12. 王太子専属侍女の一日
普段と違う侍女服に袖を通して、おかしい場所がないか鏡を見ながら確認する。
普段着ていた王宮侍女服も可愛らしいと思っていたけれど、今日から着る専属侍女の服は王宮侍女服を更に高級に見せるような制服だった。
「……緊張する」
そう。
今日がリゼル様の専属侍女としての初日だった。
「おはようございます」
王族専用の棟に入り、広間で護衛騎士の方と話し合いをされていた侍女長と目が合い、私は深く頭を下げながら挨拶をした。
侍女長とは王宮侍女になった際に何度か顔を合わせることがあった。けれど、こうして直接話をする機会はない方だったので緊張してしまう。
「貴女がエディグマ嬢ですね。立場としては私が上司となりますので、失礼ながらマリーと呼ばせて頂きます。私のことはアマンダとお呼びください」
「はい。アマンダ様」
アマンダ様は、元より私にとって上司にあたる方だったけれど改めて言われると緊張も殊更だった。けれど、アマンダ様は私の緊張を汲み取って下さったのか、穏やかな笑みを浮かべてくださった。
「そう畏まらなくても大丈夫ですよ。貴女の評価は聞いております。とても丁寧な仕事ぶりだったと」
「ありがとうございます」
「専属侍女とは言うけれど、やることは以前と変わりありません。清掃を中心としておりますが、以前と違うところはリゼル王子に関して優先度が変わるというところですね」
それから私は逐一丁寧に専属侍女として従事する業務に関して教わった。リゼル王子のスケジュール、起床時間から就寝までのサポート、補助。必要な物の管理や書類整理まで。
改めてリゼル様が多忙だということが分かった。
「今まで不規則だった昼食時間が、ここ最近はきっちり時間も多めにとっていらしてるのです」
アマンダ様の言葉に私は思い当たる節があった。どうやらアマンダ様には全てお見通しらしい。にっこりと微笑まれた。
「今後は外ではなく、室内で召し上がるということでした。その際は貴女も休憩時間になさってくださいね」
「…………はい」
庭園での昼食時間は、今後屋内に変わることを、私はアマンダ様から知ることになった。
王太子の自室に案内される。
「まずは二度ノックをして、返事があったら名を名乗り入室の許可を頂きましょう」
「はい」
扉の向こうにはリゼル様がいらっしゃる、らしい。
私は緊張した面持ちのままにノックを二度、うるさくない程度の力で叩いた。
「誰だ」
くぐもったリゼル様の声が聞こえた。
少し息を整えてから「マリーです」と答える。
「入ってもよろしいで……」
「マリー!」
話している途中でいきなり扉が開き、リゼル様が嬉々としてそこに立たれていた。
驚く間も無く手を握られる。
「ああ、本当にマリーがいてくれるなんて! 夢みたいだよ……」
幸せそうに微笑まれて、私は嬉しい以上に。
「リゼル様! あの、アマンダ様!」
周囲の目があることも気にしない様子のリゼル様を
どうするべきなのかと混乱していると、アマンダ様がわざとらしく咳をした。
「殿下。公の場で未婚の女性の手に触れるような教育をした覚えはございませんが?」
鋭い眼光でもってリゼル様を制して下さった。流石侍女長様。
リゼル様も気づいたご様子で、慌てて手を離しながらも入室を促してくれた。
「驚かせてごめんねマリー。今日という日を楽しみにしすぎて、気持ちが抑えきれなかったよ」
「いえ……」
私は改めてリゼル様を見た。
普段お会いしていた時とは違い王太子らしい正装服。いつもなら一つに結えていた髪は伸ばしたままで、それがまたとても素敵だった。赤い髪が揺れる度にキラキラと輝いてみえる。
嬉しそうな瞳に見つめられていたけれど、侍女長と共に入ってきた士官の方に声を掛けられると表情を一転して士官に視線を向けた。
