28.公爵によるお悩み相談室
消毒液の独特な匂いが漂う王宮内の救護院へ数日振りに訪れた。
レイナルドが王城内にある救護院で寝泊まりしながら執務を行っているため、仕事が終わった後や時間がある時に顔を覗かせている。執務中の場合は立ち去ろうと思っているのだけれど、勘の良いレイナルドは何時も私が扉前に訪れると、扉に目でも付いているかの如く声を掛けてくれる。
そして今日も。
「マリーかな。どうぞ」
ノックをするよりも前に声を掛けられ、私はそっと扉を開いた。
中には書類を目に通していたらしいレイナルドがこちらを向いていた。
「仕事が終わったところかな?」
「はい。体調はいかがですか?」
「明後日には元の生活に戻れそうだよ」
以前は本格的に治療をすべきだと病院へ運ばれたけれども、今は傷もだいぶ回復してきたため、王宮内にある救護院と呼ばれる場所に移された。そこは、王宮に仕える者が体調を壊した時のために用意された治療施設で、レイナルドは治療をしながら業務を行うためにわざわざ移動してきていた。
王宮に住む私としても、こうして気軽に会いに行けることは有り難かった。
レイナルドの格好はいつもと違って前髪を垂らし寝巻きに近いガウンを着ていた。病院に入ったばかりの頃は包帯が至るところに巻かれていたけれど、今は背中だけとなった。
「聞いたかな。裁判は明日に終わり刑が言い渡される事になる。罪状をまとめた限り王妃は絞首刑に処されることになるだろうね」
「絞首刑……」
ローズマリーが受けた判決と同じ。
私が考えている事をレイナルドも思っていたらしく。
「貴女が言っていたように、行いは全て自身に降りかかってくるというのは本当でしたね」
レイナルドはティア王妃に対して私が伝えた言葉を覚えていたらしい。
正確にはローズマリーが言った言葉だけれども。
「そうですね……」
今度はあの絞首台に王妃が立つ事になる。それは正直に言えば復讐を果たせるとも言うのかもしれない。望まずとも、世間はそう評するのだろう。けれど私は、あの絞首台に向かう恐怖を彼女が知る事実を不憫に思う。自身の命を奪う縄の感触を死んでも尚私は忘れていない。その恐ろしさを体感することになる彼女を哀れに思う。
「刑の執行時は同席しますか?」
私の事を気遣ってレイナルドが聞いてきた。暫く考えてから私は頷いた。私は、これまでの全てを見届ける義務があると思った。
「その後はどうする予定ですか?」
「実は悩んでいるので相談に乗って頂きたかったのです」
「私に?」
意外そうに聞かれたけれど私としては一番の相談相手のように思えた。
「はい。ローズマリーの事も私の事も一番分かっているのはレイナルド様でしょうから」
はっきりと告げると、更に驚いた様子でレイナルドは私を見た。
私が考える限り、第三者の立場として誰よりも私を理解しているのは、アルベルトでも家族でも無ければレイナルドだと思っている。そして忌憚なき意見を言ってくれるのも彼だと信じている。
レイナルドは少し何かを考えると意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「その分かってるという部分には、恋愛事が含まれているのかな?」
直接的に聞かれると何とも恥ずかしい。
「た、多分……そうかなと……」
「正直な方だ」
よく笑うようになったレイナルドの笑顔が眩しい。恥ずかしくて今は直視出来ないけれど。
「そうだね……まずは貴女の相談事を当ててみせようか。貴女はアルベルトの求婚に応えるべきか悩んでいる。断るわけでもないし、承諾するわけでもない状況で、どう伝えるべきか悩みかねている」
「当たってます……」
「どうもありがとう。更には、騎士団の仕事は魅力があるけれども故郷に帰りたいとも思っている。どちらかを選ばなければならないとすれば……貴女は故郷に帰るでしょうね」
