14.転生した悪役令嬢は粛清を望まない
そこまで酷くないのだから、大袈裟だからと説明しても、リゼル様は一向に首を縦に振ることはなく、私はいきなり四日間の休暇が与えられることになった。
頬の痛みは二日もすれば引いてすっかり元に戻っている。けれどもリゼル様は承諾しない。
医師からも大丈夫だと言われたけれど、リゼル様に「心の傷はすぐに治らないでしょう?」と言われてしまい、私は渋々頷いた。
確かに今、グレイ王にお会いしたらと考えるだけで、少しばかり身体が震えている。
(過保護すぎるようにも思えるけれど……)
私は何処か違和感を覚えながら、用意された部屋で一人刺繍をしていた。
王太子専属侍女には、王宮侍女とは別の自室が用意されている。なるべく王太子に呼ばれた際、すぐにでも行動出来るためだ。
王宮侍女の頃に寝泊まりしていた場所から移り、今ではだいぶ馴染んだ部屋になっている。
ただ、毎日過ごすには暇すぎるため、他の侍女に頼んで刺繍のセットだけ持ってきてもらった。
絶対安静に、と言われてしまっているし、何より襲撃してきた犯人も特定出来ない今、無闇に外に出歩くべきではないと分かっていた。なのでこうして、ローズマリーの頃から時間があれば暇潰しに刺繍を縫っている。
(襲撃の犯人は王妃の手のものだと推測されていたけれど……)
これもまた、私には違和感があった。
リゼル様が私に懸想されている事は公にしているわけではない。
もし、ティア王妃が私という存在に気がついたとするなら、リゼル様に対して見張りをつけていることになる。
(う〜ん、そうなのかなぁ……)
そして、グレイ王も私の存在にどうやって気が付いたのか。
恐らくだけれど、国王派の方がリゼル王子との婚約に関して私が邪魔になったため、グレイ王に忠言したという流れが一番筋が通る。
グレイ王は酷い言い方だけれども、他人の忠告には忠実だった。他者の発言を疑わないという、純粋にして愚かな王。
(そのくせ、ローズマリーの事はいつも信じてくれなかったけれど……)
思い出すと胸がモヤモヤするので、さっさと忘れることにした。
考え事をしながらも手は休めず刺繍を続ける。ローズマリーも私も、こうして考え事をしたい時にはよく刺繍を縫っていた。
数枚のハンカチを用意している。既に昨日一枚は完成していた。渡せるか分からないけれど、リゼル様に差し上げようと思い、リゼル様のイニシャルを縫ってみた。
そして今は別のハンカチに刺繍を縫っている。
(渡せない方が良いけれど……)
贈る相手に渡す事がないと信じながらも。
私は刺繍を再開した。
「本当に休みが取れたのですか?」
「そう。頑張ったよ」
確かにだいぶ窶れたように見えるリゼル様が、そう仰って私の手を取った。
以前約束していた休日の日。王城から近い湖に行こうと交わしていた約束は、この間の騒ぎでなくなったと思っていた。
けれど、どうやら本日決行は変わらないらしかった。
「急いで準備をします。少しお待ち頂けますか?」
私は普段着から外出用に支度をしなければと、リゼル様にはリゼル様の自室でお待ち頂くようにお願いした。
急いで髪を三つ編みで一つにまとめ、なるべく動きやすい服を選ぶ。最低限の荷物を用意してからリゼル様の自室に向かった。
「お待たせ致しました」
ノックを二度してからそっと声をかける。
けれど部屋の先から返事はない。
「リゼル様?」
もう一度扉を叩く。やはり返事は無い。
少し心配になったため、思い切って入室することにした。失礼の無いよう入室する旨を告げながら扉を開けてみれば。
「………………」
「………………」
執務机の椅子に座ったまま、腕を組んでうたた寝しているリゼル様がいた。
ほんの少しの空いた時間にも仕事をされていたのかと思うと申し訳ない気持ちを覚えながらも、私は普段見掛けることがないリゼル様の寝顔をまじまじと見つめてしまった。
長い睫毛。どこか幼さを感じさせたあどけない笑顔も眠って表情が無いと別人のように澄んだ御顔をされている。別の人間がいるような気持ちになって、私は胸が煩いほど高鳴った。
起こさないようにゆっくりと入室したけれど、その小さな物音にさえ気付いてリゼル様は瞳をゆっくりと開けた。
「ん……ごめん、マリー。情けないところを見せちゃったね」
「そんなこと……それよりも大丈夫でしょうか。ひどくお疲れのように見えます」
「うん。そうだね……だいぶ疲れてる」
「でしたら……」
だったら、出掛けずに休んだ方が良いのではないかと続けようと思ったけれど。
「だいぶ疲れているから、今日一日ぐらいマリーで癒させて?」
椅子から伸ばした手を私に差し出された。
「……私でよろしければ」
