1.元悪役令嬢と黒髪の騎士
リゼル王子との番外編です
本編での王宮侍女になったあたりからのifストーリーです
女性は噂話が好き。
「ねえ、リゼル王子の婚約者って結局どうなったの?」
一人の侍女が声を潜めて隣の侍女に聞いてくる。
「まだ決まってないみたいよ。リクスヴェール伯爵の令嬢が奮起しているって話だけど」
「あれじゃ無理に決まってるわ。だって……王子を見つけるたびに嫌がられてるじゃない。あれじゃあ……ねえ」
クスクスクス。
侍女の噂話は鳥の囀りよりもよく響く。
「今回のお話ってローズ公爵が起案されたって話、本当なの?」
「そうらしいわよ。婚約者がなかなかお決まりにならないから、だったら王と同じようにご自身で選んで頂くべきだって仰ったらしいわ」
「なんでそんなに詳しく知ってるのよ」
「その会議に居合わせた侍女から聞いたから確かよ」
王宮内に隠し事は出来ない、と私は心の中で認識した。
女性の噂話好きは、私も女性なのだからよく分かる。
けれど、地元であったような可愛らしい噂ではなく、王宮に出回る噂は、一歩間違えれば国の采配に関わることだというのに。
(こんなに筒抜けって……大丈夫なのかしら。この国……)
私はため息を吐いてから、自身に与えられた仕事を再開した。
懐かしい王宮の中を掃除していると、ローズマリーの思い出を辿るようで楽しかった。
ローズマリーとは、かつてこの国の王、グレイ王子の婚約者だった。しかし派閥の政力争いや、王子が現王妃であるティアに恋をし、結果ローズマリーは死罪へと追いやられた。
そんな、前世の記憶を思い出した私、マリー・エディグマが、何の因果か前世で命を落とした王宮に侍女として仕えている。
その事に関して、過去は過去、今は今だからと割り切っている。
だから、過去に繋がり深いローズマリーの弟であるローズ公爵とも、ローズマリーの騎士であったあるアルベルト・マクレーンとも接点を持たないようにした。
彼らを過去に引き戻させるわけにいかないと、私自身の思いか、それともローズマリーの思いがそうさせるのか、決して明かさないでいようと胸に誓っていた。
それでも、懐かしさを噛みしめたいような気もして、休み時間の合間に騎士団の敷地を覗いたりもしている。
そして今日も、休み時間になったので厨房で分けてもらえたサンドイッチを片手に騎士団の訓練所を見に行こうと思っていた。
他の侍女には、そんなむさ苦しいところに行って何が楽しいのかと言われているが、以前から騎士に憧れを抱いていた私には楽しい場所だった。
(小さい頃は騎士の真似をして兄を困らせてたっけ……)
ローズマリーのしていた騎士ごっこは、自身を姫にして遊んでいたが、今の私は自身を騎士にして兄と決闘だ! なんてはしゃいでいたお転婆娘だった。
口酸っぱく兄が「よくあんな男勝りなマリーが、令嬢になんてなれたもんだ」と馬鹿にするが、それに対して言い返すこともできないぐらいには男勝りだったかもしれない。
それでも、淑女らしくあれと言われた時には、周囲が驚くほど礼儀作法が身についていたのは、今思えばローズマリーの過去があったからなのだろう。
騎士団の訓練所に向かうため通る王城の中庭では、今日も侍女の仕事をろくにせず、リゼル王子を探す令嬢の姿があった。
侍女の制服を支給されているというのに、独自のデザインで華やかにした侍女服を着たり、匂いで咽そうな香水を付けた女性達が火花を散らしながらも王子を探している。
私自身、リゼル王子の素顔はろくに見たことがない。就任初日に挨拶があったけれど、あまりにも広間の遠くから眺めたため、印象に残っているのは王妃であるティアと同じ赤い髪であったことぐらいだ。
中庭を通り過ぎる私の事など気にもしない令嬢達が噂話を始める。ああ、ここでも鳥の囀りが始まるようだ。
「今日も見つからないわ」
「いったい何処にいらっしゃるのかしら」
「何としても王子の寵愛を受けるのよ!」
「あら、貴女のお顔じゃあ残念だけど難しいと思うわよ」
「ええ本当に。ご愁傷サマ」
クスクスクス。
ここの鳥はだいぶ性悪なようだった。
牽制しあいながらも、そもそも競うべき王子が見つからない。
リゼル王子は巧妙な方だった。
ある時は自身の似た身長の配下に赤髪の鬘を付けて歩かせて、女性の視点をそちらに向かわせた。ある時は偽の伝令で城の隅で執務をしていると伝えさせ、狙う令嬢達を一点に集めさせている間に己の自由を手に入れていた。
