10.思い浮かべるものはいつも
宰相室の扉を二度ノックする音。
私と暫く見つめあっていたレイナルドが顔を離すと入るよう促した。
「失礼します……先客がいらっしゃったのですね。失礼致しました」
「構わない。丁度良いし紹介するよ。騎士団に勤めているマリー・エディグマ嬢だ。マリー、彼はライル。私の書記官だよ」
訪れてきた青年はまだ若さを残した顔立ちをしていた。士官学校を出たばかりなのか、不慣れそうな様子に見える。
吊り目に少し伸びた髪を綺麗に切り揃えた生真面目な印象を抱くライル様に私は頭を下げた。
「マリー・エディグマです」
「ライル・シズヴェールです。エディグマということはエディグマ男爵のご息女でしょうか」
「はい。シズヴェールと仰ると」
確か書記官に彼の一族が多いことを思い出す。
「ご存知ですか。私の父が書記官長を勤めております。私は見習いですのでまだ未熟ではありますが、よろしくお願い致します」
丁寧にお辞儀をされた。何だか若い頃のレイナルドを思い出させる青年だった。
「レイナルド様。マカエル公爵がお打ち合わせされたいと客室にいらっしゃってます」
「分かった」
ライル様の話に相槌を打った後、レイナルドは私を見た。
「呼び出しておいて申し訳ないけれど出なければいけないようだ。続きは夕食で、ということでよろしいかな」
「は、はい。分かりました」
夕食を一緒にするという約束が生きていることに気付き、私は頷いた。私の答えに満足げに微笑むと、レイナルドは宰相室を退室した。
残された私はどうしようかと呆然と座っていたけれど、ライル様が机の上を片し始めたので慌てて手伝おうと手を出した。
「貴女は客人ですからそのままで結構ですよ」
「ですがライル様もお仕事の時間でしょう」
「ライルで結構です。来客の対応も仕事の内ですので。貴女もそろそろ時間では?」
淡々と片すライル様、もといライルに萎縮しつつお礼を告げる。
確かに時刻は間も無く始業の時間かもしれない。開始の鐘が鳴る前に騎士団の建物に戻らなくては。
立ち上がる私を片付けつつ見ていたライルが、暫く考えた後声を掛けてこられた。
「失礼ですが、エディグマ様はレイナルド様の恋人でいらっしゃいますか?」
「マリーで結構です。あと、恋人ではありません」
「そうですか。ではマリー。貴女にまつわる噂を耳にしております。中には良くない噂をする者もおりますので、どうかご注意なさって下さい」
淡々と、本当に淡々と忠告してくれた。
ライルを見るが、その言葉に一切の悪意は無く、彼が心から心配して述べてくれているのだと分かった。感情はあまり見えないものの、ライルの優しさが身に染みた。
噂に関しては、騎士団でも聞いたことがある。突然現れた男爵家の娘が騎士団長や宰相である公爵と懇意にしていれば、それは良くない噂が出るのも分かっていたことではあった。
「ありがとうございます、ライル」
ライル自身、良く思われない立場かもしれない私の事を心配してくれているというだけで嬉しかった。
まだ会ったばかりだというのに彼に対して親近感が湧くのは、やはり何処か幼少の頃のレイナルドに似ているからだろうか。
私は彼にお辞儀をした後、宰相室を退席した。
出たところで丁度近くに居たメイドと目が合う。彼女は不審げに私を見ていたがすぐに視線を逸らした。
先ほどライルに言われた忠告は、私自身こうして目の当たりにすることで実感していた。
この件に関して、レイナルドが暗黙の上で注視しているだろうことも分かっている。一度興味本位で聞いてきた使用人に、「ローズ公爵の縁戚なんだってね」と擦り寄られたことがあり、納得した。
間違っていないけれど間違った情報に、私は曖昧な笑顔で返している。
騎士団では何故か分からないけどアルベルトとの恋愛を応援され。
王宮内ではレイナルドの縁戚として遠巻きに見られる現在。
不思議な境遇だと思いつつ、それでもエディグマに帰りたいという気にはあまりならなかった。
それは本当に不思議なことで。
今までずっと家族の元が第一に大切だった私にしては有り得ない感情だった。
その感情が何処から発生しているのか、未だ分からないけれど。
ふと思い浮かぶのは、いつもアルベルトとレイナルドの姿だった。