18.騎士の誓いは果たされる
(少し早かっただろうか)
王宮侍女が寝泊まりする部屋の廊下を進み、目的地に到着したアルベルトは緊張していた。
今日は丸一日マリーと共に馬車で移動し、自身の領地となったマクレーン領に向かう日だ。
好きな相手と出掛けるというだけで、これだけ気持ちが逸るものなのかと、三十七という良い年になったアルベルトは不慣れな感情に苦笑した。
恋愛感情といった類のものは遥か昔に捨て置いたものだと思っていただけに、今のアルベルトは思春期の青年のような気持ちが時折現れては自身を燻らせている。
今もそう。本来なら約束の時刻までまだ少し時間があるというのに、早く会いたい一心でマリーの部屋に足が向かってしまった。
迷惑にならないだろうかと思いつつも扉を軽く叩いた。
しかし返事は無かった。
まだ寝ているにしては時間は遅い。支度中だとすれば声を掛けてくるはずだ。
「マリー。アルベルトだが居るだろうか」
少し声を上げて再度扉を叩く。が、返事は無い。
妙に不安がよぎり失礼ながら扉に手を掛けた。鍵が掛かっていない。
「悪いが入るぞ」
もし部屋に居てアルベルトの声が聞こえていなかったのであれば謝罪しよう。そうではなく何かに巻き込まれているのではないか、という不安から部屋に押し入った。
最近、レイナルドとアルベルトに近づく女性としてマリーが陰口を叩かれていることは知っていた。
勿論アルベルトとしても否定し、そのような悪評が立たないよう精一杯行動はしていたが、それでも噂が立つのが王宮というもの。なるべくマリーに害が及ばないよう警戒をしたり見えないようにレイナルドと共に見張ることもあった。
もしかしたら今、彼女に害が及んでいるかもしれない不安がアルベルトを襲った。
部屋の中に入ると、支度し終えた様子が窺えた。出掛けるための荷物も用意されており、あとはマリーさえいればすぐにでも出発できる状態だった。
けれど再度声をかけても彼女の姿は無い。
彼女の性格からして、アルベルトが訪れることを分かっているのに出掛けるとは思えない。
だとすれば、第三者によって部屋から移動させられた可能性がある。
アルベルトは急いで部屋を出た。
とはいえ、目的地が見つからない。どうすれば良いか考えている間に王城内で見張る騎士にマリーを探すよう指示を出した。騎士は状況を理解したらしく、他の者にも伝えるため走り出す。
もし連れ出されたとしたら何処だろうか考える。
王宮の人間であれば人目の無い場所だろう。
王宮外の人間であれば城外に抜け出すはずだ。しかし、王宮内に城外の人間がいればすぐに追い出される。
何より顔も知らない人物に対してマリーが扉を開けるはずなどない。
だとすれば顔見知りだ。
アルベルトは王都内を走る。王宮の使用人を見つけてはマリーを見ていないか問うものの誰一人として見かけていない。
ふと、一人の女性と目があった。
彼女の名前をアルベルトは覚えていた。リエラだ。以前騎士団の侍女としても働いていた彼女と目が合った時、確かな手応えを感じた。
リエラは顔を青ざめたまま、アルベルトの視線を避けた。何かしら疾しさが無い限り目を逸らすようなことなど無いだろう。
「リエラ嬢」
改めて名を呼び。逃げ出されないようにそれとなく退路を塞ぐ。
彼女は俯きながら呼びかけに応えない。もう一度改めて名を呼ぶ。アルベルトの声が低く、普段は女性に紳士的である彼からは想像できないほど威圧を含む声色だった。
「マリーは何処だ」
「わ……私は……」
「言え。彼女を何処にやった」
確信してリエラを脅した。
視線からは殺気を放ち顔を寄せた。これ以上黙るのであれば武力行使も考えている間にリエラの瞳から涙が流れた。
「……備蓄庫です……脅されて、彼女を連れ出しました……」
「分かった……」
すぐさま駆けだしたい思いを一度殺し、近くの衛兵に彼女を差し出した。
「団長補佐に彼女を引き渡せ。マリーの件で事情を聞くように伝えてくれ。あとすまない。弓を借りてもいいか」
衛兵の持つ弓を受け取りアルベルトは走り出した。
剣は常に常備しているが弓矢は持っていなかったため、借り受ける。これ以上の非常事態が起こらないとも限らないため、緊急時に向けて装備を借りた。
事情はわからないにしても時間が無いことだけは分かった。もし嫌がらせで閉じ込めたにしてはリエラの顔は恐怖に染まっていた。脅されたというからには、誰かがマリーを狙っている。
誰が彼女を狙うというのか。
彼女を奪われるわけにはいかない。
怒りを抑えアルベルトは備蓄庫に向かった。中は鍵が掛かっていた。向かう途中に人の姿は無かった。
どういうことか考える。
中に既に誰かいるのかと、思いきって備蓄庫の扉を蹴る。頑丈な作りのため簡単に壊れない。非常事態だと何度か無理やり扉を蹴り叩くと僅かに扉が傾き崩れた。
ここぞとばかりに扉を大きく蹴ると、ようやく中に入れた。
「マリー!」
叫ぶが返事は無い。
奥まで入ると微かに光が差す場所が見えた。
「隠し通路?」
覚えの無い隠し通路に驚きながら、そのまま中を進む。
進んだ先に見えた物置は城外の端に作られた倉庫ということにアルベルトは気がついた。人の少ない場所に何故作られたのかと思っていたが、非常用の出口だったのか。
人が出た痕跡を見つける。窓が壊されている跡も。
アルベルトは後を続くように外に出た。遠くから人の気配を感じた。研ぎ澄まされた感覚から、人に害なす気配だと分かる。
ひたすらに気配に向けて走れば、遥か遠目に男の姿が見えた。
あれだ、と分かった。
男が誰かを捕らえる姿が見えた瞬間、アルベルトは立ち止まり弓を引いた。
遠くても射ってみせる。
マリーに害を与える者を取り除く。
走り乱れた息を整え指を離し、矢が真っ直ぐに飛び男の背に当たる。
男が倒れる。
アルベルトは走り出す。乱れた様子でアルベルトに気がついたマリーがこちらに気が付き。
張り詰めていた緊張が解けるように、彼女の瞳から涙が溢れる。
間に合って良かった。
今度はちゃんと助けられた。
アルベルトは心から喜びに震えながら、涙を流すマリーを強く抱きしめた。