6.願い事はいつも一つ
「え? そうなの?」
「はい。そうなんです」
明日から騎士団の侍女に戻りますと伝えた時のレイナルドの第一声だった。
承諾してから早々に手続きを終えたというエヴァ様が家に訪れ、詳細を教えて下さった。
騎士団に勤める侍女を雇うには騎士団長の許可さえあれば問題なく、エヴァ様が早速確認して下さった。しかも明日から勤めても良いという許可を異例の早さで。
特に明日の予定も無かったため問題無いと伝えたところ、満面に笑顔を浮かべて喜んで下さった。
「それでは明日からよろしくお願いします!」と告げると急ぎ自宅に帰るエヴァ様の様子に、私は台風一過のような気持ちで彼を見送った。
そのあと間も無くしてレイナルドが訪れてきて今に至る。
「ふーん……そうか」
何かを考えているレイナルドに温めたスープを渡す。
今日の夕食は野菜スープにチキンの香草焼きと、そして手作りパン。
「アルベルトと何かあった?」
手に持っていたパンを落とした。
慌てて拾い上げる。軽く汚れを落とし、これは私の分とする。
ああ、顔が熱い。
「何かと言いますと?」
どうにか平静を装ってはいるものの、多分聡いレイナルドにはバレているだろうけれど、私は無駄な足掻きを続ける。
レイナルドは、意地悪そうに私を眺めている。
「そうだね……例えば、好きだと告げられたとか?」
「……いえ、それは無いですね」
そう。それは、無い。
プロポーズはされたものの、彼の口から告白を受けたわけでは無かった。
アルベルトの事だ。婚期が遅れるかもしれないと不安な私に対して優しさから貰ってくれようとしたのかもしれない。というのが、冷静になった私が出した結論だった。
そうでもなければあの場で突然求婚なんてされないはずだ。
「そういうことか」
「どうして何かあると思うんですか」
先日も出したワインを注いでレイナルドに渡し、自身の食事の準備を進めていく。
今日は仕事で遅いらしいアルベルトが不在なのが、ちょっと救いだ。
レイナルドは渡されたワイングラスを持ち、クルクルと中の液体を回す。
「騎士団長補佐のエヴァが急に動き出すなんて、アルベルトが何か行動を起こしたとしか思えない。恐らくアルベルトは君へのアプローチに失敗したんだろう。そこへ部下が上司を哀れと思い手助けをした……というところだろう。あいつは良い部下を持ったな。お陰で私は貴女を騎士団に奪われてしまった」
つまらなそうな、それでいて少し楽しそうな表情を浮かべるレイナルドの言葉に、私は顔を赤く染めたまま眺めていた。
「貴女が選んだ事なのだから反対もできないし」
「……ありがとうございます」
宰相という立場であれば侍女一人などどうとでも出来るというのに、レイナルドは私の意思を尊重してくれることが嬉しくて、私はつい礼を告げた。
「そういえばティア妃の行方は如何ですか?」
「全く掴めない。気持ち悪いほど気配が見えない。しらみつぶしに追跡してみているが、想像以上に交際関係が華やかだったせいで難航しているよ。さっさと終わらせてしまいたいのにな」
薄らいだとはいえ、レイナルドの瞳が復讐に翳る。いくらローズマリーによってアルベルトとレイナルドの復讐に燃えた炎が鎮火されたとはいえ、過去の遺恨を清算したい思いは私にも痛いほど分かる。
私とてティア妃には過去の償いをしっかりとして貰いたい。グレイ王のように謝罪し、真実を伝えて貰いたい。
それだけでは生温いとレイナルドは口酸っぱく言ってくるため、あまり話題にすることはない。
グレイ王に関して私は多くを聞かない。あの謁見の間で行ったことが全てだから。
けれどティア妃に関してはまだ何も終わっていない。もしグレイ王のように対面することがあったら何か変わるのだろうか。
ローズマリーの記憶にあるティア妃は、いつもグレイ王の影に隠れながらも、仄暗い笑顔をローズマリーに向けていた。その笑顔を思い出すと少しばかり怖い。
「マリー」
考え事をしていた私の手を、レイナルドが握りしめていた。
顔を上げてレイナルドを見る。ローズマリーの記憶から幼い頃のレイナルドの顔が重なる。
真っ直ぐな瞳。全てを見通すような透明さを持つ翡翠色に私の姿が映る。
握りしめた手を、ゆっくりと持ち上げる。
握られた手を両の手で掴まれ、指の間に指を絡めて、深く手を繋がれる。
「姉様の願いは私の幸せであったように、私の願いもまた姉様が幸せであることです」
繋いだ手の甲に祈りを捧げるような口付けを与えられる。
「生まれ変わりマリーとなった今でもその願いは変わりありません。マリーの幸せこそが私の幸せ」
「……それは、今の私でも同じことです」
たとえ今は血の繋がり無い他人だとしても、私にとってレイナルドは大切な家族だと思っている。心からローズマリーが愛した弟への愛情は尽きない。
「マリー。私の姉様。貴女にとって最も幸せであると思う行動をなさって下さい。心に素直に行動して下さい」
「心に素直に……?」
「ええ。決して、姉様の時のように我慢をしてはなりません。たとえ貴女の前に敵わない防壁が立ち塞がろうと私がそれを破壊します。貴女の心を悩ませる者が現れたとしたら、私の出来る限りの全てでもって排除しましょう」
物騒な発言が本気だと分かっているから余計に怖いというのに、口にするレイナルドの姿は天使のように神々しかった。
「ですからどうか。これから先も貴女の心に従って行動なさって下さい。姉様の頃とは違い、何も貴女を妨げるものは無いはずなのですから」
少し寂しそうに見える笑顔が気になって、握られていない片方の手をレイナルドに向けて差し伸ばす。少し長く垂れる金色の前髪が触れる。祈りのような頼み事に、私は頷いた。
ローズマリーの記憶に残される彼女の行動は、常に父の命令に従っていた。父の言う通りに婚約者となり、周りの言いつけ通り礼儀作法を学び学問を学んだ。良き王妃になるよう育てられてきた。そもそも、自分の心に従って行動したことなど無いに等しかった。
そんな姉を、いつだってレイナルドは見守り心配し、そして愛してくれていた。
その心だけがローズマリーの支えであると分かっているように。
「ありがとう」
泣きそうになる思いが込み上げてくる。喜びと愛しさが溢れて感情が揺らぐ。
生まれ変わっても尚、彼と繋がることができることに、私は改めて神に感謝した。
二人は言葉を無くし触れ合っている間に訪問者が入室する扉の音が聞こえた。
私とレイナルドは同時に扉に向けて視線を向けると。
何とも言えない顔をしたアルベルトが立っていた。