2.男爵令嬢の舞踏会
舞踏会場に案内される。
男爵家が呼び出されるのは最後に近いため、暫く名を呼ばれて入場する上位貴族の方を眺めていた。
人間観察をしながら時間を待っていると、警護中の騎士と目が合う。騎士団で侍女をしていた時によく話をしていた人を何人か見かけたので表情だけで挨拶をした。
そうこうしている間に順番が来た。
「スタンリー・エディグマ男爵、並びにマリー・エディグマ嬢!」
名を呼ばれ兄のエスコートで入場する。
煌びやかなシャンデリアの光が眩しい。どうにか笑顔を固めながら進むと、まず目に見えたのは壇上の玉座で座るリゼル王の姿。とてもご立派だった。
更には玉座の近くで立っているレイナルド。戴冠式に着ていた礼服とは違い、舞踏会用の礼装に着替えていた。脚が長いこともあってよく似合っているし、彫刻のような美しさだ。
私はどうにか足を躓かせずに中に入り、ドリンクを受け取り待機する。
全員の呼び出しが終わると、玉座にいたリゼル王が立ち上がりグラスを掲げた。
「今日という日を祝して。乾杯!」
とても短い乾杯に、私もグラスを持ち上げて祝った。
パーティーを華やかにさせる音楽が溢れ出した。
食事が美味しい。
ダンスもせずに兄妹でお皿片手に豪華な食事に色めき立つのは、紛れもなく私達は美食家である父の子供という証拠だった。
「これ、トゥール地方の海老のムニエルじゃない。こんなに鮮度が良い状態で食べれるなんて」
「生け捕りしたまま城に持ってきて、ギリギリで調理してるんだよ。マリー、今何食べた?」
「巻物よ。中にサラダが入ってて面白いわ」
社交の場より食い気が勝る兄妹で食事をしている姿が浮いていることに、当の私は全くもって気付いていなかった。
音楽が変わり、王がファーストダンスを踊る。
踊る相手は縁戚にある王家の女性で、既婚であり降嫁された方だった。
ここで未婚の女性をパートナーにしないあたりがとてもお上手だわ。
ファーストダンスが終わると、辺りで男女が組みダンスが始まる。
「踊る相手はいらっしゃるの?」
私は兄に尋ねると、シャンパンを飲んでいた兄がこちらを睨む。
「当たり前だ。順番待ちするぐらいだ」
嘘か本当か分からない事を言っている。
「お前はどうする? 俺と踊る?」
「そうですね……」
折角だからと兄の誘いに乗ろうと思っていたところに、私達に近づくレイナルドに気が付いた。
一直線に向かってくるので直ぐに分かる。
「マリー」
嬉しそうなレイナルドの声。私は周りの目もあるため、取り急ぎ軽い会釈を交わす。
「よく似合っています」
「ドレスと飾りをお贈りくださった公爵のお陰です。ありがとうございました」
「お礼はダンスで受け取っても?」
レイナルドから社交のお誘いを受け取る日が来るなんて。
かつての少年だった頃の記憶しかない私は驚きつつも笑った。彼のダンスは見てみたい。
「喜んで」
レイナルドから差し出された、白手袋をはめた掌に手を差し出しホールの真ん中まで誘導してもらう。
背の高い肩に手を添え、レイナルドの長い指が私の腰に触れる。
音楽が流れ出す。私達はゆっくりとリズムを刻む。
「マリーのファーストダンスは誰だったのですか?」
踊りながらレイナルドが耳元に近づいて聞いてくる。
「兄ですよ。田舎町の娘には知り合いの男性なんていませんでしたし」
「デビュタントの場では声を掛けられませんでした?」
「全くもってありませんね」
その理由が、かのデビュタントの時に虐められていた令嬢を助けていたからという話は省略しておいた。
軽やかにターンを促すレイナルドのダンスは、一緒に踊っているだけで上手いと分かる。
彼から贈られたドレスが照明の光に反射し輝く。
「こんなに上手に貴方が踊れるなんて。ローズマリーだったら驚くでしょうね」
「……姉様は?」
「特に……何も感じません。記憶だけしか」
彼を復讐から解き放った時に強く感じたローズマリーの感情が、今は全く感じられなかった。
今までと変わらずローズマリーだった頃の記憶を持つだけだった。
レイナルドは、彼を呪縛から解き放った時のローズマリーに会いたいのか、食事に訪れる時にも聞いてくることがあるが、残念ながら彼の望む答えは伝えられない。
彼は姉との再会を望んでいるのだけれども、私は恐らくもう叶わないと思っている。
それは、ローズマリーの意識が強い時に感じた、死者としての自身の立場と、レイナルドやアルベルトの未来を想う気持ちが強かったこともある。
何よりローズマリーは既に私の中で一つに溶け合ったような感覚があったから。
説明するには難しいため言葉を濁す。
「私が大きくなったら姉様とダンスをしてみたいと思っていました」
「ローズマリーも同じですよ」
「貴女と踊れて嬉しいです。マリー」
ローズマリーの時に覚えている翡翠の瞳を煌めかせながら、私を見下ろしてくる笑顔に応えた。
レイナルドとのダンスを終えた後、彼は仕事があるために挨拶をして別れた。
その後、彼には大勢の女性からダンスに誘われていたけれども誰とも踊らなかった。そのためか私への好奇に満ちた視線は更に強まったため、居た堪れなくなって庭園に逃げる。
会場から少し離れたことで、音楽が遠くから小さく聞こえてくる。
既に暗くなった夜空には星が微かに見える。季節は暖かい時期とはいえ夜風は体に悪いためか、人の姿は少ない。
人が少ない場所に居ることも良くないと思い、庭園の広場にあるベンチに腰掛けた。ここであれば直ぐに会場に戻れるし人の目も届く範囲だ。
流石に王室の舞踏会では無いと思うけれど、こういった薄暗い場所は逢引に格好な場所のため、人の少ない場所にはなるべく行かないようにするよう女性は教わっている。
人の多さに気をやられていたためか、静かに夜空を眺めていると気持ちが落ち着いてきた。
「エディグマ嬢」
ふと、声をかけられ視線を向ける。知らない男性が立っていた。
「よろしければご一緒しても?」
グイグイ来るタイプである気配を察して私はベンチから立つ。
「少し休んでいただけで、すぐに戻ります。兄を待たせているので」
ちなみに兄は今、顔見知りの女性とダンス中だ。
「少しだけでもお時間を頂けませんか?」
予想通り食い下がってきた。
そもそも名乗らない男性と馴れ合うつもりもないため、更にきつめに返答しようと思っていたら。
「どうされました?」
少し離れたところから、鋭い視線を男性に向けたアルベルトが立っていた。