その行動から、王子が婚約者を選ぶことを望んでいないというのはよく分かる。ちなみにこの情報も同僚の侍女からである。噂は本当に怖い。
ハイエナのような令嬢達を横目に通り過ぎ、私は今日も定位置としている訓練所の隅に置かれた長椅子に腰掛ける。
木々により日陰となったこの場所は、風もよく通る心地の良い昼食場所だった。
「今日は練習がないのかな」
眺めようと思っていた訓練兵は見当たらない。不定期に訓練を行っているため、今のように誰もいないこともある。そうした場合は静かに景色を眺めながら昼食を楽しむのだ。
手に持っていたサンドイッチの包みを膝の上に広げ、長閑な天気の下で食べ始める。
サンドイッチの具は卵とレタス、それに朝食の残りらしいベーコンを挟んだものだった。どれも王宮の一流料理人が作っているため味はお墨付き。
(はじめは王宮なんてって思ってたけれど、こうして美味しいご飯も食べれて高いお給金も頂けるなら良いものね)
ローズマリーのような窮屈だった王宮の姿は何処にもない。
一介の侍女には縁のない話なのだから。
そう、ぼんやりと考えながら三つ目のサンドイッチに手を伸ばした時。
訓練所に一人の男性が入ってきた。
髪は黒く、服も上等ではあるが質素なもの。顔立ちは整っているが若く、私よりも一つ上だろうか。
(新兵かしら。身なりからして貴族のようだけど……)
王宮の騎士団は、身分を重視しているわけではない。ある程度教育を受けたもので、入団試験に合格さえすれば、それこそ平民でも騎士になることは出来る実力主義だった。それでも貴族の推薦で入ってくる者もいるらしい。坊々な貴族の子息は訓練の厳しさですぐに退団するらしい……この噂は、確か騎士団侍女を一時勤めていた女性から聞いた話だ。
黒髪の青年は手にしていた木刀を正面に据えると、一人稽古を開始した。
綺麗な剣裁きだと思った。よく言えば剣舞のようだった。
(やっぱり貴族の新兵ね)
習ったような剣技は、技術が高いことがひと目見れば分かる。けれど今までずっと訓練所で訓練を見てきた身としては、実践を受けていないことが分かった。
黒髪の男性が振るう剣には強かさや意地汚さ、生きる執着心が見えない、戦で剣を交えたことがない剣技だからだ。
なぜただの侍女である私がそんなことに気づいたかと言えば、訓練所で見てきた目もあるけれど、それよりもローズマリーの記憶から得た知識でもある。
自身の騎士であるアルベルトがよく言っていた。
訓練と実戦ではまったく違った。実際に戦闘をすることで、訓練では出来ない行動がたくさんあった。とにかく意地汚く、生きることに執着した、と。
アルベルトの訓練姿を見ることも好きだったローズマリー。
その頃の記憶を、今の私も引き継いでいる。
サンドイッチを食べ終える頃になって、ずっと剣を振っていた男性の動きが止まった。流れる汗を袖で拭っている。そういえば服装からしてあまり訓練兵らしくない。きっと気分転換に剣の稽古に来たのかもしれない。
じろじろ見るのも失礼だと思い、私はサンドイッチを包んでいた手拭いをしまい立ち去ろうと思った。
けれどタイミング悪く、立ち上がった時に強い風が吹いて手拭いが宙に舞う。
手拭いが舞う先は黒髪の男性の前。
男性は視界に入った手拭いを反射的に掴んだ。それから手拭いを眺め、ようやく周囲を見渡した。
私の姿を見て、一瞬身体が硬直したように見えた。
「あの、ありがとうございます」
私は急いで男性の前に駆け寄った。
遠目からは分からなかったけれど、男性の瞳の色はサファイヤのように綺麗だった。その瞳の色に、何処か懐かしさを感じた。
「……いえ」
男性は少しばかり素っ気ない雰囲気を見せながらも、丁寧に手拭いを畳んでから渡してくれた。私は素直に手拭いを受け取った。
あまり話しかけられたくないのだろうと思ったので、私は改めて礼を告げてその場を離れようと思ったけれど、何故か声を掛けられた。
「……ここで何をしていたのですか?」
様子を窺うように聞かれた。それもそうか。訓練所に女性がいること自体、不審に思われてもおかしくない。
「昼食を取っていました。ここは王城内より静かですし、剣の稽古を見るのが好きなので」
