11.閑話(宰相と騎士)
アルベルトは深夜の宰相室に呼び出しされたにもかかわらず無言で承諾し、彼の人が待つ部屋の扉をノックした。
暫くしてしても返事が無く、おかしいと思い扉をゆっくりと開けた。
中にレイナルドは居たが、執務机に掛けながらうたた寝していた。
気配にも気づかずこうして寝ているのは珍しいと思った。
アルベルトが知る限り、他者を寄せ付けない彼は、少しの気配があっただけでも目を覚ますような人間だった。そんな彼が目を覚ますことがないというのは、それだけ疲れているのかはたまた別の理由があるのか。
扉を閉める音により目を覚ましたレイナルドが、暫く眠そうな顔をしながらアルベルトを見た。
「寝ていたか。呼び出しておいて申し訳ない」
「いえ。お疲れのようですね」
「そうだね。仕事がちょっと多すぎるかな」
伸びをして眠気を払う彼に笑った。
そういえば彼が幼い頃からこうして夜遅くに会合する時、彼は体を動かして眠気を追い払っていたことを思い出した。
復讐を遂げるため、秘密裏に彼と会う機会が多かった頃を思い出していたアルベルトだが、どうやらレイナルドも同じ事を考えていたらしい。
「こうして遅くに会うのは久し振りだ」
「そうですね」
「あの頃はただの子供だった私と、ただの騎士だったのにな」
思えば二十年の時が過ぎたのか。余りにも長く早い時間の流れに驚いた。
ローズマリーを死に追いやった者への復讐を誓い、どうすれば実現出来るのか話し合った。時には衝突もしたが、結果目的は思わぬ形で果たす事となった。その結果にアルベルト自身何一つ悔いは無い。あるとすれば、未だ行方が掴めないでいるティアへの制裁が未だ実現出来ていないことだろう。
レイナルドも文字通り血眼になって探しているが、何故彼女が反乱が起きた当日に城から抜け出せたのかすら分かっていない。かつての王であるグレイに問うも答えは出なかった。彼自身、何故王妃が行方をくらませたのか理解していなかった。
たとえ城を逃げれたとしても、女性一人すぐに見つかると思っていたが事態は思わぬ以上に難航した。そうなると見えてくるのが共謀者の存在だ。王妃に協力し、彼女を匿う存在が居るということだ。
今、レイナルドを最も忙しくさせている原因はそこにある。
王妃の関係者を調べても、彼女を匿えるような余力がある者が王都内にいなかった。とすれば国外の協力者となる。
かつて国の王妃であった存在が国外の誰かと関係を結んでいたかもしれないという仮説は、国にとってとんでもない痛手である。
リゼル王自身、実の母の行動には手を焼いており、国を治める者としては温情すら掛けられないと嘆く姿があった。
たとえ愛情が薄くとも実の母親。もし捕えた場合でもせめて罰の軽減を望もうと思っていたのかもしれないが、他国と繋がっていた場合それは許されることではないと分かっているのだ。
未だ掴めない復讐相手に焦る気持ちもあるが、それでもアルベルトとしては以前のような復讐心は無い。それは、グレイ王を断罪する際にマリーによって浄化されたから。
復讐者ではなく騎士として生きていくことをアルベルト自身望んだ。
だからこそ、彼女を守る存在としてティア妃を正当な形をもって裁きたかった。
「アルベルト」
名を呼ばれ顔を上げる。考え事をしていたアルベルトにレイナルドの視線が刺さる。
「マリーに想いを告げただろう?」
「……はい」
知られて当然だろうという事を言われ、アルベルトは素直に頷いた。
嫉妬に駆られ拍子抜けるようなプロポーズをしてしまったが、改めてマリーにはアルベルトの気持ちを伝えている。
分かりづらい自身の行動を猛省し、協力すると煩い団長補佐の助力もありながら想いは告げていると思う。
けれども、アルベルトには不安が尽きなかった。
何故なら、想いを告げれば告げるほど、マリーの表情が強張るような気がしたから。
初めこそ恥ずかしい様子を見せて、その様子すら愛しいなと思っていたアルベルトだったが、最近想いを伝えても、以前のように顔を赤らめる表情とは異なる顔をするようになった。
その理由がアルベルトには分からなかった。それがもどかしい。
