深夜の追跡者
彼女は深夜に車を走らせていた。
隣町までは約17km。特に用事はなかったが、明け方四時までやっているラーメン屋へ行きたい気分になったので。
情報が間違いで閉まっていてもべつによかった。ただ一人の部屋にはいられなかったのだ。
二つの町を繋ぐ県道は山の中を走っていた。
街灯などひとつもなく、対向車も来ないので、ライトは常にハイビームで走れるほどだった。
そんな道で、対向車線側の路肩を歩く人の後ろ姿をライトが照らし出した。
『こんなところをこんな時間に……歩いてる人が?』
チェックのシャツをズボンにインした、どこか昔の人のような印象の男の人だった。
しばらく人家などないはずだ。もしかしたら乗り物が壊れて困っているのだろうか? 彼女は男性を少し追い越したところに広いスペースを見つけると、ゆっくりと車を停めた。
振り返ると男性が見えない。何しろ暗いのでしょうがない。
車を降りてみると、辺りは森の中のような静寂だった。男性はどこにもいない。
彼女はきょろきょろと辺りを見回すと、気味が悪くなり、再び車に乗り込んだ。
『私、知らない男の人を車に乗せたりして、どうしようと思ってたんだろ……』
そう思いながら、エンジンを再始動した時だった。
見たこともない、まるで熊かゴリラのような、大きくて黒い何かが、崖の斜面から降りて来て、運転席の窓のすぐ外に立った。
彼女は思わず悲鳴を上げ、急アクセルを踏んで車を発進させた。
唸り声を上げて、その黒い何かが追いかけて来る。彼女は必死にアクセルペダルを踏んだ。
しかし道はカーブが続いており、真っ暗なこともあり、スピードが上げられない。ブレーキを踏むたびに黒いものは追いついて来ていた。ブレーキランプに赤く照らされて、恐ろしいその姿がルームミラーに映った。
10kmは走ったと思う。ようやく道がまっすぐになりはじめた。木々も疎らになり、月明かりが届きはじめた。
月明かりが、まだ追いかけて来ている黒いゴリラのような影を照らしていた。下り坂とはいえ、速度は50km/hを超えている。人間ではありえなかった。
70km/hまで上げると、ようやくそれは離れて行きはじめた。
ぐんぐん、ぐんぐんと、離れて行く。彼女は安堵の溜め息を漏らしながらも、アクセルは緩めなかった。
町が近くなり、信号機が現れはじめ、最初の赤信号で停まった。
青に変わるのを待ちながら、彼女は後ろを気にし続ける。
黒いものは追いついては来ない。
しかし彼女は荒い息をつきながら、気が気ではない。
信号はなかなか青にならなかった。
1分待っても、2分待っても青にならない。
『これ……、壊れてるんじゃないの!?』
よく見ると『感応式信号』と書いてある。彼女は停止線より遥かに前で停まっていた。
ゆっくりと停止線まで車を進めると、ルーフに何か重たいものが乗ったような振動があった。
すぐに車を急発進させようとしたが、信号はまだ赤だ。彼女には信号無視をする勇気がなかった。
思わず運転席のドアを開け、外へ飛び出した。振り返って見ると、黒い化け物がルーフの上に乗っている。
化け物はよく見ると黒いツナギの服を着ていた。ゆっくりとルーフの上から降りると、ゴリラのような二足歩行で、こちらへ近づいて来る。
辺りに民家はまだなく、後ろは川だった。彼女が悲鳴を上げると、化け物がアスファルトを揺るがすような声で、喋った。
「車に戻るな!」
そう言われ、彼女は言葉に反抗するように、車に戻った。
化け物の脇を走って通り抜け、ドアを開けっ放しだった運転席へ乗り込む。
「バカ! やめろ!」
化け物の言葉が飛んで来たが、無視した。
車に乗り込み、急いでドアを閉める。助手席に、赤いチェックのシャツをズボンにインした男性が、前を向いて乗っており、ゆっくりとこちらを、振り向いた。
青白い顔に笑いを浮かべた男性の顔は、左目が潰れていて、なかった。耳元まで裂けた左の口の端を最大に笑わせると、彼女の首元に噛みついた。
「ああ……!」
血飛沫に染められた車のガラスを見ながら、ヒーロー協会所属Dクラスヒーローのクマゴリラーは呟いた。
「また……救えなかったか……」