「本日の決裁分をお持ちしました」
「机に置いておいてくれ。あと、財務官を呼んできてくれないか? 少し気になる点があったんだ」
「かしこまりました」
朝早くだというのにもう仕事を始められていたリゼル様は、すっかり王太子としての務めに集中されていた。
それでも時々、侍女長に仕事を教わっている私を覗き見ては嬉しそうに微笑まれる。
これでは私の方が全く集中できない。
何とか意識を切り替えて、私は王太子の部屋でやるべき仕事を一つずつ覚えていった。
「お昼はこれからここで食べない?」
ようやく昼になり、私は休憩時間を取るようにアマンダ様に言われるや否やリゼル様が声を掛けて下さった。
「問題はある? アマンダ」
「いいえ、ございません。マリーがよろしければ毎日食事をお届けいたしましょう」
穏やかに微笑まれるアマンダ様は、私の承諾を確認して下さったので、私は頷いた。
「お言葉に甘えてよろしければ、そうさせて頂きます」
「良かった。ここなら誰にも邪魔されないしね」
そう。狙われたことがある私を一人にさせることを危惧していらっしゃるリゼル様は、事あるごとに誘って下さった。
一度襲われて以来、次の手が来ることはない。けれども油断することも出来ない。
アマンダ様が食事を給仕に頼むと、次々と食事がやってきた。普段こんなにも豪華な食事を食べていたのかと驚いた。
よく考えれば、訓練所でお会いしていた時の食事はいつも携帯食だった。
私の考えを読んだようにリゼル様は苦笑した。
「いつもはこうして時間を作って昼食を摂るなんてことはなかったんだ。そのせいかな、今日はやたら豪勢だね」
「ええ。給仕の者が昼食を召し上がると聞いて嬉々として用意しておりましたよ」
「これからは毎日食べるつもりだから。もう少し軽めでいいよ」
「かしこまりました」
このやりとりだけで、私はリゼル様が臣下に愛されているのだと感じた。
王家の雰囲気は良くない。王が執務を放棄し、王妃は享楽にふける中、唯一王家の良心として言われているのがリゼル王子だった。
本来は王が務めるべき裁量を代理で請負い、王妃が行うべき王城のことや孤児院への訪問なども時間が許す限り行っていると、私は王宮侍女になってから知った。
(それだけお忙しいのに、お昼に来て下さっていたのね)
ただの騎士として名乗って、一緒に過ごしていた時間を思い出して私は胸が熱くなった。
「マリーはどれを食べる?」
取り皿を持って私に差し出そうとするリゼル様を、私は全力で止めながら昼食の時間を楽しんだ。
夕刻の時間になった。
今日は一日執務のため部屋で過ごされているリゼル様の元に、何度か王宮侍女であり婚約者候補の方が顔を覗きに来ていた。
しつこく付き纏う様子を見るに、私は嫉妬よりも気の毒という思いが強かった。
(あれだけお忙しいのに、婚約者問題でさらに時間を潰されるだなんて)
これでは疲労が溜まるのも無理はない。
どうにか解消出来ないかと考えていると、リゼル様に名前を呼ばれたため傍に立つ。
「お呼びですか?」
「うん……紅茶を一杯貰っていいかな」
「かしこまりました」
夕刻も過ぎて疲れた様子のリゼル様に、私は少しでも気分転換になるよう紅茶を煎れる。茶葉の場所も、紅茶に関するリゼル様の好みもアマンダ様から教わったため、言う通りに淹れてリゼル様に差し出した。
「…………はあ。癒される……」
「喜んで頂けて何よりです」
「……僕が癒されるのは紅茶だけじゃないけどね」
上目遣いに微笑まれて、私は何も言えずに他所を向いた。
「こんな毎日になるだろうけど、付いてきてくれると嬉しい」
「…………勿論です」
リゼル様の新しい一面を知ることが出来た専属侍女の仕事に、私は満たされる思いを感じながら一日を終えた。