私も妖精使いね!」
「まあ、そう言っていいんじゃないかな」
ふふふ、妖精使い。
ファンタジーについては詳しくないけど、なんか魔法使いの親戚みたいなものでしょう?
超常現象が超能力でエスパーなんでしょうきっと。
「それで、妖精歌はどうやって使えばいいの?」
「自分で調べなよ」
「えっ、教えてくれないの?」
「そこまでやるとは言ってないだろ」
あーそっか。契約してあげるとは言ったけど、教えてくれるとは言ってないのかコイツ。
やられた。まるで、流行りのゲームソフトだけを買って、ゲーム機本体を買っていなかった時のような痛恨。
幼少期の苦い思い出が蘇るね。
ま、今の私も幼少期っちゃ幼少期なんだけど。それはそれ。
「アーネス! コイツ詐欺師だよ!」
「詐欺師って……別に何も騙しちゃいないじゃないか」
こういう不平は人に伝えて、ジャッジしてもらうのが一番だ。
自分でゴネるより、他人にゴネてもらったらほうが失う者も少ないしね。
冗談はさておき、ゴネ仲間は多い方がやりやすいってものだ。
「ん、ああ……聞いてなかった」
「ちょっと!」
二人だけで話した後は聞いてないって、酷くないですかねこの坊ちゃん。
そんなんじゃ女の子に愛想つかされちゃうよ。
心に決めた相手がいらっしゃるなら、そういうところ改めたほうがいいんじゃないかしら。
「それで、なんだ。俺もあんたと契約できるのか?」
「できない……と言いたいところだけど、できるようになってしまったね」
「だったら、頼む」
「はいはい」
ま、これでアーネスも妖精使いか。
私だけ秀でることはできなさそうだけど、彼と競ってるわけでもないしね。
ノエルちゃんは笑って許してあげましょう。
「トライトさんはいいの?」
「ええ。私はすでに、彼とは契約していますから」
「ああ、そう言えば知り合いでしたっけ」
「旧知の仲ですね」
ふーん。トライトさんと旧知ってことは、きっとこの妖精も結構年行ってるのね。
「何か?」
「いえ、なんでもないです」
危ない危ない。失礼な考えが顔に出てたらしい。
この身体は顔に出やすいことを忘れていた。
「ともあれ、彼の目的も達せましたし、今日はそろそろお暇しましょうかね」
「え、もういいんですか?」
「彼を見てください」
そう言って、トライトさんが指さしたのは、月明かりに照らされたアーネスの横顔。
きりりとした赤い目で、口元には確かな笑みを浮かべている。
妖精から離された右手を確かめるように握って、何か決意に満ちたような表情をしている。
「これで……俺も傍に」
誰の傍? なんて聞く必要はなさそうね。
感情豊かなこの時期の少年を、そんな顔にさせるのは、一体どこの誰なんでしょうか。
はあ、身内ながら、うちのお姉ちゃんは罪な女だよ。
「あ」
そう言えば、今日の目的。
お姉ちゃんの正体を突き止めることだったはずなんだけどな。
気づけばもう月が出ているし、家からずいぶん遠い場所にいるし。
「ああ……せっかくの外出日が」
こりゃ、家に帰ったらしばらく監視の目がつきそうだな。
トライトさんが、上手く説明してくれてればいいけど……
***
家に帰ると、予想通り。
玄関の前に、ミナお母さまが仁王立ちで立っていた。
その圧力は、まるで城門を死守する魔神のようで。
あるいは、大きな木橋の中央に立つ、弁慶のようでありましたとさ。
「おかえり、ノエル」
「あははーただいま」
私は何とか隣を通り過ぎようとして、ミナお母さまにフリルの襟を捕まれる。
そのまま回れ270度右。
ミナお母さまと向かい合って、鬼の形相を見せられ……あれ。
「ねえ、おねがい……」
ミナお母さまが、凄く悲しげな表情をしている。
涙ぐんではいないけど、痛みをこらえるような、すごくつらそうな表情をしている。
「娘の身体で、これ以上危ないことをしないでください……」
それは、ノエルに向けた懇願では、ないのだろう。
この世界の、娘に向けた懇願ではないのだろう。
あくまでこれは、私に向けた。
ノエルの身体を動かす、私に向けた懇願だ。
「言ったじゃないですか」
あの、家族を置いて海岸から二人で帰った日。
思えばミナは、あの日以来ずっと辛そうな顔をしていたな。
「私はノエル。あなたの娘ですよ」
そう、例えそれが、娘の記憶を持つ別人であったとしても。
濃い霧のかかったあの夜に、乗り移った人格だったとしても。
この身体の中に私が生きている限り、私はノエル・ハイマンで居続ける。
記憶はすでに統合されているから、元の人格が残っているかなんてわからないけれど。
少なくとも、彼の居場所を突き止めるまでは、私は精一杯生きますとも。
その過程で、ノエル・ハイマンの身体が壊れてしまったら、仕方のないことですが。
その時はどうか、諦めてください。
「私が彼を見つけるまでは、私がノエル・ハイマンです」
私は、彼を取り戻すまで諦めませんので。
おそらく、こちらの世界へ迷い込んでしまったであろう彼を。
放っておいたら、ベランダのフチから落っこちてしまうくらい、おっちょこちょいな彼を。
私無しでは生きられない彼を、日本に連れ帰るまで。
ノエル・ハイマンこと、赤坂アオイは諦めませんので。
どうか、私の調査活動に。
世界を超えた大冒険に、ご協力くださいね、お母さま。




