後悔に絆創膏を
蛇口から迸る水はまるで鋭利な刃物のように鋭く、触れた指先から瞬く間に体温を奪っていく。わたしは暫く躊躇していたが、意を決してその冷水を両手で受け止め、顔に叩きつけた。それを二、三度繰り返すと重たく残っていた眠気が綺麗さっぱり排水溝に流れていく。そんな気がした。
目を閉じたまま手探りでタオルを掴み、顔を拭いながら鏡を見る。僅かにくすんだ鏡面にわたしの顔が写っていた。目が少し大きいのだけが自慢の地味な顔だ。水分を帯びた前髪が額にへばりついている。
自分の右頬に視線を移す。そこに存在するのは『後悔』の跡だ。醜いそれに指先で触れると、微かな痛みがズキリと走る。……ああ。
暫くそれを見つめ、そして溜息と共に洗面台の横の棚に置いてある絆創膏を取り上げる。
わたしは、後悔に絆創膏を貼った。
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厚手のコートを着て、淡いベージュのマフラーを首に巻きつけて家を出る。朝の、鮮やかなはずの空は灰色の雲によって覆われていて、太陽の光に靄がかかっているようで周囲は薄暗かった。頬を撫でる寒風は寂しく、それでいてひどく乾いている。それが制服のスカートから吹き込んできて、全身に鳥肌がたった。
わたしはスクールバッグを肩に掛け直し、息を吐きだすと、それは瞬く間に白く凍って後方へと流れていった。マフラーに鼻までをすっぽりと埋める。
学校へ向かって歩きながら、小さく溜息を吐く。……すっかり冬になってしまった。この季節はスカートとの相性が悪すぎる。この季節ばっかりは、ズボンの男子が羨ましい。
暫く歩き、住宅街から大通りへ。二車線の道路は通勤する人たちの車で埋まっていて、いっそ歩いたほうが早いのではないかと、歩道を歩くわたしは毎回思う。
大通りは様々な店々が建ち並んでいるが、今の時間、営業をしているのはコンビニだけだ。そんなコンビニの前には、浮浪者然とした初老の男が一人、ワンカップをちびちびと呑んでいた。彼の目は死んでいる。醜く伸びた白髪が、寒風に靡いていた。……寒くないのだろうか。
わたしは歩きながら、道に置いていた小石をつま先で軽く蹴る。その小石は放射線を描きながら飛んで行き、道の端に設けられている側溝へとダイブしていった。濁った水の中を転がっていく。
……そろそろ学校が近くなってくる。その証拠に、わたしと同じ制服を着た生徒たちの姿がぽつぽつと見え始めた。その数が増えていくごとに、少しづつ足に錘を付けられていっているようで、段々と歩くスピードが落ちていく。それでも確実に学校へと近づいていってしまう。周りを歩く生徒たちの姿も多くなってきた。
その、まるで小魚の群れのような集団の中で、わたしは一人思う。……何故あの時、あんなことをしてしまったんだろう。あの許されざる愚行をし、罪を犯してしまったのだろう。
わたしはマフラーで隠れた頬にそっと触れた。そこにある絆創膏越しの後悔が、じくりと疼く。
気がつけば、すでに学校はすぐ目の前まで迫っていて、正門の前で生徒会役員が並んで挨拶をしていた。わたしは彼らの前を早足で通り過ぎ、校庭へ入った。両脇に植えられた桜の木は、今はその葉を落として歪な茶色の枝を天へと向けていた。
正面玄関から靴箱へ。靴を脱いで上履きに履き替える。その時、いきなり背後から強い衝撃が襲ってきた。それと共に、甲高い、元気を持て余した声が耳元で爆発する。
「おはよーっ!」
「ハナ、おはよう」
わたしは抱きついてくる友人を引き剥がしながら、挨拶を返す。ふと、ハナが不思議そうな顔をしてわたしの顔を覗き込んでくる。
わたしは咄嗟に顔を背けたが、しかしすでに遅かった。
「なんか、元気ないじゃん。それに、そのほっぺどうしたの?」
……やっぱり聞かれるか。
わたしは観念して、周りを見渡した。今、わたしたちの近くに他の生徒の姿はない。
絆創膏を、後悔を、一撫でする。
わたしはハナの耳元で、小さく呟いた
「……この前叔父さんが海外に出張に行ってたんだけど」
「うん」
「そのお土産で貰ったチョコが美味しくってさ、つい食べ過ぎちゃったの」
ハナが目を丸くする。
「じゃあ、それって」
「……うん。おっきなニキビができちゃったの」
だからわたしはニキビに、ニキビと言う『後悔』に、絆創膏を貼る。
「早く、治ってくれるといいけれど……」