36 妖精神の眷属たる
今日は本当に、いろいろある日だ。
俺は今、レーダと別れて、波打ち際に目を凝らしながら進んでいる。
経緯を説明するのは、そう難しくない。
「この海岸沿いのどこかに、青くて、不思議で、カッコイイお洋服が隠されているんだ! 試練の内容は、そのお洋服をガーディアンから奪い取ることさ!」
わかりやすいことだと思うけど、同時にそれがこの海岸のどこかに、魔物が潜んでいることを意味していることくらい、俺にもわかる。
具体的に、何がいるのかはわからないけど、動物や妖精といった単純な言い方をしていない時点で、ろくでもない何かなのは確かだ。
だったらなおさら、分担行動しないほうがいいような気もするが……残念ながら、そう言うわけにもいかない。
「今日は霧が濃いからねーあんまり時間をかけるのはおススメしないよ?」
彼が言ったのはそれだけだったが、つまり、時間は無制限ではないということだ。
俺は夜目が利くからいいけど、レーダの方は月明かりがなくなる朝方までに、家に返してあげたい。
そういうわけで、海に向かって右と左で二手に別れて探そうとなったわけだ。
俺も一日活動したせいで、そこそこ眠いしな。
「おぬし、アーネスといったな」
「あんたはリーラント……さん、だよな」
そうだ、分担行動といった通り今、俺の隣にはリーラントという妖精がいる。
俺の少し前方。俺より少し海側を、ふよふよと飛びながら進んでいる。
見た目はちっちゃな女の子だけど、喋り方的には随分大人っぽい人だ。
ダイアーさんの知り合いらしいから、結構なお年なのかもしれない。
「さんはいらん、口調も砕けたものでよいぞ。わしはただおぬしと仲良くなりたいだけじゃ」
「そ、そうか……」
「水も苦手なのじゃろう? 海の方を探すのは任せておけ」
「おう……」
なんだ……随分優しいな。
妖精っていうと偏屈だったり、意地悪だったりするイメージだったけどこの人はそうでもないらしい。
というか、酔っぱらってたのに俺が溺れたの覚えてるのかよ……
まあ、真面目な時は真面目っぽいし、案外抜けてない人なのかもしれないな。
「なあ、リーラントさん」
「なんじゃ?」
だったら……この人になら、聞いてもいいかもしれない。
「教えてくれ。妖精歌を使えない俺が、強くなるにはどうすればいい」
「ふむ……」
俺が妖精歌を使えないのはわかった。
だけど、他の手段で強くなれる可能性はあるんじゃないか?
それこそ、俺に祝福とやらを授けやがった、夜神とかいうやつの力を借りれば。
「何のために?」
「え?」
「何のために強くなりたいのかと聞いておる」
リーラントの返事は、答えではなかった。
質問に対する質問。
その声色は、かなり真剣で、確かな威圧感が伝わってくる。
下手な返しはできないけど、もともとそのつもりもない。
「俺は……レーダに恩がある。そばにいるだけで、その恩を返せるとは思わない」
「……それで?」
「彼女はかわいくて……はっきり言って、不用心だ。俺みたいなやつと、仲良くなろうとするくらいには」
「……」
俺はレーダがいなければ、どんな道へ向かうことになっていたかわからない。
犯罪者か、乞食か、屍か。
そんな選択肢しかなかった俺に、陽の光の差す道を与えてくれたのは彼女だ。
「そんな彼女に、何かがあった時、せめて守れるくらいの力が欲しい。そのためなら……夜の神とかいうやつの力だって、利用できるようになってみせたいんだ」
これが、紛れもない俺の本心だ。
いたずらっぽくて、かわいくて、お節介で、優しい。
そんな彼女を、いつかは守れるくらいになりたい。
本当は、今回だって分担行動はしたくなかった。
だけど、下手にダイアーさんについていけば、足手まといになるのはわかりきっていた。
だったら、今は我慢して、俺はリーラントに教えを請わなければいけない。
彼女も教わったという、先生に。
「残念ながら、妖精神の眷属たる、わしから教えられることは何もない」
「っ……」
だけどまあ……そう上手くはいかないよな。
「と言えば、嘘になる」
「え?」
ふよふよと浜辺を進むのをやめ、リーラントはこちらに向き直る。
つられて俺も足を止め、彼女の小さな瞳を、真っ直ぐに見つめてしまう。
「じゃが、黎明神より分断されし夜神は、日神を信奉する国において、邪神とされているのも事実じゃ。無論、その力もタブーじゃな」
やっぱり、間違いない。
リーラントは俺の知らない、多くのことを知っている。
黎明神、太古の神々の一柱。
名前だけは聞いたことがあったけど、詳しいことはどうしても知れなかった。
「おぬしがネルレイラ王国から出ないつもりなら、それでよい。しかしレーダは……ダイアーの娘はきっと、その限りではない」
「っ……」
「自分のせいで、レーダに危害が加わるかもしれないとなったとき、おぬしは迷わず、彼女から離れられるか?」
だけど……何の覚悟もなしに、詳しいことを教えてくれるほど、リーラントは甘くないようだ。
事実、その問いに対して、俺は即答することができなかった。
今は、レーダが血を吸わせてくれているから、なんとかなっているが……彼女がいなくなったら、俺は誰を求めればいい?
そう思ってしまう時点で、結局は自分が一番なのか?
「……ふふ、すまんな。おぬしがあまりに思慮深いもので、ついからかってしまった」
「……すいません」
「謝ることなど何もない。子供のうちから考えすぎていては、楽しめるものも楽しめんからの」
「……そうですか」
事実、俺はまだまだ子供だし、同年代に比べて、頭が回る自覚もある。
レーダも似ているから忘れそうになるけど、はっきり言って、俺は考え過ぎなのだろう。
「おぬしはまだ子供じゃ。今のうちに、レーダと沢山遊んでおけ。その経験が、思い出が、未来のおぬしを強くする」
「……わかりました」
リーラントの言葉には、納得できる部分もある。
事実、彼女との思い出が、俺の決意を強くしている。
今日の出来事だってそうだ。
俺のそばで眠る彼女の顔は……きっとこれから何年たっても思い返せるだろう。
だけど……子供扱いは好きじゃない。
「じゃが……」
「?」
俺が思い固めていると、ふと、リーラントがつぶやいた。
なんだろう、まだ言い残したことがあるのだろうか。
「強くなるだけならなにも、妖精歌や、神の力を借りる必要などない」
「え?」
それって……どういう……? 考えているうちに、リーラントがゆっくりと言葉を続けたと思うと、ふと途中で声が掻き消えた。
いや、掻き消えたのではない、急に声量が落ちただけだ。
彼女は口を小さく開きながら、何かを……
歌のような何かを、呟いている。
「もしおぬしが……本当に、彼女のために強くなりたいと願うのなら……」
瞬間、リーラントの体が光に包まれる。
辺りから輝く木の葉が集まったかと思うと、彼女の周りで渦巻いていく。
そのままそれが、妖精の体を包み込んで……膨張していく。
「王都にいる、わしの元を尋ねるがよい」
瞬間俺は、確かに目に焼き付けたのだ。
無数の木の葉が形作った、俺よりも大きな何か。
羽の突き出す、輝く若草色のドレスを身にまとった、荘厳な女性の容貌を。
「わしは、待っておる」
だけど直後に、輝く木の葉が辺りに飛び散って。
そのうち光も失われて、女性の幻影は消えていった。
「さあ、宝探しに集中するぞ。我が若き教え子よ」




