第7話 風と共に去りぬ
「ありがとう二人とも」
お姉様が言う。私は肩をすくめた。
「結局、意味のないことをしちゃったわ」
「そんなことないわ。すごく嬉しかったもの。おかげで、素直になれたわ」
そしてハリルとまた熱い視線を交わす。お互いを思い合う二人の姿を見てほんの少しだけいいなあと思った。
ちなにみレイアはわーわーとわめきながら、どこかに走り去って行った。クロに池に突き落とされたけど、それだけの元気があればきっと大丈夫でしょう。また邪魔をしてくるようなら、また私ががつんと言ってあげるだけよ。
「ほらマグリナ、家に帰ろう」
と、クロがそう言って私の前に背中を向けて屈んだ。
「なに?」
「足首捻っただろ、おんぶしてやる」
珍しく優しいクロを疑ってみる。罠はなさそう。ゆっくりとその背中に体を預けるとそのまま立ち上がった。
わあ、目線が高い。お姉様を見下ろすなんて新感覚だわ。ハリルとお姉様は私たちを見て笑った。
「じゃあね、マグリナちゃん。また家で」
「うん、お勉強頑張ってね、お姉様」
私とクロは学園を後にした。
クロの温かい大きな背中に負ぶわれているとなんだか気恥ずかしくて、もじもじしてしまう。
「クロ、私でぶでしょ? 重いなら降ろしてもいいわよ、もう歩けるもの」
しかしクロは振り返らずに言った。
「別に重くない。オレは男だし平気さ。それにマグリナはそこまで太ってない。マグリナは……」
何かを言いかけてクロは黙った。だから今度は私が言った。
「さっき、ありがとう。レイアの前でかばってくれたこと」
魅力があると言われて、たとえ口から出たでまかせだとしても嬉しかった。
「いつも思ってた。マグリナといると明るい気持ちになれるし、楽しい。本当はそういう人間が一番すごいんだよ」
クロは前を向いてるからどんな表情をしているかわからない。クロはまた言った。
「マグリナのこと、いつもかわいいって思ってる」
「ちびでぶって言うじゃない。女の子に言ったらだめよ」
「本心じゃない。ごめん。オレはちょっとポンコツなんだ。本当はマグリナはかわいいよ」
いつになく慰められているような気がしてものすごく恥ずかしい。話題を変えなきゃと思っていつも通りの調子で言った。
「でもひどいわ! 王子様だったのを隠してるなんて!」
「別に、言う意味ないだろ、オレはオレだし」
まあ、それもそう?
歩くクロに合わせて私は揺れる。学園を出ると馬車がある。そしたらおんぶも終わりだ。そう思うとなぜか少しだけ残念な気がした。
「結婚、申し込まれただろ?」
「え」
突然クロが話題を変えた。どうしてそれを知ってるの!? と訝しんだけど、ああ、空気の読めないお父様が言ったのねと気がついた。
「そうよ! お金目当てのね! 暖炉に放り込んで燃やしてやったわ!」
「お金目当て? なんでそう思う?」
「だって私に結婚を申し込んでくるような人よ! そうに決まってる」
「もしかして、釣書の中身、見てないのか?」
「見てないわよ、結婚なんて興味ないもの!」
「はー、なるほど。中を見てないのか」
クロはなんでかほっとしたように言った。
馬車の前まで来ると、私はそっと椅子の上に降ろされた。向かいにクロが座る。
目が合って、少し困ったようにクロが笑った。私は目をそらした。やっぱり、顔はかっこいい。性格は……口は悪いけど、悪い人間じゃない。むしろ面倒見はいいのかも。照れをごまかすように咳払いをして話しかける。
「でも、お父様が隣国の国王とお友達だったなんて知らなかったわ。一体どんな関係があったのかしら」
「ああ、マージャン友達だそうだ」
「ま、マージャン……」
絶句した。
世の中、どこでどんなつながりがあるか分からないものね。
*
「うわああああん!!」
絶対に嫌だった。本当に嫌だった。
玄関の話し声が聞こえないように私は大声を上げて泣いた。
でも、聞こえてきてしまう。
「クロ、今までありがとう。とても楽しかったわ」
「こちらこそミシェルちゃん、オレも隣国に友達ができて嬉しいよ。ハリルとお幸せに」
「手紙を書くわ」
「あー、短めで頼む」
二人の笑い声。
「フィッツジェラルド卿。オレの我が儘に付き合わせてしまって本当にすみませんでした。それに、“あの件”は、オレが急ぎすぎたみたいです。彼女にはまだ早かったらしい」
「いやいや! そんな言葉をかけていただけるなんてもったいない! 不肖の娘で申し訳ない」
お父様とクロの声。なんの話かわからないけど、やっぱりふたりも笑ってた。
「マグリナはまだすねて、部屋から出てこないの」
お姉様の声がする。
すねてるって、決めつけて欲しくない。
別に、クロがいなくても寂しくない。寂しくなんて……。考えてるとまた涙が出てきた。
「うわあああああん!!」
でもひどい。
クロが突然国に帰ってしまうなんて。しかもそれを最後まで知らなかったのは私だけだった。毎日クロといたから、いなくなっちゃうなんて考えたこともなかった。
私は泣いた。
泣いて泣いて泣いた。
「あいつらしいよ」
クロの困ったような声が聞こえる。そして玄関の扉が開く音がした。用意されていた馬車にクロが乗り込む気配。
これで本当にお別れなの? こんなに突然、終わってしまうの? さよならも言えずに。
私はたまらず窓を開けて叫んだ。
「クロ!!!」
馬車に乗り込む寸前、クロが振り返った。そして私を見て笑う。
「よおちびでぶ! ひどい顔だな!!」
いつもの調子でクロが言った。
「あ、あなたがいなくなっても、少しも悲しくなんてないわ!」
「ははは、素直じゃないな!」
クロがこちらを見上げてる。優しく笑ってる。そして片手をあげて私を指差した。
「数年後、覚えておけよ! 君をびっくりさせてやるからな!」
そして吹き抜ける風と共に、彼は我が家を去って行ったのだ。