14.愛する人を救う手を(上)
久し振りとなる慰霊碑への祈り。
いつも飾っていた花束はすっかり枯れている。これだけの期間、亡き姉の墓前に立たなかったのは今迄無かったかもしれない。
「ただいま帰りましたよ。姉様」
レイナルドは、彼の愛する姉が眠る棺に手を添えた。
飾っていた花束を払い落とし、棺に刻まれる姉の名に触れる。ローズマリー・ユベールという名に、彼女が亡くなった日付を刻印した棺を用意したのは他でもないレイナルドだった。
まさかこの棺を、かつて彼女と共に過ごした地に戻すことが出来るなんて。
レイナルドが二十年の間考えていた復讐のシナリオの中には無かった考えであったことに、彼は苦笑した。ローズマリーの記憶を持ったマリーだからこそ考えられる事だと思った。
レイナルドの姉は、本当に復讐など望んでいなかったのだ。
「長い間、このような暗い場所に眠らせていたこと申し訳ありませんでした。姉様は故郷に帰りたかったのですね。気がきかない愚弟で恥ずかしいです。ですが、やっと貴女の願いを叶えられるのですね」
マリーが告げた復讐方法はローズマリー・ユベールの汚名を晴らし、彼女の魂を故郷に帰す事だけだった。それ以外、彼女自身に望むことは何一つ無かった。
ローズマリーが抱えていた後悔がレイナルド自身の未来であると知った時から、レイナルドには悔恨しかなかった。
何一つ姉の望む結果を見出せなかった己が恥ずかしく、愚かしかった。
更には自身だけでなくアルベルトをも巻き込んだ復讐劇。後悔など絶対にしない復讐だと思っていた。
ローズマリーに屈辱を与え、死を迎えさせた者達を切り刻みたいほど憎らしかった。それは今も呪いのように残っている。
グレイ王を殺す機会があるのであれば喜んで殺したかった。
まだ見ぬティア妃を絞首刑に出来るのであれば嬉々として執り行おう。
しかし死して尚、ローズマリーを苦しめる事は出来ない。
レイナルドは棺に顔を近づけ、冷たい石棺に口付けた。
「私には姉様さえいれば何も望まなかったんですよ」
これほどの激情も憎悪も姉へ向ける想いを何処に吐き出せば良かったのか分からなかったからなのかもしれない。
長い口付けから顔を離し、意を決して立ち上がる。
彼女を故郷に帰らせるために戻ってきたのだから。
黒く塗り潰された荷馬車は質素ながらも上質な素材で作られている。今回の棺移動に伴いレイナルドが特注した荷馬車だ。
剥き出しに運ぶなど考えていなかった。馬車で移動する貴族のように広い屋根の着いた荷馬車を用意した。数名の従者と共に馬車へ棺を運びだす。
棺をかつてのユベール領へ移動するには長い道のりとなるため、数名の護衛や従者と共にレイナルドはローズ領を出発した。
道順は既に決めており、仰々しい移動となるため、あまり大通りは利用しない。好奇の目に姉を触れさせたくなかった。
棺を載せた馬車の前をレイナルドは愛馬と共に進む。北部地方であるローズ領から、ユベール領までの距離は長い。
それでいて山道に入ることもあるため、共に向かう者達は全て馬で移動している。時折崖道を越えないといけないため神経を使う。せめて大通りを使うべきだと従者に薦められたがレイナルドは頷けなかった。
荷馬車を時折ながめながらレイナルドは物思いにふけていた。
考えるのは愛する姉の生まれ変わりであるマリーの事だった。
今、彼女を最も悩ませているものが何なのかレイナルドには直ぐに分かった。残念ながら朴念仁であるアルベルトは気付いていない。彼の事だ、悩む原因すら気付かず思うがままに行動しているのだろう。大変羨ましいと思う。
マリーは、彼女の前世であるローズマリーの影に悩まされている。