王城はあふれる婚約者候補により落ち着かない。仲良くなった友人も出来たけれど、それでも田舎で過ごしてきた私にとっては、一人でのんびりと自然を眺める時間も欲しかった。
「そうですか。確かにここは静かで、人があまり来ませんしね」
「はい。もしかしてお邪魔してしまいましたか?」
一人で訓練されたかったのかもしれない。それであれば場所を離れるべきかと考える。
「いえ、そんなことは……あの、貴女も婚約者候補として王宮に?」
「はい、一応。恐れ多い話なので、彼女達のように頑張る予定はありませんけれど」
彼女達、と濁して伝えた真意を男性は理解してくれたらしい。
柔らかな笑みを浮かべてくれた。それだけでだいぶ印象が穏やかだった。とても、人を引き寄せる柔らかな表情を持っている。
それもまた何処か、不思議な既視感があった。
「貴女のように王子の婚約者になりたくない方もいらっしゃるのですね」
「少しですけれどいますよ? 私の友人は故郷に恋人がいる人いますし、王子ではなく王宮に仕えている方と結ばれている方もいらっしゃいました」
友人とはニキ・タジリアのこと。彼女は伯爵令嬢でありながらも地元に恋人がいて、私と一緒に侍女の仕事に専念する良い友人だった。他にも話し相手はいて、その誰もがリゼル王子の婚約ではなく、身分相応の結婚相手を探しに来ていた。
そんな話をすると、男性は苦笑した。
「知りませんでした。皆が皆、王子を追いかけてくるものかと」
「そうですね……あれだけの女性が王子を追いかける姿は私も恐ろしいです。王子は相当怖いでしょうね」
まさにハイエナに狙われる小動物の気持ちだろう。
時折、私に牽制してくる令嬢もいる。少しでも競争者を減らしたいのだろう。令嬢の中では既に派閥も生まれている。これでは何のために婚約者候補を呼び出したのか分からない。
そもそもの発端は、リゼル王子の婚約者を選ぶ際に王国の勢力争いから派閥が生まれ、その事態を回避するためにローズ公爵が起案されたと聞く。
しかし実際ふたを開けてみれば、結局数ある婚約者候補達の間でも派閥が生まれているのだ。
どうあっても波紋を生み出す婚約者騒動。いっそ盤石揺るがないような婚約者がいれば良いのだけれど。
「あの」
考え事をしていた私に、黒髪の男性は視線を真っ直ぐに見据えて見つめてきていた。
やっぱりこの瞳の色は、懐かしい気持ちにさせられる。もしかしたらローズマリーの知人のお子さんかもしれない。
けれど、誰がこの瞳の色をしていたのだろうか。どうしても思い出せない。
「貴女の名前をお尋ねしても?」
「はい。マリーです。マリー・エディグマです」
「エディグマ男爵のご令嬢ですか」
「はい。兄が王宮で士官しております。よろしければお名前をお伺いしても?」
エディグマの名を聞いてすぐに分かるということは、この方はやはり貴族で、もしかしたら王宮に仕えているのかもしれない。
そうなれば顔を合わせることもあるだろうと思い、名を尋ねたけれど。
男性は暫く躊躇し押し黙った。もしかしたら名前を言ってはいけない事情があるのかもしれない。
「申し訳ございません。お聞きしてならないのであれば無かったことにしてください」
「いえ、そういうわけではありません……その……リゼルと言います」
リゼル。
「リゼル王子と同じお名前なのですね」
「そうです……なので、告げることに抵抗があって」
「まあ」
思わず笑ってしまった。確かに、この国の次期王となる方と同じ名前とあっては、比べられることも多いだろう。歳も近いし、下手すれば不敬だと言われかねない。
「お恥ずかしながらフルネームをお伝えすることが出来ないのですが、よろしければリゼルと呼んで頂けますか? 僕も貴女をマリーとお呼びしても?」
「かまいません。よろしくお願いします、リゼル様」
王子の婚約者候補だというのに、私は初めて王子の名前であるリゼルという言葉を発したような気がした。
王子と同じ名前の青年は、私に呼ばれると嬉しそうに微笑んだ。
ああ、とても人懐っこい笑顔をしている。
木々に留まり囀る鳥の鳴き声は。
王宮の鳥と違い、とても涼やかで心地良い声色だった。
「転生した悪役令嬢は復讐を望まない」の書籍発売日が決定しました!
10月10日です!予約も開始されたようです。
ということで、気分を上げるためにリゼル王子との番外編を始めてみました。
それに伴い完結から連載に戻しました。よろしくお願いします。