3.舞踏会の終わりと共に
睨むだけで人を殺せると思うアルベルトの視線を向けられた男性は、硬直した上に顔を真っ青にしていた。
無理もない。もし私があの視線を受け止める側だったらと考えたら、同情せずにはいられない。
「私はその、エディグマ嬢と話をしたくて声をかけただけで……」
私は驚いて男性を見た。
あれほど怖い視線を受けているのに逃げずに会話を続けるなんて度胸がある。
アルベルトは鋭い視線のまま私を一瞥してから男性に視線を戻した。
「そうですか。ですがこのような薄暗い場では、何かありましたら困ります。どうぞ広間までお戻り下さい」
「わ……分かった」
男性が少しホッとした様子で、私と共に広間へと戻ろうとこちらを向いたのだけれど。
「マリー嬢」
突然アルベルトに名前を呼ばれたので彼を見上げた。まだ視線は厳しさを残しているけれど、私を見てくれている顔は穏やかに見える。
「よろしければエスコートする事をお許し頂けますか?」
「え……あ、はい」
男性よりも早く手を差し伸べられて、ついその手を受け取ってしまった。
流石に話をしていた男性に悪いかと思って挨拶しようと思ったのだけれど、掴まれた手が勢いよく引っ張ってくるので、私は何も告げることができずに庭園の中を進む。
足早に進むアルベルトについていくのが必死で、あっという間に男性の姿は見えなくなってしまった。
それでもアルベルトの足は止まらない。庭園の中を進みに進んで、段々広間から流れている音楽が小さくなっていく。
「アルベルト様?」
様子がおかしいことが気になって名を呼ぶと、急に立ち止まられた。あまりに急すぎて私は立ち止まれず彼の体に顔をぶつけてしまった。
「ああ、すみません。大丈夫ですか?」
心配そうに見下ろしてくる顔はいつものアルベルトだった。ホッとした。それでも、どうも焦っている様子が残っているアルベルトに対して笑って「大丈夫です」と答えた。
「先ほどはありがとうございました」
中々に強引そうな男性だっただけに、どう対処しようか困っていたから改めてお礼を伝えたら、何故かアルベルトは肩透かしを喰らったような顔をしてくる。
今の彼はかの凛々しい騎士団長様なのかしらと考えてしまうような表情。
先ほど割って入ってきてくれたアルベルトの様子が普段と違っていて、私は妙に胸が騒ぐ。
いつもと場面も全く違うせいだろうか。
普段以上に畏まった騎士服を着たアルベルトが、目元に僅かな笑い皺を浮かべて私を見つめてくる。とても、嬉しそうに。
「何事も無くて良かったです。ですが気をつけて。こういった場で羽目を外すような輩もいるのです。どうか兄君の傍を離れずに過ごして下さいますか?」
アルベルトが少し乱れていたらしい私の前髪を、長い指先を使って直してくれた。
彼の触れる部分にだけ熱が篭りそうだ。恥ずかしくなって俯いてしまった。
「兄は女性との逢瀬に忙しいようなので時間を見て一人で帰ろうと思っていました」
「一人で?」
「はい。貸し馬車を使って帰ろうかと」
そろそろ帰宅する頃合いだろうと思っていたところだった。
長居をしてもさっきのように話しかけられる事や好奇の視線を浴びるぐらいなら、美味しい食事も出来たことだし退散しよう。
「では、正門までお付き合いします」
腰元に手を置かれ誘導される。ちょっと待った。
「アルベルト様、今お仕事中ではないのですか?」
国の大切な騎士団長様にわざわざ送って頂くのはと恐縮したけれども無駄だった。
彼は「問題ありません」と、問題ある発言をしたまま私を正門まで行こうと歩き出す。
すると、広間で流れていた音楽が変わる。
有名なダンスの曲だった。
「この曲……ローズマリーがよく練習していた曲ですね」
「ご存知でしたか」
「はい」
今流れている曲は、よくデビュタントの会場でも流れる初心者から中級者に向けた基礎らしいダンスの曲だった。
ローズマリーはダンスの練習をする時、よくこの曲に合わせて踊っていた。
