15.愛する人を救う手を(下)
派手な音と共にレイナルドを乗せていた馬車は落ちた。
木々がクッションとなり地面に直撃することは無かったが、木の枝が身体中に当たり、地に落ちた時に身体を大きく打った衝撃で意識を失いかけた。
共に落ちた御者や護衛の者達が微かに呻き声を漏らしている。命が無事であっただけでも喜ぶべきだ。
レイナルドは痛みを堪えてながら身体をどうにか動かして状況を確認した。
大体の者が道から外れ落ちてしまった。先に落ちた護衛の者達は気絶している。そこまでの高さでなかったことと、崖下に木が生い茂っていたために命だけは助けられた。
しかし悠長にしていられない。気を失っている者達の顔を叩き目覚めさせる。
「起きたか。急いでこの場から離れろ」
「レイナルド……様……」
「いいか。ローズ領には戻るな。待ち構えている可能性がある」
倒れている者達をどうにか立ち上がらせる。重傷な者はいないが、無傷な者もいない。
レイナルドは共に落ちた姉の棺を確認した。高い場所から落ちた棺の蓋は釘で刺してあったため外れることなく無事だったが、運ぶことも今はままならない。
悔しさから掌に力を込める。
「賊でしょうか」
護衛の一人が傷を負った者に手を貸しながら聞いてくるがレイナルドは首を横に振る。
「矢尻に特徴があった。恐らく北部の小部族だ」
レイナルドが肩に刺さった矢を引き抜いた時に見た矢尻を思い出す。
それは、かつてレイナルドが騙し制圧した者達の物だ。
彼らがレイナルドに対し報復する理由は十分にあるが、何故今になって。そして、何故レイナルドが馬車を伴って移動する情報を知り得ていたのか。
「時間が無い。動ける者は怪我人を抱えて逃げ隠れろ。馬に乗れる者は王都とマクレーン領まで走れるか」
「レイナルド様はどうされますか」
「私は相手を確認してから抜け出す」
「それは危険です! 護衛を誰かお付けください」
「今のお前達では足手まといだろう。一人の方が行動しやすい」
護衛の者達が項垂れる。今、この場でレイナルドを守れるほど傷の浅い者はいなかった。
レイナルド自身利き腕は動かせない。矢で射られた箇所がズキズキと痛む。下手に動き回るよりも身を潜めた方が生存出来る可能性が高いためにそう告げた。
馬で逃げるにしても、レイナルドはこの場から離れられない。
姉の棺を置いて行くことが出来ないと、狙撃してきた者は分かっていたのかもしれない。
レイナルドには、たとえ姉が既に死して屍になっても尚、側を離れて逃げることが出来なかった。
「追手がそろそろ来る。急いで離れ隠れろ。走れる者は救助を求めてくれ。マクレーン領であれば領主代理がいるはずだ。王都ならリゼル王に報告を」
護衛の者達が頷き、怪我をした仲間や気絶した御者を抱いてその場を離れた。
無事だった馬を使い一人が道を走り出す。狙われる可能性も高いことは承知だろうが、今この場で無駄死にするよりは良い。
一人残ったレイナルドは姉の棺に手を添えた。
「申し訳ありません……姉様」
今になっても尚、彼女を守れない己の不甲斐なさを呪う。重い棺を抱えて逃げることなど出来ない。一度態勢を整えてこの場に戻らなければならない。
「必ず迎えにあがります。どうかそれまでお待ち下さい」
レイナルドは名残惜しい思いを殺し、その場から身を隠すために移動した。
主犯は必ずこの場に訪れるだろう。辺りを探されるだろうことを見越し、自身の痕跡を消しながら隠れる場所を探した。
ようやく人一人分だけ入れそうな大木の穴を見つけ身を潜めた。肩の傷口を手で圧迫しながら痛みを堪える。
額からは脂汗が滲む。どうにか息を殺して相手を待つ。
遠くから馬の鳴き声が聞こえると、落ち葉を踏み歩く馬の蹄と人の足音が聞こえてきた。
「ありました」
遠くに聞こえる声は訛りの強い男の声だった。何人かの騒ぐ声の中を集中して聴き拾う。
周りを探すように指示する声と共に、馬を走らせる音も聞こえる。
その中で異質にも女性の声が聞こえた。
聞き覚えのある、不快な声が嗤う。
「ありがとう。楽しい散歩だったわ」
レイナルドの中に流れる血が沸騰するほどに熱く感じた。
これほどまでに怒りを感じたことがあっただろうか。
忘れる事が無いティアの声が聞こえて、レイナルドは怒り狂いそうだった。
この場に場違いなほど優雅な様子で女性は乗馬していた馬から降ろしてもらい、地に転がるローズマリーの棺の前に立った。
顔を歪めた笑顔を向ける。
「お久し振りですね。ローズマリー様」
少女だった頃と同じように挨拶を交わす。
「まさか亡くなってもまだ利用価値があるだなんて。流石ローズマリー様ですわ」
ティアがローズマリーの棺に近づいて言葉を交わす。まるでその場にローズマリーが存在しているように愉しそうに話しかけていた。
飛び出してティアだけでも首を刎ねる事ができるならレイナルドは飛び出していただろう。しかし、思うように動かない腕では何も出来ない。悔しさのあまり身体は震え出す。
これほどまでに憎いと思う相手がいるだろうか。
復讐を遂げたつもりでいたレイナルドの身体中が相手を殺せと叫ぶ。
殺してやりたい。
姉をいつまでも苦しめる女を八つ裂きにしてやりたい。
しかし感情の赴くままに行動する時では無い。
何故、ティアはここまで行動に移せるのかを考えろ。そして、ローズマリーの棺が移動することを何故知っていたのかを考える。彼女の目的は何か。小部族との繋がりは何なのか。
いくつかの推理を立てて分かった事は、この危険が自身だけでなく、別の誰かにも降りかかる可能性があることだ。
そしてその可能性は、マリーにも降りかかる可能性を見出した。
(頼む……アルベルト……!)
この不甲斐ない、不出来な自身に代わって彼女を守ってくれることを祈る。
もしレイナルドの立てた仮説が正解であるとするならば、マリーにも手が及ぶかもしれない。
それだけはあってはならない。
今は王都にいるであろうマリーとアルベルトに祈ることしか出来ないレイナルドは必死で願う。
このような愚かな事態を招いた己を呪うしか無いままに。
レイナルドは祈り続けた。