「…………」
「当たってる?」
「はい…………」
相談相手にするなら彼だと思ってはいたけれども、ここまで的中して悩みを当てられるとは。占い師も逃げ出す勢いだ。
「アルベルトの事は嫌いじゃないけれど、答えるには躊躇する理由が貴女の中にはある」
「はい」
またもや的中する。彼は人の心が読めるのだろうか。
「けれど朴念仁なアルベルトは貴女の悩んでいる事について全くもって気付いていない……うーん私としてはそんな奴やめておけば? と言いたいところだけど、彼の良い部分も知っているからそこは言わないでおこう」
十分に言ってますよ。
「そこまで分かっていらっしゃるなら、私が悩む原因もご存知なのでしょうから言いますけど。アルベルト様は、私を通してローズマリー様に恋をしていらっしゃるように思えるのです」
ずっと考えては否定し、それでもやっぱりと考える日々だった。
求婚されてから。告白を受けてから。
焦茶色の瞳が熱を持って見つめる先はマリーではなくてローズマリーなのではないかと。
「ローズマリーだった頃みたいに器量も良くて年も近いなら喜んで告白を受け入れたかもしれません。でも」
「ちょっと待って。これだけは言っておくけれど、マリー。貴女だって充分に器量も良くて素晴らしい女性だ。そこは間違えないで」
強く指摘してくれるレイナルドの優しさが嬉しかった。
「ありがとうございます。ただ、私はどうあっても昔の私そのものじゃない。記憶が残っていても、ローズマリーの生まれ変わりであったとしても」
ローズマリーそのものではない。
それが、私の中で芽生えた時からずっとわだかまりのように残っていた。
だからこそアルベルトが好きだと私を見て伝えてくれたとしても、それを素直に受け取ることが出来なかった。
それでもと。
たとえローズマリーを見ていても構わない。
それでもいいから、彼に好かれていたいと思う浅ましい感情に気付いてからは余計に辛かった。
アルベルト自身を騙すことにもなるし、そうやって通じ合ったとしてもいつかはローズマリーではないと気付かれるかもしれない。
受け入れたいのに受け入れられない葛藤から、私はズルズルと答えを先延ばしにしていた。
レイナルドは黙り、それから少しだけいいかなと言って話し始めた。
「今から話すことは君にとって不快になるかもしれないけど」
予め聞いてくるような事は珍しいけれど、私は迷わず頷いた。
「マリーの言う通りだよ。貴女は姉様の魂を受け継いではいるけれど、姉様そのものではない。たとえ記憶を残していたとしても、たとえ姉様にしか分からない感覚を持ち合わせていたとしても。結局は別の人間。魂は同じだというのに、別人だ」
事実を突きつけている筈なのに。
レイナルドの方が傷ついたような顔をしている。
「私はね。復讐を果たそうと考えていた時、貴女を妻にしようと思っていたんだ」
「へ?」
妻?
意外すぎる発言に、間抜けな声が出てしまった。
「そう。貴女の意思など関係無い。姉様に繋がる貴女の魂を引き留めるには婚姻しかないと思っていたんだ。その考えはティア王妃と似通っていたかもしれないね。貴女を人としてではなく、ローズマリー姉様の一部としてしか見ていなかったのだから」
衝撃的な告白ではあった。けれど。
何処かで納得する部分があった。
「そんな私が貴女に想いを告げたところで聡い貴女はきっと見向きもしなかっただろう。けれどアルベルトは違う。貴女を、ローズマリー姉様の過去をも含めてマリー自身を見ていると思います。アルベルトは不器用な人間だから、私や貴女のような難しい考えなどせず、ただ惹かれるものに惹かれ、愛する者を愛するでしょう。ですがちゃんと貴女の不安を取り除かないアルベルト自身にも非がある。だから試してみませんか?」
「試す?」
「そう。アルベルトを試すんですよ」
そう言ったレイナルドの顔は随分と悪い顔をしていた。