彼女を不安にさせているのが自身だと思うと許せない。
けれど想いを告げることが迷惑なのかもしれないと思うと、何故顔を曇らせているのか聞くことも出来ない。
アルベルトは近頃自身に苛立ちが隠せなかった。
彼女を守り慈しみたいのに、彼女の表情を曇らせているのが自身である葛藤。
いっそ想いを消してしまえば良いのかと考えては無理だと結論を出す日々が続いている。
「アルベルトにしては行動が早くて驚いた。それだけ必死だったんだね」
可笑しそうに言われると不快になる。アルベルトは黙ってレイナルドの言葉の続きを待ったが、暫く待てど言葉は無かった。
焦れてこちらから問おうと口を開く。
「貴方はどうするつもりですか」
彼女に想いを伝えるのか。
静観するのか。
レイナルドがマリーを特別に想う感情は手に取るように分かる。グレイ王を捕らえた後、アルベルトはレイナルドが何かしら行動に移すと思っていたが、彼は行動に移さなかった。
勿論秘密裏に彼女の素性を誤魔化している事や、政治の駒にされないようそれとなく周囲に予防線を張っていることは知っている。
それも、予め彼女の保護者となる兄に相談の上で実行しているあたり、レイナルドの行動力には相変わらず賛辞を述べたいぐらいだった。
その彼が、マリーに対してアルベルトのように行動しないことが不思議だった。
マリーを騎士団で働かせたいと部下のフィールが言い出した時、どうせレイナルドによって止められるだろうと思っていた。しかし難なく物事が進んで拍子抜けした。
騎士団長の承認で騎士団内の使用人を雇用することは出来るが、いくらマリーが騎士団で働き出してもいつかはレイナルドによって奪われることも懸念していた。かつてローズ領に連れて行かれたように。
その時はどうすべきかと考えていただけに、本当に不思議でならなかった。
だからこそ、今この場で問う。どうするつもりなのかと。
「私は何もしないよ」
ローズマリーと同じ翡翠の瞳が真っ直ぐアルベルトを見据えた。
穏やかな色合いに変わった。以前のように復讐によって翳りを見せていた頃とは違う穏やかな色だった。
「どういう事ですか?」
「どういう事って、そのままの意味さ」
何もしない。
あれだけローズマリーの事を想い、彼女のためだけに生き長らえていたようなレイナルドが。
驚きが動揺に現れるアルベルトに対し、レイナルドは冷たく微笑んだ。
「もしマリーが、お前に想いを寄せるのであれば。私はそれでも構わないと思っている。けれどもね」
氷の貴公子などと揶揄されていた表情のままアルベルトに近づいた。
細く長い指がアルベルトの肩に触れる。
「今の貴方では、マリーと想いを遂げることは出来ない」
「…………」
まるで今のマリーを知っているかのような言動。
アルベルトは反抗したくても言葉が出なかった。彼の発言が真実だと分かっているからだ。
今のアルベルトでは彼女に応えて貰えないと、アルベルト自身分かっている。
けれど、その事実を覆す術が分からない。
第三者から指摘され、より感じる不安に襲われる。
「分かっています。けれど、それを受け止めるのはまだ尚早です」
アルベルトの眼は諦めに落胆するでもなく、苦痛に歪めるでもなく。
強い意志を持ってレイナルドを見返した。
諦めきれるものか。アルベルトにすら抑えきれない感情の渦を、落ち着かせることなど出来はしない。たとえ拒まれたとしても、どうして諦めることが出来るだろう。
可能性があるのであれば示したい。
彼女が憂う原因があるのであれば取り除きたい。
自身の想いに不安を募らせるのであれば、その不安を消し去りたい。
彼女を守りたい。
アルベルトの強い意志に、レイナルドはようやく柔らかな笑みを浮かべる。
「楽しみにしているよ」
アルベルトにはレイナルドの考えなど計り知れない。彼女を想う恋敵かと思えば、まるで応援するような素振りも何故なのか分からない。
ただ、アルベルトが考えるべき事は他にある。
アルベルトが抱えるべき悩みはアルベルト自身で解決すべきだ。
そしてその答えの先に、自身が想う人の答えがあると。
漠然とした確信を、アルベルトは感じていた。