8.騎士団侍女の朝は早い
『貴女が好きです』
見上げればアルベルトが私の手を握り突然に告白してくる。
『返事を聞かせて貰えないか?』
『あの、嬉しいです。けど……』
私は、どう答えてよいかしどろもどろになりながら、それでも顔が熱くなることを抑えられずにいる。
握る手の力が強まる。
真剣な眼差しが近づき、焦茶色の瞳が目前に映し出され、思わず目を閉じる。
『貴女が好きです。ローズマリー』
そこで目が覚めた。
見慣れない天井をぼんやり眺める。そういえば王宮の使用人専用の居住部屋に移動したんだった。
未だに目が覚めない体をゆっくりと起こし、窓を覗く。早朝らしく朝日はまだ微かに顔を覗かせた程度。天気は良さそうだった。
窓辺に映る私の顔の不細工なこと。
「夢って正直ね」
だいぶ早い朝になりそうだけれども。
私はベッドから抜けて顔を洗いに洗面所へと向かった。
騎士団侍女として働いてから二週間ほど経って、ようやく一日の流れにも慣れてきた。
始めこそアルベルトを意識してギクシャクしていたのだけれど、仕事に私情を挟まない彼は、仕事の上ではとても頼りになる上司だった。
けれど時々見せるプライベートな彼から思わせぶりな発言があったりなかったり……あったり。
そして誰よりも公私混同しているのが騎士団の皆さんだった。
もはや公然とされているらしい、アルベルトの恋を応援するのだとばかりに私に対してアルベルトの良さをアピールしてくれる。
「この間、団長が街に増えてた賊の頭首を捕まえたんですよ! カッコ良かったですよ〜!」
「マリーさん知ってます? 団長って時々孤児院に行って子供たちと遊んでくれてるんですよ。もうめちゃくちゃ人気で!」
「エディグマ嬢、聞いてくださいよ!」
と、団長自慢のオンパレードにより、私は聞いた情報だけでアルベルトの本が書けそうなぐらいエピソードを覚えてしまった。
ちなみに団員達の行動はアルベルトの知るところでは無いらしく、彼の前では一切行わないあたり、彼ら騎士団の行動力を褒めるべきか、貶すべきか……
それこそ最初の頃は戸惑いが隠せなかったし恥ずかしくて仕事にならないし、そもそも仕事の邪魔なんだけどとも思ったけれども、こうして団員の方達と話をすることも楽しくなってきている。
何だかんだ言ってアルベルトの活躍を聞くことが楽しかったりする。
何故なら、私もまたローズマリーと一緒で騎士という職務に憧れを抱いているから。
(女性で騎士に憧れない方なんているかしら)
私が知る限りでは知らない。少なくとも実情を知るまでは。
騎士団の侍女に志願する女性は多い。しかし退職する者も多い。
憧れる騎士に仕える喜びを抱きながら働いてみるものの実情は暑苦しい、危険、仕事が多いといった職場のため、都会暮らしの女性であればまず難しいと思う。
その点、有難いことに田舎暮らしで全ての事に慣れていたマリーとしては、むしろ騎士団の仕事はやりやすかった。堅苦しい礼儀作法は二の次である団員達とはこうして他愛無いやり取りもできるほど打ち解けられる騎士団侍女の仕事は楽しかった。
それでも。
こうしてしつこいぐらいアルベルトの情報を与え続けられるのは流石に辟易してくるのも仕方がない。
「エヴァ様にご相談しようかしら」
奥の手をボソリと呟いた。
何故か騎士団員はその時、とてつもない寒気に襲われたことを勿論私は知らない。
仕事着に着替えてから少し早めに自室を出て、使用人向けの食堂へ向かう。
騎士団並びに王城の使用人は全て王宮内にある使用人宿舎で過ごす。かつて婚約者候補として呼ばれた侍女達に関しては、実はこの宿舎は使用されていなかった。
もっと格式高い客室を使用していたのも婚約者候補という名義があったからで、現在のように本当に使用人となる場合は宿舎を利用する。それでも王宮の使用人となるため部屋の質は高い。
王宮の使用人は低いながらも爵位がある子息子女が勤めている。平民出もいるが、必ず経験と面接、推薦状等による厳しい審査の上で登用される。実力はあっても身分階級の差は厳しい。
私自身、あって無いような男爵という爵位と騎士団長補佐の口添えがあるからこそすんなり仕事を得たけれど、本来はそう簡単に出来る仕事では無い。
筈なんだけれども、何故か私は転々と仕事が変わっていた気がする。
いつもの指定席である景色が見えやすい窓辺の席を取り、配給されるパンとスープ、サラダを受け取って食べ始める。王宮の職人が作っているだけあってとても美味しい。
窓から見える景色は丁度王宮内に訪れる馬車の乗り降りが行われる場所のため、人の出入りがよく見えた。
まだ朝早いというのにまばらながらも馬車が現れる。
今止まった馬車の家紋に見覚えがあり、注視していると降りてきた男性がレイナルドであることに気付いた。
やっぱりローズ領の馬車だった。
口にパンを放り込みながらレイナルドの様子を窺った。
これだけ朝早くから戻ってきたということは、夜通し馬車を走らせたのかもしれない。
降りてきた彼は少し疲れているように見えた。
覗いていた視線に気付いたのか、レイナルドが見上げてきた。目があった。
すると優しい表情に切り替わり静かに手を振ってきたので慌てて振り返した。
「…………?」
レイナルドのジェスチャーに注意して見る。
手招きしてから、自身の立つ場所を指差す。
私は窓越しに頷いてから急いでスープを飲み干し、食器を片付けた。
「レイナルド様」
「マリー。ごめんね早くから」
先程まで眺めていた広場に到着すると、馬車は既に去った後で、その場にはレイナルドしか居なかった。
早朝で寒く吐く息も白いというのにずっと待っててくれたことが申し訳ない。
「いいえ。この時間にお戻りということは、夜から移動されていたのですか?」
「そう。ローズ領に少しだけ様子を見に行ってきたよ。本当なら君を誘いたいところだったけれど急な上に夜通し走ることになるから止めておいたんだ」
「そうなんですね」
レイナルドは私がローズ領で世話になった方に挨拶をしたいという願いを覚えていてくれた。それがとても嬉しい。
「騎士団での仕事はどう?」
「皆さんに良くして頂いていますよ」
それはもう、十分なほどに。
「今日も仕事かな」
「はい。まだ早いのでしばらく食堂で待つ予定です。レイナルド様はお食事は?」
「まだなんだ。もし良ければ私の部屋で休んでいかないか? 食事ついでにお茶でも淹れるよ」
レイナルドの誘いに喜んで私は頷いた。
騎士団の宿舎に入ってから、恒例になっていた夕食会は無くなってしまったため、こうしてレイナルドに会うのも久し振りだった。
ようやく日が昇った朝日のように晴れやかな気持ちで、私はレイナルドの後に続いた。