そして踊る練習相手は、今目の前に居る騎士だった。
無骨で剣しか覚えない彼を無理やり練習台にして踊っていた記憶を思い出して微笑んだ。
「よろしければご一緒に踊りませんか?」
ふと、幼い頃に踊っていた彼がどのように成長したのか気になって手を差し出した。
アルベルトは少し驚いてから表情を崩し、私の手を取りそのまま腰を抱いて踊り出した。
基礎のステップ、大袈裟にならないターン。
繋いだ手は迷い無く私をエスコートする。
身長差による違和感も感じないまま踊りは続く。
「上手ですね。ローズマリーの記憶だと苦手だったようなのに」
「練習しましたから。ですが苦手ではあります」
社交界慣れしそうにないアルベルトの素直な意見にクスッと笑う。
「マリーは踊りが上手いですね」
「本当ですか? 兄や父とぐらいしか踊っていないので自分では分からないのですが」
褒められることは素直に嬉しくて喜んでしまう。
「先ほどレイナルド卿と踊っている貴女を見ていました。とても……」
「………?」
言葉の続きを待つもののアルベルトは押し黙る。その間に曲が終わり、べつのダンス曲が始まる。
リズムを刻んでいた足が止まり、腰を引き寄せられたままアルベルトと見つめ合った。
何か、彼が何かを言いたそうにしていることだけは分かったけれど。
暫く待っては見たけれども言葉が出てくることはなく。
「……正門まで送ります」
とだけ告げられた。
正門には貴族達の所有する馬車が大体だが、城の滞在者に向けた貸し馬車も存在する。
私と兄のように家族で来てもバラバラで帰るような客人向けに用意されている。
私以外にも同様の客人がいたため、御者の受付に名前を伝え、呼び出されるまで正門の端に立って待つ。その間アルベルトも一緒に待ってくれた。
仕事が大丈夫か気になったので聞いてみたけれども、警護に関しては全て配下である騎士に任せており、彼自身は統括する立場で問題があった場合に動くくらいだから問題ないと教えてくれた。
「騎士団の者達とは話をしたか?」
「少しだけ。会場でお会いした方と挨拶をした程度ですが」
「皆、貴女が戻ることを願っているよ」
ニキも領地に戻ってしまったため、侍女不足が再燃してしまっているらしく、騎士団内では侍女を、引いては私の復帰を求める声があると、顔を合わせた騎士団員が嘆いていた。
とても嬉しい話だと思う。私自身、自領に戻って働くことも魅力はあるけれど、こうして知り合った騎士団の方達に必要とされるのであれば働きたい気持ちもある。
ただ、それは騎士団侍女でも、ローズ領の侍女としても言えることではあった。
兄の家に世話になっている間にローズ領の執事長であるリーバーから、とても丁寧に書かれた手紙が送られてきた。
突然行方をくらました私に対して怒るどころか心配して下さっていること。
事情に関してはレイナルドから手紙で誤魔化し説明してくれたみたいだけれど、私は謝罪の手紙を返した。それから、リーバーとは文通のように手紙のやり取りをしている。
中々帰ってこないレイナルドに対する心配から、私自身がいないと寂しいと書いて下さるリーバーの思いやりに胸が痛む。
一度は謝罪のためにローズ領に行きたいと思っている。その事をレイナルドに伝えたら、戴冠式後、優先すべき仕事を終えたら一緒に連れて行ってくれると約束してくれたので、その時に一度一緒に行こうかと思っている。
「そのままローズ領に残ってもいいからね」と、甘い誘い文句を言ってくれるレイナルドに苦笑しつつも、私は悩む。
自領に戻るか、王宮の騎士団侍女を続けるか、ローズ領侍女を続けるか。
この選択肢に関しては、宰相となったレイナルドからはどれを選んでも構わないと言われている。これだけフラフラと異動を続ける私に関して、気にせず好きな事を選んで欲しいと。
(どのお仕事も環境も待遇も楽しいし素敵なんだけど……)
そう簡単に選べないのが実際のところ。
