4.騎士団長補佐のお願い事
貸し馬車に乗って兄の邸に戻り、借りている自室のベッドの上に倒れる。
ドレスと装飾を着たままの行為は、大変良くないと分かっているのだけれども、私は混乱する頭を少しでも落ち着かせたくて全ての行動を放棄してベッドに寝転んだ。
そして思い出すアルベルトの言葉に。
私は近くにあった枕に顔を埋めて身悶えするのだった。
平静さを失った夜からようやく落ち着きを取り戻した翌日の昼過ぎ。
仕事に向かう兄を見送ってから、自宅に食材が無いことに気づき買い物に出掛けることにした。
貧乏田舎の男爵家では、侍女を雇う費用も節約しようと、自炊や家事などは全て叩き込まれているためか、兄であるスタンリーも王都で暮らしながら全て自身で行っていたため侍女は居ない。
そもそも、自宅に帰って食事をする機会も少なかったらしく、今は私が夕食を用意するため帰宅してきてくれる程度だった。
城下町に向かうため支度をし、荷物を持ち帰るための大きめな籠を持って外に出る。
兄から預かっている鍵で施錠を確認してから空を見上げれば良い天気だった。
街から距離が離れた場所に邸を構えているため、歩いて向かう距離としては多少長い。重い荷物があれば荷車を頼むこともあるけれど、二人暮らしの現状、特に必要になったことは無い。
街並みをのんびり歩いていると、聞こえてくる話題は新しい王の話題が多かった。グレイ王の時に課せられていた税の見直しや一部の軽減税から始まり、他国に顔が知れ渡っているリゼル王が諸国と交渉の上で行われる貿易業の改良案が実行されたりなど、行動も早く支持が高まっている。
それでいて見目も良いため女性による肖像画の売れ行きが凄まじいらしい。
私も街中で見かけた肖像画を見れば、戴冠式の際に着ていた正装で描かれたリゼル王の格好良さに一枚買おうかと思ってしまった。横には宰相となったレイナルドの肖像画も置かれていた。どうやらこちらも一緒によく売れているらしい。まるで劇役者のようだ。
更に隣に飾られていた騎士団長であるアルベルトの肖像画を見かけて心臓が跳ね上がった。
せっかく日常生活の中で落ち着いてきた鼓動が騒がしい。
アルベルトの肖像画は団長として就任した頃の絵がそのまま長く刷られているため、肖像画の顔は今よりも若い。
思わず手に取って眺めてしまう。
ああ、顔が熱い。
「マクレーン団長はよく売れてるよ。一枚どう?」
売り子の少年に薦められたが、曖昧に笑って元に戻した。確かに欲しい気もするのだけれど、持っていることが見つかったら恥ずかしいことこの上無い。
その場を離れようかと思ったところで、何処からか名を呼ばれている気がして辺りを見回した。人が多くどこから声が聞こえるのか分からない。
「エディグマ嬢!」
ようやく近くから聞こえてきた声の主は騎士団侍女として時々顔を合わせていた騎士団長補佐であるフィール・エヴァ様だった。
白髪が少し混じった茶髪に愛嬌ある笑い顔にとてもではないが団長補佐とは思えないけれども、四十を超えたエヴァ様は団員達からは鬼補佐等と呼ばれる程稽古に厳しいことが有名だった。
噂だけ聞くと怖かったけれども、いざ会ってみると今のように笑顔で接してくれる。それは団員にも同じだけれども発言が違う。
私はよく鍛錬場で彼が笑いながら「稽古試合十人に勝つまで戦えよ!」と言っては団員から凄まじい悲鳴があがるのを聞いていた。とにかく訓練量がえげつない。
「エヴァ様、ご無沙汰しております」
私はその場で深くお辞儀をした。エヴァ様は小さな声で「やっと会えた」と言っていたため、私は首を傾げることになる。
「私にご用でしたか?」
もしかしたら兄の邸にまで来ていたのだろうか。
「ああいや、ちょっと話があってね。おや、肖像画じゃないか! 団長まである」
「はい。お若い頃ですね」
「五年程前かな。丁度良い! 一枚売ってくれ」
懐から小銭を出してアルベルトの肖像画を手にすると、何故か私に下さった。