私で良ければ、いくらでも癒して差し上げたい。
そう想う気持ちを胸に押し込めながら、私はリゼル様の手を取った。
乗馬に慣れない私はリゼル様に乗せて頂き、そこまで早く無い足取りで湖へと向かった。
少し離れたところに護衛の方が付いている。顔に見覚えのある方がいた。以前、昼休み中に見かけていた騎士団の方だった。
「寒くはない? マリー」
「はい」
「少しでも冷えたら言ってね。できれば抱き締めて温めたいぐらいだ」
既に密着した状態なのに、これ以上抱き締められたら温かいよりも熱くて溶けてしまいそうなので遠慮したい。
天気も良く、清々しい空気に私は大きく息を吸った。久しぶりに感じる土や風の香りが心地良い。王宮では滅多に無かった大地の匂いはエディグマ領を思い出す。あの頃は、毎日土に触れる機会があった。
数日ぶりに緑ある景色を見ることができて、私の気持ちもだいぶ落ち着いていた。
リゼル様が疲れているというのに、無理して連れてきてくださったことは申し訳ない思いがあったけれど、今は感謝しかない。
到着した湖の付近に馬を休ませ、湖を正面にして大きく息を吸った私は、嬉しさを抑えきれずリゼル様に振り返り笑った。
「連れてきてくださってありがとうございます! とても気持ち良いです」
私があまりにはしゃぐ様子に、少し驚いていたリゼル様が、クスクスと笑った。
「どんな贈り物を渡しても、今以上に喜んでくれることはないかも。どういたしまして」
リゼル様もまた、何処か吹っ切れたように涼やかな顔をされていた。
私達は湖の周辺をゆっくりと歩きだす。
見えないけれど、恐らく遠くから先ほどの騎士が見守ってくれている。
「……あと少しで、不自由な生活も終わるから」
「?」
突然、リゼル様がそんなことを仰った。
「今日、どうしても君を誘って出掛けたかったのは、これから起きることを先に伝えたかったからってこともあるんだ……」
「これから起きること……?」
嫌な予感がする。
「うん……全ての用意が揃ったんだ」
リゼル様のその表情には、諦めたような気持ちも含まれ憂いていた。
「僕の両親、引いては現国王派の貴族達を粛清し、反国王派貴族を率いて僕は戴冠することになる。その用意が」
呆気なく告げられたその言葉は。
反乱の予告だった。
「父と母の悪政は悪化の一途を辿っている。彼らを止めるにも現国王派の貴族諸侯が根付いて中々解消されない。更には僕の婚約者問題で、反国王派と国王派は抗争を激化させていたんだ。その懐柔策が、現在の君がここにいる理由」
王太子の婚約者選びとして、数多くの女性が王宮侍女として雇われたことを指していた。
「時間稼ぎする間に、僕はどうにかして国王派の一派を鎮静化出来ないかと思っていたけれど駄目だった。その間に僕は君に恋をして、君にまで被害が及ぶことになった。僕の選択はいつだって遅い。後悔してばかりだ」
「そんなことは」
リゼル様は首を横に振った。
「君を襲ったのは国王派であることは確かなんだ。反国王派は君の存在を知っても受け止めてくれた。下手に身分高い女性を王妃に付けても王政が乱れるのであれば、どちらの派閥にも属さない、誰の駒にもならないだろう君は、今時点で最良とされている」
「…………」
「嫌な言い方をしてごめん。君を道具扱いする言い方には腹も立つよね」
「いえ、それはいいのです」
ローズマリーの時にはもっと、道具としてしか扱われていなかった。それに比べ、今のリゼル様はとても優しかった。私をちゃんと人として、好きな人として見てくれることが分かるから。
「父が君のところに来た理由も分かった。国王派の者が自身の娘を僕の婚約者にしたいと、父の確約を得ていたらしい。父はその甘言に従い、君を除外しようとした。許せることではない」
「いいえ、リゼル様。駄目です」
私は慌ててリゼル様の袖を引っ張った。
「リゼル様にとってはお父君であらせられます。勿論、是正をすべきだとは分かっております。ただ、このままでは……」
「……うん。父も母も処罰されるだろうね」
寂しそうにリゼル様は言った。
「協力してくれる者にはね、父によって家族を失った者が多いんだ。派閥の争いに負けて処分された身内や、父の発言によって命を落とした者もいる。裁かれるとしても、それは父の行いが原因なんだ」
リゼル様の言葉に、私は嫌な予感がした。
「父は国王として、母は王妃として正しい道を進むことができなかった。その粛清は受けて当然なんだ……」
「……リゼル様。もしかして。その話に、レイナルド公爵はいらっしゃいますか?」
「……うん、いるよ。彼が僕の協力者であり、反乱の首謀でもあるのだから」
暫く躊躇した後に伝えてくれた答えに。
私は嫌な予感が、悲しいことに的中した。