11.(リゼル視点) 家族との決別
騎士になりたかった。
騎士になり、その剣で大切な人を護る姿は憧れだった。
王子として生まれた彼は、常に護られる側の人間だったからだ。
けれど、王子という立場のまま大切な人を護る方法があるのだと、マリーと出会った事で知った。
好きな人ができて浮かれた気持ちは、マリーが何者かに襲われた事で一瞬にして霧散した。
自分が好きになっただけで、想い人の命すら危ぶまれる立ち位置になってしまうのだと、考えることはあっても真に理解することが出来ていなかったリゼルを改めて思い知らせる出来事だった。
次期王位継承の立場であるリゼルの妻は、次期王妃候補でもある。
一人の女性を選ぶだけで一国を揺るがすような大事だと分かっていた。だからこそマリーに出会うまでは、恋愛などという感情は一切抜きにして妻を娶ることになるだろうと思っていた。
けれど知ってしまった。
恋はあまりに幸せで、辛く、強くなれるのだと。
たとえ報われない想いになろうとも、自分のせいでマリーが傷つくことだけは許せない。
だからこそリゼルは心を決めた。
自身の立ち位置を強めることを。
王太子という立場のまま、マリーを護るのだと。
それは、リゼルが憧れた騎士の想いと同じ愛する人を護りたいという感情だった。
決心してからリゼルの行動は早かった。
まずマリーの周辺を警護し、先日の襲撃した犯人を特定させた。
報告から、マリーの事を襲おうとした犯人は王妃であるティアの可能性が高いとされた。
王妃は隣国や旧ダンゼス一派との繋がりが強い。今回の婚約者候補では、ティアの息が掛かった隣国の姫も勤めている。
王妃の命で専属の侍女や側付きの侍女として訪れる女性も居た。全て断っていたが。
日頃は全く接点の無い母が、リゼルの想い人を把握し襲おうとしたのであれば。
それほど恐ろしいことはないと思った。
常に監視されていると考えた方が早い。急いで対処すべきと判断した、リゼルはローズ公爵と相談の場を設けた。
ローズ公爵は両親を恨んでいた。そして、婚約者選びに関しても統括している立場にある。
リゼルに好きな相手がいることも知っているローズ公爵が、リゼルにとって誰よりも相談しやすい相手でもあった。
「一刻も早く王位を継承しましょう」
全ての顛末を説明をした上で、ローズ公爵はそう告げた。
元々、いずれは王位を継承するためにローズ公爵と話はしていた。王としての実務を半ば放棄している父をそのままにしてはならないと、他諸侯も含め極秘裏に会議を行うこともあった。
早々に行動すべきだという諸侯の声をリゼルは聞き入れていなかった。できれば穏便に退位をして頂くべきだと難色を示していたが、今こそ決断の時なのかもしれない。
「今が動く時なんだね……」
「はい。王子にとっては苦渋の決断かと思いますが」
無表情ながらローズ公爵が気遣ってくる。彼にとっては復讐してもしきれない相手である父の退位。喜ばしいと本来笑顔を浮かべてもおかしくなかったが、リゼルを慮ってくれているようだった。
「いや、これまで決断できずにいた僕に責がある。公爵には苦労をかけるが助力頂きたい」
「勿論です」
そこでようやくローズ公爵は微笑んだ。
その笑顔の裏で、どれほどの感情が渦巻いているのか、リゼルには分からなかった。
マリーに護衛がついて暫くした頃、ローズ公爵と宰相主催の舞踏会の日が近付いた。
黒髪のリゼルなら喜んでマリーをエスコートして、ダンスを誘っただろう。
けれど王子であるリゼルが踊っては、その相手が婚約者候補であると断言するようなものだった為、リゼルは諦めていた。
けれどせめて、マリーを美しく飾る姿に自身の贈り物を身につけて欲しくてネックレスを贈った。そして、願いを込めた招待状をアルベルトに託した。
舞踏会で見かけたマリーは本当に綺麗だった。
周囲の人々が霞んで見えるぐらいに美しい。リゼルの欲目だけじゃない。誰もが彼女を見つめるだろうと思うと、信じられないぐらい嫉妬心が芽生えた。
薄暗い感情を抱いた自分に驚いた。
ああ、やはり自分は父と母の子だ。この醜い感情が思うまま、マリーを抱きしめ自身の想い人だと高らかに宣言したい気分だった。
それでも、リゼルは理性をもって王子として振る舞った。
ファーストダンスには母を選んだ。
これが、最後の機会だと思ったからだ。
久方ぶりに声をかけた母は優雅に微笑みリゼルの手を取った。
若く見えるティア妃。かつてグレイ王が寵愛した王宮侍女。
「貴方からダンスのお誘いだなんて嬉しいわ、リゼル」
「……こちらこそありがとうございます」
優雅に舞っている母の笑顔が昔は怖かった。今も見ていると体が強張る。
「今日はね、貴方に紹介したい女性がいるのよ? お隣の国の素敵なお姫様なの。貴方に一目惚れして、どうしてもお会いしたいってお願いされているのよ」
「……そうですか」
「もし良ければこの後ダンスを踊ってもらえない? ほら、あそこで貴方を見ている女性よ」
ダンスをしながら相手を紹介されたけれど、リゼルは話題を無視して母を呼んだ。
「母上。今から申し上げることは、私にとって最後の親孝行です。どうか、全ての地位を放棄し離宮にお逃げください」
この発言は、ローズ公爵が聞けば裏切りだと思うだろう。けれどリゼルは、僅かにでも残る母への良心から告げずにいられなかった。
「なあに? リゼルったら」
「私は本心からお告げしております。母上のお立場はあまりにも危険です。どうか私のわがままをお聞き頂けませんか?」
リゼルにとって、これは最後の忠告だった。
しかしティアは面白そうに笑うだけだった。
「リゼル。貴女は母の事をまるで分かっていないようね。離宮になど行って何が愉しいというの? 退屈な生活など、死んでいるのと同じだわ」
母と呼ぶ人の瞳の奥には残酷さが垣間見えた。
そうだった。母はそういう人だった。
人の安寧よりも、己の快楽を。
国の未来よりも、自身の現実を大切にする狡猾な人。
「……そうですか」
リゼルには、それ以上言葉を続けることが出来なかった。
寂しさを覚えながら、ダンスを続けた。
少女のように踊る母の姿を瞳に刻んだ。
母は、とても美しかった。
母と踊り終えた後、幾人もの女性にダンスを申し込まれたが、リゼルは用事があるからとその誘いを断り、別室にいるローズ公爵の元に向かった。
「事を進める決心はつきましたか?」
開口一番に公爵にそう言われた。リゼルの行動は見透かされていたようだった。恐らく母と踊った時の内容も見透かされているだろう。
「ああ。もう躊躇するつもりはない」
それだけ告げると、リゼルはすぐその場を離れた。
リゼルを見送ったローズ公爵は、胸元にしまっていた麻袋を握りしめた。
愛おしそうに、優しく撫でる。
「もうすぐですよ、姉様」
愛する人に囁くその声は、誰にも聞こえることはなかった。