「団長の絵姿なら御守りよりも効果があるので、エディグマ嬢どうかお持ち下さい!」
「え……ええ?」
いきなり渡されてどうしようかと困っていたけれども、エヴァは話は終わりと私をエスコートして街中を進む。
「いや、本当にお久しぶりです。実は相談したいことがあったので。よければあちらでお茶でもいかがですか? 立ち話で失礼ですが」
「構いません。その、ええと」
「勿論奢りますよ! さあ、何がいいですか?」
露店に並ぶジュースを選んでと言われるも、私は突然の展開についていけないまま、それでもとりあえず林檎のジュースをお願いした。
エヴァ団長補佐はアルベルトよりも十ぐらい年が離れているというのに、団長であるアルベルト以上に気さくで話しやすい方だった。侍女として仕事をしている時にもよく話しかけてくれて、ニキとは特に気が合っていた気がする。社交的な二人だったので話も合っていたのだろう。
一見優しそうに見えて団員に厳しいエヴァ様と、一見厳しそうに見えて優しいアルベルト。ちぐはぐだけれどもとても相性が良い二人として慕われていた。
エヴァ様は広場に設置されていた休憩用スペースに置かれた腰掛けに私をまず誘導し座らせ、ついで少し離れて座られた。彼の手には何もないため注文したのは私の分だけだったらしい。
「あの、エヴァ様。お話というのは」
「ははっ、核心に迫りますね! 実はどうしてもお願いしたいことがあるんですよ」
エヴァ様は向きを私の方に変えて、真剣な顔をしてこちらを見つめてくる。一体何を言われるのかドキドキしながら言葉を待った。
「エディグマ嬢」
「はい」
すると、エヴァ様が勢いよく頭を下げた。
「どうか! 我々のためにも騎士団侍女にお戻り頂けないだろうか!」
「騎士団侍女……ですか」
「はい」
エヴァ様が大きく頷いた。
「昨今の騒動で一旦王宮の侍女は従来の人数に戻ったのですが、実は騎士団侍女は人手不足のままなんですよ。更にはすぐに団長の爵位授与があるでしょう? いやあもう、本当に忙しくって!」
アルベルトの話題にまた、心臓がざわつく。
「王が替わったことで警備も変わってくるので自分達の事が何一つ出来ないというのに、我々は洗濯桶が何処にあるかすら分からない体たらくでして。自分達の事もろくに出来ないだけでなく、団長の手まで煩わせてしまっているんですよ」
「それは……大変ですね」
特にアルベルトからはそのような話は聞いていなかったけれど、エヴァ様の表情は真剣だった。
「せめて以前のように団長のお世話だけでもお任せ出来ないですかね? このままだと団長何も飲まず食わずで仕事をしちゃって心配なんですよ」
「そうなんですか?」
必ずというほど夜に食事に来るのも、もしかして日中はご飯が食べれていないからだろうか。
少し心配になってくる。
「そうなんですよ。それでですね、エディグマ嬢が今ならローズ領もお休みされているとお聞きしたので、本当良ければお願いしたくって。勿論お給金は調整しますんで! もし国が出さなかったら俺達の給金からでもお願いしたいです!」
そこまで?
私は慌てて首を振った。
「気になさらないで下さい。先日退職金として国より幾らか頂いているので、今は全然困っていないです。それに暇ですし」
いつ帰れば良いのか分からない今、手持ち無沙汰だったのも事実だ。
アルベルトとレイナルドに帰りたいと告げても、まだ王妃の存在もある、アルベルトの爵位授与に付き合って欲しい、ローズマリーの墓碑移動をするまでは、と段々延ばされていた立場としては有難いお誘いかもしれない。
何もせずに兄の家にいるのも性に合わなかった。
アルベルトやレイナルドではなく、こうしてエヴァ様からのお願いとなれば、きっと二人も納得してくれるだろう。
まあ、アルベルトが傍にいると色々と思い出してしまうこともあるけれど。
私は意を決してエヴァ様を見た。
「分かりました。私でよければお手伝いします」
まるで後光が差すように笑顔全開でエヴァ様に感謝され。
私は改めて微笑んだ。