28 膝枕の時間だよ!
死んだ両親のことは、よく覚えている。
家が、雑貨屋が、両親の残した物が、まるまる全て残っていたこともあるけど、それ以上に、記憶が脳に焼き付いている。
父さんはいつもメガネをかけていて、文字は良いぞ、本を読めるようになりなさいと言っていた。
厳格なわけじゃなかったし、滅多に怒ることもなかったし、ちょっと抜けているところもあったけれど、尊敬できる人だった。
父さんの書斎を初めて見たときは、その本の多さに圧倒された。
いつか、元々は首都で商家の会計係をやっていたと聞いた。
どうして、こんな人が、こんな村に居着いているのだろうと思った。
その理由が母さんにあると気付いたのは、二人が居なくなる直前のことだった。
ある日、母さんの収納箱のうち一つが、開けっ放しになっていた。
収納箱の中には、何通もの手紙が入っていて、その全てに、母さんの名前と、父さんの名前が記されていた。
難しくて、読めない文字がいくつもあったけど、読み取れる部分だけでも、内容がわかった。
それは、父さんから母さんに向けた、ラブレターだった。
母さんは美人で、ふわふわした雰囲気をまとっていて、悪く言えば、適当な人だった。
色々なことに興味を持っては、変なものを仕入れてきて、飽きたら雑貨屋に並べて売るような人だった。
好奇心旺盛で、元気な人だった。
父さんはそんな母さんの自由さに惹かれて、わざわざ会計係を辞めてまで、何年もかけてアプローチしたらしかった。
憧れた。
俺は、冒険譚も嫌いではなかったけれど、特にラブロマンスが好きだった。
仲睦まじい両親を、いつもそばで見ていたせいだろうか。
二歳の時点で、将来は、両親のような家庭を持ちたいとさえ思っていた。
そのせいだろうか。
父さんが、母さんを守って死んだと聞いた時。
母さんが、父さんの傍で死んだと聞いた時。
あまりに完璧な結末を、二人が迎えたと知ったとき。
酷く胸が締め付けられた。
きっと、二人の物語の中で、俺は脇役に過ぎなくて。
村の異変を共に探る仲間ではなく、屋根裏に置いて行かれるような、お荷物に過ぎなくて。
俺の存在はきっと、二人の結末を悲劇的に彩る、スパイスに過ぎなかったのだと気付いた。
二人の遺体は、損傷が激しく、発見にも時間がかかったから、蘇生は行われなかったらしい。
俺が蘇生を受けられたのは、俺の体がまだまだ幼く、例えグールになったとしても、簡単に鎮圧できるから……だったそうだ。
結果として、俺は一人になった。
しばらくは治療院の人が日替わりで面倒を見てくれたけど、例の事件以降、それもなくなった。
例の事件。
あの女の子には悪いことをしたと思う。
俺がしでかしたことは大人から聞けたが、その必要もなかった。
だって、俺はその時の感覚を、完全に覚えていたから。
愛しい人の血を吸いたいと思うのが、正常だと思っていたから。
だから、俺は二回目も、三回目も同じことをした。
それが異常だと気が付いたのは、その女の子からある言葉をぶつけられた時だった。
「やめて! この吸血鬼!」
意味が分からなかった。
吸血鬼なんて存在は知らなかったし、何がいけないのかも、分からなかった。
何故、最初のうちは仲良くしてくれていた女の子が、俺を拒絶するのかわからなかった。
でも、その言葉で、村中に噂が経って。
治療院の人達が、面倒を見てくれなくなって。
おかしいと思って、夜、治療院に忍び込んで。
文献を漁って、本を読んで、記述を見つけて。
スエラ化の影響について、
両親が死んだ襲撃について、
夜の神の眷属について調べて。
確かめて、読み取って、嘘だと信じたくても、現にそう書いてあって。
俺の魂が半分、吸血鬼に浸食されていることを知った。
おそらく、例の襲撃で死んだ吸血鬼の魂が、俺の肉体に入り込んでしまったのだと、仮説を立てるしかなかった。
吸血鬼の主食は、人間の女性の生き血だそうだ。
血を吸わなければ生きていけず、中でも特に、愛する人の血を好むらしかった。
俺は、普通の食事でも生きていけたから、前者には当てはまらなかった。
でも、あの女の子を前にすると、気持ちを抑えることができなくなった。
あの日、はっきり拒絶されるその瞬間まで、俺は本気で彼女の血を飲みたいと思っていた。
それが悪いことだとは、思っていなかった。
俺が、そんなことを調べている間に、女の子は街の方へ引っ越していたらしい。
そうして、俺は一人になった。
悪い噂も広まったようで、村からも孤立した。
治療院の配給に行けば、これ見よがしに聖印を見せられるようになった。
飢え死にしたくなくて、両親の残した資産を数えて、あと何日生きられるか数えた。
金庫を開けて、覚えたての算数でお金を数えて。
雑貨屋の品を、父さんの遺品を売ろうとして、安値で買いたたかれて。
おかしいだろって訴えても、冷たい目を向けられて。
売った品も、返してもらえなくて。
あと一月で、俺は飢え死にするはずだった。
いっそのこと、自分で命を終わらせてしまおうかと思って、怖くてやめた。
本当に女の子の生き血をすすりに行ってしまおうかと思って、良心が止めた。
それでもなんとか生きる手段を考えて、考えて、考えて。
街まで行って、治療院の本を盗んで売り飛ばすのが一番マシに思えてしまった。
結局人に迷惑をかけなきゃいけない自分が情けなかった。
死にたかった。惨めだった。
もう俺は、両親のような将来にたどり着けないと思うと悲しかった。
だから、
暖かいシチューを与えてくれる友達が、
自分から血を飲ませてくれる女の子が現れるなんて、思いもしなかった。
***
ちゅうちゅうと音を立てながら、アーネスが泣いている。
正座をする俺の前で、膝をつきながら、俺の右腕を抱えている。
親指を咥えこんで吸いながら、ボロボロと大粒の涙を流している。
もう随分長い間、この奇妙な時間は続いている。
きっともう、言葉は必要ないのだろうと思う。
「…………」
でも、でもさ。
やっぱり、考えちゃうじゃん。
勢いでやった行動だけど、気づいちゃうじゃん。
男の子が、幼女の親指ずっと吸ってるって絵面が完成してるじゃん?
しかも、ちゅうちゅう音立てちゃってるじゃん?
しかも、この親指、俺が直接嚙み切ったってことは、間接キスじゃん?
いや、何がとは言わないけどさ。
この絵面、ダメじゃね?
何かしらの法律に抵触するんじゃね?
「……アーネス」
耐えられなくなって、声をかけてみたんだ。
そうするとな、アーネスがこっちを向くわけだ。
親指を吸ったままで、潤んだ赤目がこっちを向くわけだ。
「らに? れーら」
あー…………
終わりだ。
ろれつの回らない上目遣いの完成だ。
俺の中のなにかが終わりだ。
「……その体勢だとつらいでしょ? ひざ、枕にして横になりなよ」
もう、ここまで来たらもう吹っ切れちまおうぜ!
というわけで、膝枕の時間だよ!




