8.(過去)亡き悪役令嬢に花を捧ぐ
「お願いよレイナルド。貴方だけでも幸せになって」
姉は鉄格子の向こうから手を差し伸べながらそう告げた。
「無理です、姉様」
姉の手を取り、細くなった指先に口付ける。
貴女がいないのに幸せになんてなれるはずがない。
「レイナルド、お願いよ」
弱々しい声色の姉様。愛しい姉様。
「父様もじきに裁かれるでしょう。貴方だけでも巻き込まれないで」
父なんて、あの男なんてどうなっても良い。
大切な姉にこんな惨たらしい仕打ちをした男など、父親と思うだけで虫唾が走る。
「姉様のお側にいます」
「お願い。どうか早まらないで」
悲痛な姉の叫び。
姉の願いなら何でも叶えたかったが、それだけは受け入れられない。
姉に置いて逝かれるなら、いっそ一緒に死んでしまいたい。
そんな想いを感じているからこそ、姉は必死になって自分を止める。
姉は私にとって唯一の肉親であり、唯一の支えだ。
母違いの姉は、生まれてすぐに実の母から見捨てられた私を誰よりも愛してくれた。
父は長兄を跡継ぎとして、長女を王太子の婚約者として使い、私をただの保険として扱った。兄に何かあった時のための保険。
愛情が欲しかった幼い頃の私に手を差し伸べてくれたのは、姉であるローズマリーただ一人だった。
その姉が父に利用され、婚約者に裏切られ、冷え切った牢獄に閉じ込められているというのに。
救い出すことすら出来ない己が不甲斐なさすぎて嫌になる。
「レイナルド」
姉が涙に濡れる私の頬に触れた。
「大丈夫よ。私はいつも貴方の傍にいるわ」
その言葉は、いつも夜泣きしていた私に付き合ってくれた姉の口癖だった。
『おやすみなさいレイナルド。姉様はいつも貴方の傍にいるわ』
寂しさに泣いて過ごす夜を、いつも彼女はそう言って頬を撫でてくれた。
「……っ…いや、です……姉様……」
涙が溢れて止まらない。
どうか置いていかないで。
貴女を誰よりも愛しているんです。
姉様。ローズマリー姉様。
頬を涙が伝う。
久し振りに姉の夢を見た。
レイナルドは起き上がり、痛む頭を押さえながら傍机から水瓶を持ち上げ、コップに注ぎ水を飲み干した。
十年以上前の記憶は、今でもレイナルドを蝕み、そして慈しむ。
起き上がるとガウンを羽織り、毎日欠かさず執事によって用意された花束を手に取り寝室を後にした。
最低限の召使いのみを雇った北部の古城。
レイナルドが領地を構えて数年が経った。
薔薇模様の紋章を刻む城の地下に燭台を灯し進む。
ヒヤリとした冷気がレイナルドを包む。
地下にはローズマリーの遺体が眠っている。
城に仕える者は誰一人として素性を知らない墓前に、レイナルドは毎日必ず花を添えている。
「おはようございます、姉様」
姉を模した石像の下には、姉の遺体が眠っている。
昨日供えた花を横に退かし、新たな花を供える。
レイナルドにとって姉に会うことは日課であり儀式でもあった。
「姉様。貴女を殺した奴等をどうやって懲らしめたいですか?」
毎日挨拶と共に尋ねる。
「同じように絞首刑にしましょうか。それとも斬首刑?囚人として強制労働に服役させるのも悪くはありません」
つらつらと復讐方法を提案するレイナルドの表情は子供のようにあどけなかった。
普段、冷徹な印象を持たせる氷の公爵と呼ばれているレイナルド・ローズを知っている者ならば誰もが驚愕するだろう。
「ようやく準備も整ってきたので、あとは方法を決めるだけなのですが……」
ふむと、レイナルドは顎に手を添えた。
「どの手段だと姉様が喜ぶのかが思い浮かばないのです。何より、ひと思いに済ませてしまうのも味気ないですし」
仮にも手を下す予定の相手は王族。
準備を整えるのに二十年も掛かってしまった。
どうせなら長く痛めつけてやりたい。
長い期間に亘り、姉を苦しめてきた罪を裁いてしまいたい。
遠くから刻限を告げる鐘の音が聞こえる。
「時間ですね。また参ります」
恭しくお辞儀をしてからレイナルドは墓前を後にした。
レイナルドの耳に鐘が鳴り響く。
処刑を告げる鐘の音は、今でも彼の耳にこびりついて離れない。
涙を流してレイナルドを見つめながら処刑された姉の姿と共に、レイナルドの記憶の中で永遠に繰り返される光景。
それでも最期の瞬間に微笑った姉が何を思い描いたのかは、繰り返し思い出しても分からなかった。