かくれんぼというお忘れ物
夕方の午後四時過ぎ。
影が濃くなり、街灯が点き始める。
公園にいた子供たちはそれぞれの帰路へ走っていく。
楽しげに揺れ動くランドセルは次の日の遊びでも考えているのだろう。
「……懐かしいものだな」
薄く汚れてしまった木材のベンチに腰掛けて一息。
首元のネクタイを緩めてボタンを一つ、二つと外して今度はため息が溢れる。
今日も進歩はない。また上司に怒られるのが確定か。
「……はぁ」
入社してから早一年未満。
辞表を出そうと考えて何日目かの仕事帰り。
電車通勤で毎日通い、朝から理不尽に怒られて昼休憩も一時間に満たない。
食事は携帯食のみ。このままでは倒れそうだ。
「明日も仕事か。嫌な気分だよ、全く」
隣に置いていた黒い仕事カバンから缶コーヒーを一つ取り出して、カチッとプルタブを傾ける。
そのまま軽く一口飲む。────苦い。
勢いよくブラックを押したのが間違いか、明日は微糖を選ぼう。
人生って甘くないと今一度実感するのも間違いなのか。
さっさと飲み切って家でご飯でも────
「何かお困りですかな?」
「ブフッ!? ゴホッ、ゴホッ……ぇ?」
口から勢い余ってコーヒーを吐き出してしまう。
気管に入って多少むせもしたが、なんとか気を取り戻す。
いきなり声をかけてきて隣に座っていたのは、普段見かけない格好の男性だった。
茶色い帽子に黒いマスク、茶色のトレンチコートを纏う姿は怪しい以外に他ならない。
「何か困ってらっしゃると思いまして」
「いやいや、それよりも……誰ですか?」
「申し遅れました。私、蔵と申します。このような不謹慎な姿ですが、是非ともあなた様のお話をお伺いしとうございます」
「はあ?」
「戻りたいのでしょう? あの頃に?」
何を根拠に言っているのか。
馬鹿馬鹿しい。
「今の仕事では納得がいかない、理不尽に怒られるのにはもう懲りた。出来るなら、あの子にもう一度でいいから会いたい」
「……ッ!?」
「かれこれ、もう十年前ですか。早いものですね、きっかけはなんでしたっけ? 確か……事故でしたか」
「……いい加減にしてくれよ、おい! あんたはあれか、僕の身の回りを嗅ぎ回って陥れようとしてる新手の犯罪者か!?」
男の首元に掴みかかって言葉を漏らす。
嗚咽を堪えても、涙は止められず最早そんな気は失せてしまい乱暴に座らせる。
惨めだよな。でも、もう十年前なんだよ。
どうしろっていうんだよ、お前が戻してくれんのかよ……!
「もしも、戻りたいと願うのであればそこの右にある十字路を真っ直ぐに歩いてください。決して振り返らないように、きっと幸せな気持ちになると思います。それと私はお忘れ物は届けませんのでご了承を」
「本当か?」
「私から申し上げられることはここまで。行くも行かないもあなた次第」
男は立ち上がるとそのまま立ち去った。
何を伝えたいのか、よくわからない。
だけど、そんなことを考えている余裕はなかった。
ただゆっくりと男の言った十字路を歩く。
住宅の壁もあって見通しの悪い場所でカーブミラーすら設置されていない。
草一つも生えないアスファルトを見つめていると懐かしい匂いが鼻腔を刺激する。
「この匂い、もしかして……」
足が速度を上げて前へ前へと進む。
忘れるはずがない、あいつが好きだった匂いだ。
いつも森の中に隠れては『かくれんぼ』をした。
その度に揶揄われて悪戯もされた。
僕は気づかないうちにあいつを大切な人だと思っていたんだ。
『もぅ〜いい〜かい?』
「まだ、だよ……まーだだよ!」
もう一度でいいから、会いたかった。
一緒にまた馬鹿みたいに騒いで遊んで。
まだ伝えてなかったことがあるんだ。
歩いて行った先に見えたのは、大きな木の幹。
元神社の跡地に残された御神木の前でよく遊んだ。
この場所で『かくれんぼ』をした。
僕が逃げて、あいつが追いかけて……でも。
階段から足を滑らせてそのまま────。
『見〜つけた!』
懐かしい匂いと共に響いたあの声。
会いたかったという気持ちと思い出してしまったあの時の気持ちで少し複雑すぎる。
どういう顔であいつの顔を見ればいいのか。
どういう気持ちであいつと向き合うべきなのか。
意を決して僕は後ろを振り返ることにした。
「言ったでしょう? お忘れ物は届けませんと」
肩を押されて身体は宙を舞う。
刹那、見えたのは愛おしかったあいつではなく不気味に笑う男の姿だった。




