9.宰相室でティータイム
私の前には温かな紅茶。
レイナルドの前には手で掴み仕事の合間にも食べやすいサンドイッチと、大量の書類。
私は改めて宰相という職務の多忙さを実感した。
「あまり片付いてなくてごめんね。まだ部屋にまで手を付ける余力がなくて」
処罰され退任したかつての宰相の部屋をそのまま利用しているらしい宰相室は広かった。
執務用の広い机の前には打ち合わせが出来るようにソファが用意されていた。更に横に続く部屋には宰相付きの書記官の机が並んでいる。
まだ早い時間帯のため誰も居ないが、使いを呼んで食事の用意をして貰う。手慣れた様子でサンドイッチを出してきたあたり、最近の彼の食事事情が窺えた。
「夜はしっかり食べていますか?」
以前であれば夕食を一緒にしていたけれども、最近は一緒に食べる機会が無く、レイナルドが夕餉を済ませる姿を見ていない。気になって聞いてみたが笑って返された。どうやら朝食と変わらなそうだ。
「仕事を優先してしまいがちなんだ」
「それでは身体を壊してしまいますよ」
「そうだよね。困ったな……」
本当に困っているのだろうか。
考え事をしているレイナルドを眺めていたら、思い立ったように顔をこちらに向けた。
「せっかくだから夕食はマリーと一緒に食べるというのはどうだろう。約束があれば私も食事を忘れることは無いよ」
「私とですか?」
「そう。貴女と」
私の夕食はいつも食堂で食べていた。時々騎士団の方と食べることもあるけれど、外で食べるといったことも、自室で作ることもない。それならばと頷いた。
「ありがとう。仕事が終わったらこちらに来てくれるかな」
「宰相室にですか」
何てハードルの高いことを。
周りの目に萎縮しそうだけれども、レイナルドは「周りには上手く伝えておくよ」と返される。どう伝えればただの騎士団侍女が宰相室で夕食をする事に納得するのだろう。
「レイナルド様は」
「二人の時はレイナルドと」
「……レイナルドは休息を取れているのですか? こうも忙しそうだと」
私は辺りに積み重ねられた書類達に目を向けた。恐らく今、この城内で最も忙しい人物の一人であろうレイナルドの体調が心配になった。
反乱の首謀者であり、宰相という職位を得た彼は城内で名を聞かない日は無い。それが騎士団の中でもだ。リゼル王に続く忙しさは想像を絶する。
レイナルドは一口サンドイッチを齧った後、食べ終えると質問に返してくれた。
「忙しいのは今だけで、落ち着けばそこまで大変では無いよ。休みも適度に入れている。心配してくれてありがとう」
嬉しそうに微笑まれては何も言えず、私は紅茶を飲む。
「本当なら宰相になどなるつもりも無かったんだよ。この国の行末など復讐に比べればどうでも良いとまで考えていたから。リゼル王にどうかと頼まれてやってみたら案外面白くてね」
仕事に生き甲斐を見出しているのか、レイナルドの表情は明るい。新しい玩具を手に入れた少年のような目の輝きをしているのかもしれない。
「それに、姉様を侮辱した奴等を一掃出来たのだから、次は姉様の素晴らしさを後世に伝えるのも良いかもしれないって思ったんだ」
私は飲んでいた紅茶を溢しそうになった。
「どういう事ですか」
「姉様の慰霊碑を王城に建てようかなと。あとは書籍に残してもらおうかと思って企画提案をしているところだよ。慰霊碑が出来た時は是非マリーも見に来て欲しいな」
「止めてください……」
「申し訳ないけれど、慰霊碑については王の裁決も出てるし着工のスケジュールも出てるんだ」
末恐ろしい宰相の行動力に私は何も言えず俯いた。
どこまでいってもレイナルドがローズマリーを敬愛する姿勢は潔いぐらいだった。
少しばかり気になっていた事を話すべきかどうか躊躇する。
「その、レイナルドは」
思い切って顔を上げ、最近私を悩ませている事を告げようと意を決した。
「もし私がローズマリーの生まれ変わりだと知らなかったら、私の事をどう思っていたのでしょうか」
言った途端後悔に襲われた。
暫く沈黙の後、レイナルドがお茶を飲んでからこちらを見た。
「難しい質問ですね。貴女を姉様の生まれ変わりと知らずにいたら……」
自嘲しつつレイナルドが笑った。
「きっと私は貴女に軽蔑されていたでしょう」
意外な回答だった。
「私がですか?」
「ええ。貴女と初めて会った時に私がどのような話をしたか覚えてますか? 私は貴女をリゼル王子の婚約者に仕立て上げようと脅した事を」
覚えがあった。家族の名を出され、私自身を道具として扱おうとした彼を。まるでレイナルドが嫌悪していた彼の父に似た行動に怒り、叱責し、それが原因で生まれ変わりだと自白してしまったようなものなのだから。
「私が周りに薄情な人間だと知れ渡っているのはご存知でしょう。その通りなのですよ。だからもし、貴女のことをローズマリー姉様の生まれ変わりだと知らなければ、私は貴女に対して酷い扱いをし、嫌われ、そして後悔したでしょうね」
「どうしてですか?」
酷い扱いを受けるということは既に体験したことだから分かるけれども、何故後悔するのかが分からなかった。
寂しそうにレイナルドが微笑んだ。
「きっと貴女を深く知って愛しくなった頃には私は、貴女に嫌われていたでしょうから」
言葉を伝え終えた後、レイナルドは立ち上がり正面に座る私の隣に向かい。
鼻先が触れるほど近づき、私の耳に軽く口付ける。
柔らかな温もりが耳に触れたことを、遠い意識の中で感じた。
触れられた耳に指で触れ、未だ近くで私を見つめるレイナルドに声を掛けようと声を絞る。
「どうして、今」
私の耳に触れたのですかと言いたかったけれど声に出せず。
レイナルドは柔らかに微笑んだまま。
「どうしてでしょうね」
とだけ、答えた。