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ピンク頭と勇み足

 アルティストを公爵邸に送り届けると、僕は馬車を実家に返して徒歩で帰投する事にした。

 一年で最も日が長いこの季節、まだ外は明るい。この界隈は高位貴族のタウンハウスが多く立ち並ぶので、そろそろ夜会に赴こうかというこの時間は馬車や人が頻繁に行き来している。


「まだ店が開いているかもしれない」


 ふと思い立った僕は月虹(げっこう)亭に寄ってみることにした。

 城下から緩やかな坂を下って観光客向けの小洒落た店が立ち並ぶ界隈につくと、まだあかりの灯っている店が多い。


 今のはたいていの国で定例議会後の社交シーズン真っ盛りで、海外の高位貴族の保養客は全くと言っていいほどいない。

 その代わり……いや、だからこそ気兼ねなくリゾートを楽しめると、裕福な平民や軍人などがゆったりと休暇を楽しみに来ているのだ。


 思いのほかにぎわっている街を早足で歩いていると、目当ての店はまだ開いているようだ。

 七色の虹とハートの下に「月虹(げっこう)亭」と書かれた少女趣味な看板が掲げられ、レースとリボンで飾り立てられたドールハウスのような店。

 中に入ると他に客はなく、このあいだ来た時にも会った店主とおぼしき若い女性が棚の商品を整理していた。


「ごめんなさい、そろそろ閉める所なのよ……あら、騎士様だったの?」


 しまった、前回は学園の制服で来たんだっけ。

 今着ているのは騎士団の勤務服。色とデザインでどこの所属かは一目瞭然だ。


「うん、実家をいつまでもあてにできないからね。

 働きながら学校通ってるんだ。貧乏暇なしって言うでしょ?」


 ここは変に誤魔化さずに素直に認めておいた方が良いだろう。

 もっとも、嘘ではないが事実の全てではない気がするけど。


「あらあら、ポテスタース伯爵家と言えば軍閥(ぐんばつ)の名門でしょう?ダルマチア戦役の英雄が何を言ってるのかしら」


 あ〜あ、やっぱり知ってるんだ。

 そりゃ学園に通っている学生のうち、現役の第二旅団(警邏)所属の騎士は僕だけだ。

 知らない人は知らないけど、知ってる人は知っている。そんな中途半端な知名度が恨めしい。


「英雄だなんて、そんな大それたものじゃないよ。ただ運良く生き残っただけ」


「またまたご謙遜を。たった十三歳にもかかわらず、お一人でダルマチアの騎兵を退けた『鮮血の白薔薇』のお話は、しがない町人の私だって存じてますわ」


「そこまで有名な話ではないし、その名前で呼ばれるのは嫌いなんだ。

 ね、野暮な話はやめにしない?

 女の子へのプレゼントを選びに来たんだけど、閉店なら仕方ないね。また出直して来るよ」


 にっこり笑顔を作って話題を変えるように言った。


 正直、あの戦争の話は軽々しくしてほしくはない。


 確かにあの時僕が「武勲」を立てて叙任と叙爵を受けたのは事実だ。

 しかし、僕自身にとってはあの「武勲」は命惜しさにまともな理性も判断力も失って、ただやみくもに暴れているうちにたまたまそうなっていたというだけ。


 師匠を見殺しにして、自らを犠牲にした先輩に助けられて、殺さなくて良かったかも知れない敵兵を惨殺して……そこまでしてようやく、かろうじて生き残った。

 あれは「武勲」なんかじゃない。僕の無力さと罪深さの結果でしかない。


「うふふ。野暮なのは騎士様でしょう?

 正直におっしゃい。この店を探りに来たのね?」


 店主の女性の笑みが深くなり、こちらが本題とばかりに営業用のはきはきした話し方から粘ついた厭らしい話し方に変わってきた。

 心のどこかで激しく警鐘(けいしょう)が鳴り始める。


「いったい何の事?今夜も巡回があるからそろそろ帰投しなくっちゃ」


「人を惑わす蜜について嗅ぎまわっているんでしょう? それに、爆弾のことも」


「爆弾? この間、港で夜女の子が騒いでた話かな?

 このお店に何か関係あるの?」


 いかん。捜査情報が筒抜けになっているのか?

 しかし、例の爆弾騒ぎがこの店と関連付けて考えられたのはついさっきなんだが……一体どうやってこの情報を手に入れたんだろう?


 ここに一人で来てしまったのは軽率だったようだ。

 考えてみれば、蜜の入手の時もアルティストの爆弾の時も、この店の関与が疑われていたのに、なぜ警戒しなかったのだろう?

 敵側に正体の分からない精神操作魔法の熟達(じゅくたつ)した使い手がいるとわかっているのに。


「うふふ。やっとわかった?今更しらを切っても無駄だって。

 だってあなた、おびき寄せられたんだもの」


「……もう、普通の人のふりはしないんだね」


 確かにこれ以上しらばっくれても無意味なようだ。


 おそらく、ここに立ち寄ろうと思った時点で僕はこの人の術中にはまっていた。

 パラクセノス先生からお借りした護符を壊したのも彼女だろう。

 いつ、どうやって術を掛けられたかは見当がつかないが、今はとにかくここを生きて脱出する事を考えなくては。


 僕は内心の焦りを押し殺しつつ、どうやって彼女の隙をついて脱出するか、考えを巡らせ始めた。

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