27 随分、回りくどい
アーネスが二歳のある日。
俺たちの住む村は、襲撃を受けた。
夜の神を信仰する、海賊たちによって。
俺たちの村は、戦場と化した。
いち早く、村の様子がおかしいことに気が付いた両親は、幼いアーネスを屋根裏部屋に隠し、一冊の絵本を手渡してから、言った。
「帰ってくるまで、屋根裏から出るな。と」
アーネスは、その言いつけを守った。
小窓の間から覗く、外の景色が真っ暗になっても。
外の方から金切り声や、怒声や雄叫びや叫び声が聞こえても。
村のあちこちから火の手が上がって、空が赤く染まっても。
アーネスは両親が戻ってくることを信じて、待ち続けていた。
まだ、全部の文字を読めすらしない絵本を開いて、ひたすら耐え続けていた。
「でも、外がそんな調子で、下からも物音がするって思ったら、自分で降りられなくなってさ」
小窓があっても、屋根裏部屋には空気が籠った。
焼けた空は外気温だけじゃなく、室温も上げていった。
絵本の世界に浸るにも、限界があった。
煙がなくても息が詰まって、喉が傷んで、渇いて、それで。
「馬鹿だよな、その時の俺。水を飲まなきゃ死んじまうってことにすら、気がつかなかったんだぜ?」
アーネスは死んだ。
屋根裏から出られないまま、動けなくなって。
絵本を抱えたままうずくまって、丸まって。
一人静かに、動かなくなっていたらしい。
「でも、そこから始まったんだ」
アーネスはスエラだ。
一度命を落としながらも蘇り、グールになることもなかった、幸運な人物。
妖精神を信仰する神官の、とある妖精歌によって、アーネスは蘇生した。
「赤髪は地毛だ。でも、目の方は違う」
アーネスの目は赤い。
その日から、赤くなった。
「最初は、贈り物だと思った」
赤い目と言っても、不便はなかった。
幼い身には、むしろ贈り物に思えた。
だた、かっこよかっただけじゃない。
「夜目が利くようになって、文字が読めるようになったんだ」
文字を見ただけで、意味が頭の中に浮かんでくるようになった。
アーネスの両親は、珍しいものに目がなく、読書家でもあったのだという。
絵本、図鑑、英雄譚。
決して多くはなかったが、今まで触れることすらできなかった知識に、アーネスは触れられるようになった。
「両親が死んだって聞いたときは悲しかったけど、これなら一人でも生きていけると思った」
アーネスの両親は、何度も繰り返し、言っていたのだという。
いずれは学校に行って、文字が読めるようになりなさい。
そうすれば、少なくとも、職にあぶれることはないと。
街に出られるようになれば、一人でだって生きていけると。
「ランプやロウソクがなくても、大丈夫だったし」
そういえば、雑貨屋の中には、照明器具がない。
半分になったロウソクもなければ、ランプを置く皿もない。
「でも、いい事ばかりじゃなかった。妖精神様に、嫌われたのかな」
聖印に対して恐怖心を抱くようになったのはその時からだったそうだ。
治療院で、勉強を教えて貰おうにも、聖印が怖くて近づけなくなった。
大人に助けを求めるときも、聖印を持っているんじゃないかと思って、恐ろしくなった。
「それでも、手を差し伸べてくれてる子だっていた」
親を亡くして、自分一人で生きていかなきゃいけない。
そんな時、多くの人が手を差し伸べてくれた。
そのうちの一人が、とある女の子だった。
その子は、アーネスにパンを与え、他の子との繋がりを疎かにしてまで、アーネスと遊ぼうとしてくれたらしい。
つまり、俺みたいなやつが、前にもいたらしい。
「……悪いことは言わない。お前も、俺と関わるのはやめておけ」
その子と何があったのか。
何となく予想がついてしまった。
それを話すのは、辛いことだとも、予想がついてしまった。
それでも、俺は聞かなければいけない。
「まだ、秘密を話してくれてないでしょ。続けて」
「……そうか」
覚悟を決めて、次の言葉を待つ。
「俺はその子を襲った」
「っ……」
それはおそらく、紛れもない事実。
アーネスの意思に関わらず、実際に起こってしまったことなのだろう。
「襲ったって……どうやって?」
「お前の時と同じだ。覆いかぶさって、首筋に噛みつこうとした」
「なんで……」
疑問は口から出ていたが、ある程度予想はついている。
アーネスは、衝動に襲われたのだろう。
夜目が効いたり、聖印を怖がるようになったり、一度死んでから芽生えた、特異な何かによって。
「その子の血が飲みたかったんだ」
吸血衝動。
この世界にソレが実在するのかどうかはわからない。
でも、妖精とか、そういうものがいるのなら、可能性はある。
「俺は吸血鬼だ。好きな子が目の前にいるだけで、その血を吸いたくなってしまう」
「……」
それはきっと、本当のことなのだろう。
「わかったら帰れ。話は終わりだ」
きっと、冗談ではないんだろう。
だからアーネスはわざわざ、階を隔てて、二階から語りかけてくれているのだろう。
それはきっと、切実で深刻な悩み。
でもさ、お前が捻り出した、それって
「アーネス」
その言葉って、こうも解釈できるだろ?
「随分、回りくどい告白だね」
「……は?」
困惑するアーネスの声を待たないまま。
俺は、足を進めて、二階へ続く階段を上り始める。
「まて、お前!」
「待たない」
「ふざけてるのか!?」
「ふざけてない」
俺が気づいてないとでも思ってたのか?
俺が、黙って聞いていられるとでも思ってたのか?
まあ、思ってるかもしれないな。
何せ、まだ会ってから一日だ。
普通は、そこまで踏み込まないだろう。
階段を一段一段踏みしめて、近寄ったりはしないだろう。
でもな、アーネス。
俺の答えはもっと単純だ。
「……一人で泣いてる友達を、放っておきたくはないから」
最後の一段を登りきる。
薄暗い部屋の中に人影がうつる。
被った毛布の隙間から赤い目がこちらに覗いている。
潤んだ瞳をこちらに向けた、鼻声の少年がこちらを向いた。
それが確認できたら、もうやることは決めている。
「アーネス」
親指の先を噛む。
そのまま噛み切る。
そのまま、腕を前へ突き出す。
「私の血、吸っていいよ」
血の滴る親指を立てたら、人影が弱弱しく、近づいてきた。




