8. 舞踏会の幕開け
訓練所の片隅、木陰が心地良い休憩場所。
いつもの私なら、何の躊躇もなくその場に向かい、休憩用に置かれている椅子に座り昼食を食べている。
けれど今はその一歩が踏み出せない。
手には昼食に用意してもらったお弁当。
そして目線の先には、リゼル王子がいた。
私が見慣れた黒髪の姿で。
リゼル様は、私に気がつくと笑顔を向けて私に寄ってきて下さった。
「マリー!」
「……こんにちは、リゼル王子」
私の目の前で立ち止まったリゼル王子は、私の編んだ長い髪に触れながら苦笑した。
「マリー。僕のことはリゼルと呼んでって教えたよ?」
「ですが……」
「ねえ。君の声で呼ばれたいんだ」
羞恥で死ぬ前に、私は音をあげる。
「リゼル……様……」
「うん。良く出来ました」
笑顔を向けられる。
近頃の私は、リゼル様のペースに流されて心臓がもたない。
告白を受けた翌日。
昼食をいつもの場所で取るべきか悩み、足を動かせずにいた私を予想していたのか、わざわざ私を迎えに来てくださった。
「王子だと黙っていたことを許して欲しい。できることなら、このままずっとお昼を共に食べたい」
なんて許しを乞うように言われてしまい。
私は嫌だなんて言えるわけもなく頷いてしまい、今に至る。
リゼル様から教えて頂いたけれど、黒髪は鬘で、お忍びの時に使用しているらしい。
それと、先日襲われた件もあるからしばらくは見えないけれど護衛がついているとも言われた。
驚いて周囲を見渡すけれど、全くどこにいるか分からない。私が気にすると思って最大限存在を消すようにしているらしいけれど、本当にいるか分からない。
「できるものならば、僕が貴女を護りたい」
「そんなっ」
「分かってるよ。でも、やっぱり悔しいね」
好きな女性を自分で護れなくて不甲斐ないとリゼル様は仰るけれど、私は嬉しかった。
正直、襲われてからは一人で居ると怖かった。突然強引な力によって体を押さえ込まれた恐怖は早々に消えるものではない。
だから、姿は見えなくても護られていると分かるだけで安心できた。
「そうだ。今日はマリーに渡したいものがあったんだ」
リゼル様は思い出したように胸元のポケットから小さな箱を出した。
「どうか受け取ってくれないかな」
「はい……」
簡素な箱に入っているので思わず受け取ってしまったことを、私は後で後悔する。
何故なら、開けてみれば輝く宝石で作られたネックレスが入っていたからだ。
私の名前の元になったというマリーゴールドの花を宝石で象られている。どれだけ希少価値のある装飾なのだろう。
「受け取れません!」
思わず箱ごとリゼル様に差し出すけれど、そのまま手を戻されてしまった。
「受け取って。そしてどうか、舞踏会でそれを付けてくれないかな」
「舞踏会にですか……」
「うん。舞踏会まであと少しだけれど、僕は貴女をエスコートしたいし、貴女とダンスをしたいと思っているんだ」
「…………」
「でも、そんな事は出来ないって分かってる。その代わりに貴女を慕う想いだけでも形にして贈りたかったんだ」
舞踏会まであと数日となった今、城内はとても慌ただしかった。
リゼル王子の相手が決まるかもしれないと噂される舞踏会では、今まで沈黙していた派閥までもが大きく動いていると聞く。
この舞踏会で婚約者が決めるという噂が真実か分からないけれど、今まで以上に婚約者に関して動きがあることは間違いない。
「まだマリーから返事を貰っていないのに、貴女に婚約者の騒動に巻き込まれてほしくない。けれど」
リゼル様が私の手を取り、流れるように手のひらに口付ける。
されるがままだった私はその場で凍りついた。
「どうか僕以外の人とダンスをしないで。貴女が別の男性と踊っている姿を見てしまったら、僕は貴女を攫わずにいられない」
「はぃ…………」
変な声が出てしまった。
「それは承諾ってことでいい? 誰とも踊らない?」
唇が指先をなぞる。
「はい、はい……!」
今度は息巻いて返事してしまったのは不可抗力。
「ありがとう、マリー!」
嬉しそうに、満面の笑みで見つめられたら。
何だって許してしまいそうになる。
ああ、この方は。
本当にティア様の血を継いでいらっしゃるわ……
小悪魔のように相手を誘惑する。
純粋な想いをぶつけてくるその姿を。
弱い私は拒絶することができなかった。
そうしてあっという間に舞踏会の日はやってきた。
「見て、マリー! すごいわ! もう、すごいすごい!」
「ニキ、落ち着いて」
興奮気味にはしゃぐニキは、可愛らしいフワフワした水色のドレスを揺らめかせながら舞踏の大広間ではしゃいでいた。
中に入れば多くの女性達。それ以外にも使用人の男性や、訓練所で見かける騎士の姿もあった。
本当に慰労を兼ねているようで、使用人の姿が見かけられる。けれど大体が婚約者候補として来ている侍女達だった。
格式ばった舞踏会ではないので、招待状や入場時に名前を呼ばれることも、男性のエスコートも必要としていないので、私は着替えた後ニキと二人で会場に入室した。
「マリー、とっても素敵よ」
「ありがとう。ニキもとっても可愛い。恋人が来ていないのが残念だわ」
「本当ね〜でもいいの。彼に見せる姿は結婚式の時まで取っておくわ」
可愛らしいニキの発言に私は笑った。
「ねえ、マリー。そのネックレスってお城から借りたもの?」
「えっ……ううん。頂きものよ」
目敏くもリゼル様から頂いたネックレスを指摘され、私はつい首元に手を置いた。
結局、私はリゼル様のお願い通り、ネックレスを付けている。
「すっごく素敵だから目に入っちゃった。お花の形をした宝石なんて初めて見たわ」
「そうね。私も初めてで驚いちゃった……」
「あれ〜? もしかして、気になってた人? 一緒にお昼を食べてる」
そういえば、ニキ には話をしていたんだった。
それも、まだリゼル様が王子だと確信していない時に。
「……うん、そうなの」
「まあ! それじゃあ、もしかしたら今日来ているのかしら? 一緒にダンスをしたらどう?」
「…………そうだね……」
私はどうにか微笑んでニキに返す。
するとファンファーレが会場に響き渡る。
王族の入場の合図だ。
私達は門の前を一斉に見つめた。まず入場してきたのはグレイ王とティア妃。そして後ろからリゼル王子の姿。
燃えるような赤い髪。穏やかなサファイアの瞳が小さく笑みを浮かべている。
私は王子としてのリゼル様を、初めて身近で見た。
いつも見せる子供のようなあどけない笑顔が嘘のように落ち着いていた。
リゼル様が顔をあげた時に目が合った気がした。
私は思わずドキドキしながら見つめてしまったけれど、リゼル様は静かに笑顔を向けた後、他の方にも笑顔を向けられていた。
そんなこと、王子なのだから当たり前だというのに。
私はどこか虚しいような気持ちが生まれていた。
(分かっていたことなのに)
思わず胸元のネックレスを握りしめる。
(リゼル様は王子だと、分かっていたことなのに)
どうして私は、こんなに胸が苦しいのだろう。