どれだけレイナルドが、アルベルトが愛を囁こうと、彼女にはそれがローズマリーに向けられる言葉として受け止めてしまうのだ。
レイナルドにはマリーの気持ちが手に取るように分かった。
何故ならレイナルド自身が、マリーに対してローズマリーの影を見ているからだ。
生者であるマリーに対して冒涜とも言える行為だと思う。
レイナルドは、マリーではなく姉であったローズマリーを見ている己の感情をはっきりと理解していた。
だからこそ、マリーという女性に対しアルベルトのように言葉にして愛情を表す事は出来なかった。
馬に揺られながらぼんやりと、有り得ない仮説を考える。
たとえば。
もし、崖の縁にローズマリーとマリーが立ち、どちらかを救わなければ片方の命が無いと言われたら。
レイナルドは迷わず姉の手を取るだろう。
たとえ崖から地に落ちるマリーの瞳がレイナルドを非難しようと、泣き叫ぼうと、レイナルドは姉の手を取る。
姉からマリーを助けてあげて欲しいと懇願されようが、地獄に落ちる結果になろうともレイナルドはそうしただろう。
レイナルドにとってローズマリーという存在は己にとって全てだった。彼女無くして己の人生は無いというほどに、まさしく彼女によって生かされている。
もし同じ問いをアルベルトにした場合。
彼なら何と答えるだろうか。
そして、その答えの先にマリーが望む答えがあるはずだ。
ふと、何か気になる気配を感じた。
レイナルドは顔を上げ周囲を見渡す。進む道は山道の中でも高低差が激しい場所であり、慎重に馬を進めないといけない道にあった。
上を向けばそびえる山。下を向けば崖のように急斜面。
嫌な予感がしてレイナルドは手を上げた。移動を止める合図だ。
一斉に移動していた者達が止まり、護衛の者達も異様な空気を感じ手に剣を持つ。しかしこの狭い道沿いで戦闘になどなれば危険しかない。
そう、危険だ。
レイナルドが理解した時には遅かった。
頭上から降り出した矢が護衛の馬の背に刺さり暴れ出した。一人が崖のように高い道から悲鳴を上げながら落ちた。
「急げ!」
当たらないよう祈るしかない矢の攻撃をかわしながら、細い道を走らせる。馬が怯え落馬しないよう制御させる。あとは乗馬の技量による。いかに落ちないように走らせるかにかかっている。
背後から護衛や従者の悲鳴が聞こえた。
レイナルドは少し幅が広くなった道で一度止まり後ろを見た。
棺を運んでいた荷馬車の馬に矢が刺さって暴れている光景に息を飲んだ。
このままでは姉の棺ごと下に落ちてしまう。
あってはならない境地に、何も考えず馬を降りて走り出す。
荷馬車を操縦していた御者の肩に刺さる矢を見て、自身が代わりに馬車を運ばせるため御者の隣に座り手綱を引いた。
上から降ってくる矢の数は多くないが確実に一行を狙っている。
御者に頭を伏せるよう叫び、レイナルドは馬に走るよう手綱で命じる。
馬が動揺しながらも走る。車輪が時折外れそうに傾く度、御者が悲鳴を上げている。
レイナルドは歯を食いしばりながら荷馬車を進めさせた。
姉を落とすわけにはいかない。
姉を必ず故郷に帰らせる。
その強い想いが届いたのか、レイナルドの愛馬が待つ道まで荷馬車が近づいた。
一瞬の安堵が気を緩ませたのか。
突如レイナルドを襲った激痛に声無き悲鳴をあげた。
右肩を襲う痛み。思わず手綱を持つ手が緩み。
馬車が、棺がバランスを崩し。
レイナルドは溢れる血をそのままに手を差し伸べた。
無駄だと分かっているのに、どうしてもその手は姉に向けられる。
絞首台で姉が処刑される時もそうだった。
届かない手を差し伸べて。
その手で姉を救いたかった。
けれどいつも掌には何も得られず。
いつだってレイナルドの目の前で、愛する人を失うのだ。