自領を愛し、平穏な生活を望む一方、憧れていた騎士の方々をお世話する侍女の仕事も楽しかった。そして、北部の離れた土地とはいえローズ領も嫌いではない。リーバーを筆頭に、お世話になった使用人の方達もいる。あとご飯が美味しい。
父にも、兄にも好きにして良いと言われた。
後継のことまで考えていた私だけれども、その話をしたら兄に怒られた。兄がその辺はやるのだから、お前は好きにしろと。兄の不器用なりの優しさも感じた。
「どうしました?」
馬車を待つ間に悩んでいたためか、アルベルトに心配をかけてしまった。
「これから先のことを考えて悩んでまして」
「……これから先のこと……ですか」
「はい。自領に戻るべきか、それとも王宮に残り騎士団侍女のお仕事を続けるか、レイナルド様と共にローズ領で侍女のお仕事を頂くか」
正直にアルベルトに伝えた。彼にも関わる事なのだから相談したい気持ちになった。
「貴女として一番望むところはどこでしょうか」
「そうですね。どれも捨て難いと思うのですが……実は一つ、仕事以外の悩みもありまして」
「仕事以外とは」
どこか気恥ずかしいけれども、少し躊躇した後正直な思いを伝えようと心に決めた。
「その、結婚も考える時期なので、その事も踏まえると何をしたら良いのか迷っているんです」
そう。
結婚。
私が今、仕事の事以上に実は悩まされていることがこの事だった。
既に十八歳を迎えた私はまさに結婚適齢期。兄には後継ぎの事は気にしなくて良いと言われているものの、未婚の女性が長く働くのであれば結婚する相手のことも考えなければいけない。
「もし、ローズ領でどなたかと結婚した場合、私はローズ領で暮らすことになるので、そうするとエディグマから離れているのは寂しいなって……」
「…………」
「親離れ出来ないと思われるかもしれませんが、どうしてもエディグマから遠い地で暮らすことは寂しいと思ってしまうのです。かといってエディグマに戻るとなると、逆に結婚する方を田舎町にお迎えすることになります。そんな奇特な相手もいなくて。いっそ市井の方でも良いのですが……エディグマの民とは小さい頃から顔を合わせているため今更結婚というのも考えられないんですよね」
御者の方から名を呼ばれる。どうやら馬車の準備が出来たみたいだ。
変な悩みを相談したことが恥ずかしくて、アルベルトに「馬車来ましたね」と声を掛け、早足で馬車に向かった。
御者へ行き先に兄の邸近くの場所を伝え、馬車の扉を開けてもらう。
御者が馬の手綱を持ち、移動する準備をしている間に私はアルベルトを見上げる。
彼は無言で手を差し出して私が馬車に乗る手伝いをしてくれる。
馬車に乗り、椅子に座ったため手を離そうとしたけれど、掴まれた手が離れない。
不思議に思いつつ、馬車の扉から覗くアルベルトを見た。
「今日はありがとうございました」
お休みなさいと伝え、手を離そうと思ったのだけれど。
「マリー」
突然、敬称も何もなく名を呼ばれ顔を上げた。
そこには真剣な眼差しで見つめてくるアルベルトの焦茶色の瞳があった。
どうしたのだろうと言葉を待った。
すると。
「私と結婚しませんか」
プロポーズされた。
「…………」
「…………」
お互い沈黙しながら見つめあっていると、御者の方から「出発しますよ」と声をかけられ、同時に我に返った。
アルベルトは、今何を言った?
思い出した途端、私は顔が真っ赤に染まり、混乱したまま手を離したけれど。
私以上に顔を赤く染めているだろうアルベルトが。
自分の言った言葉に驚いた様子で口に手を当てていた。
「扉を閉めて頂けますか?」
離れないアルベルトに御者の方が声をかけ、アルベルトは慌てて扉を閉めた。
窓から見えるアルベルトの驚く顔と目が合いながら。
馬車が出発した。
段々と小さくなり、景色に消えるアルベルトを。
私は真っ白になった頭と真っ赤に染まった顔のまま。
呆然と眺めていた。