1.戴冠式と舞踏会
謁見の間の扉が荘厳な音楽と共に開かれる。
剣を両手で正面に掲げた騎士がまず入室する。足取りは遅く、一歩一歩と進んでいく。
次に歩くのは正装したレイナルド。
金色の少し伸ばした前髪は後ろに撫でた形で整えられている。
普段使いしない装飾で煌めき、厚手の生地で作られたマントに黒を基調とした公爵位らしい正装だった。長袖の襟部分には細やかな刺繍が描かれた、まるで絵画から出てきたような美しさに、周りの令嬢から溜息が漏れる。
そして列の中央に一人ゆっくりと歩みを進めるリゼル王子。
今日、この戴冠式の場をもってリゼル王となられる。
レイナルドと対比するように白を基調とした王族の衣装に、赤生地で長いガウンは王の正装として使用される唯一の物。
私はローズマリーの頃でさえ滅多に見たことがない、その美しさに胸が高鳴った。
輝く金の糸で施された刺繍。歩くたびにシャンデリアの光が反射して輝くよう金が縫い込まれたガウン。手には世界を統べる神を倣い錫杖を持つ。歩く度にシャランと鈴の音をたてる錫杖が使われるのは、戴冠式等の国を挙げた大きな行事の時だけだった。
私は、時々ローズマリーが耳にしていた鈴の音に耳を澄ます。とても綺麗な鈴の音は、入場と共に流れていた音楽と重なるように奏でられている。
リゼル王子の後ろから各大臣が並び進んでいき、用意された席へと移動する。
リゼル王子が謁見の間の正面に立つ。
宰相と枢機卿の司祭長が王冠を運ぶ。直に触れることは出来ないため、手には手袋を。
黒の手袋で王冠を取り、祈りを捧げる司祭長の隣でレイナルドがリゼル王子に王冠を向ける。
リゼル王子は膝を曲げ、首を垂れる。
赤色の長髪はいつものように一つ結びされているが、頭を下げることで肩から揺れ落ちる。
「ディレシアス国に繁栄を」
レイナルドの言葉と共に王冠を頭に乗せられる。
リゼル王の誕生だ。
そんな奇跡のような戴冠式に、私は場違いなのにも拘わらず参加していた。
急を要して進められた戴冠式は、グレイ王を断罪してひと月と少しで行われた。
あまりの早さに驚いたけれども、あくまで国内だけで執り行い、外交として他国の方をお呼びするような行事は別に行うことにしたらしい。
そして、本来なら国の大臣関係者や王の親族しか参列できないはずの戴冠式に、私も参加していた。
本当に場違いも良いところなのだけれども、リゼル王子からもレイナルドからもお願いされ、結局参加してしまった。
本当は恐れ多いのではと萎縮していたけれど、式を終えてみれば参加して良かったという思いだった。
リゼル王の立派な姿、国の安泰を目の当たりにして安心する想いが出来た。
直接話す機会は無いだろうけれど、私はリゼル王に感謝した。
ちなみに、不相応にも参列した男爵令嬢である私に興味を持つ人は多く。更にはレイナルドが式が終わる最後、私に向けて普段見せないような笑顔を投げかけてきたことによって。
私は式が終わる頃には「ローズ公爵の寵愛を受けた女性説」や「ローズマリー嬢の隠し子説」等、おかしな説を生み出していた。
式典は戴冠式だけで終わりではなかった。
夜には戴冠式を祝う舞踏会が行われた。そちらにも参加するよう言われていた。
侍女として働きに来ていた私にドレスなんて大層な物は無いからお断りしようと思っていたのだけれど、レイナルドに既に発注されていたドレスを贈られ、止むを得ず参加することになった。
用意周到すぎるレイナルドからは、舞踏会でのエスコートに名乗りをあげてくれたけれど、彼は主催者側なのだからそんな暇も無いだろうと丁重にお断りし、デビュタントの時と同じように兄にエスコートはお願いした。
城で働く兄も勿論招待されていたのだけれど、私がエスコートを頼むと不満気だったけれども渋々承諾してくれた。
アルベルトに関しては城内の警護任務があるため、彼もまた主催者側になるだろう。
私はレイナルドから贈られた上質な絹で織られたドレスを身に纏ったは良いものの、髪型をどうしようかと姿見で確認していた。レイナルドが贈ってくれたドレスは薔薇の飾りが小さく飾られていたドレスだから、髪にも同じように飾りを付けた方が良いかと考える。ちなみに薔薇が入ったドレスを贈るあたりがとてもレイナルドらしい。
ドレス以外にも装飾品を複数点プレゼントされていたため、その中から薔薇の付いた髪飾りをあげた髪に飾り付ける。一体この数々のプレゼントはいくらなのかを考えることは止めておいた。聞いたら絶対に着れなくなるからだ。
式典を終え、舞踏会までの待ち時間、髪飾りを付け直したり化粧を確認するため用意された個室で時間を費やしたものの、他の令嬢と異なり侍女も付けずに来ているため手持ち無沙汰になり、個室の外へ出た。
王城の舞踏場での準備が終えるまでの間、来賓客は近くのラウンジや庭園で時間を潰している。
大勢の客人の中から兄を探すために歩いていると声を掛けられた。
立派な騎士服を着たアルベルトだった。
「アルベルト様。巡回中ですか?」
「はい。マリー嬢貴女は……?」
「兄を探していました」
アルベルトの呼び名は下の名前を様付けすることで定着した。一時、ローズマリーの影響もあって彼を呼び捨てにしたこともあったけれど、考えれば私には遠い存在の立場にある人を呼び捨てなんてと思って、今に至っている。
その事に関して、アルベルト自身はとても物申したそうにしていたので、人前でだけということで妥協した。レイナルドも同じく、というところ。
そして彼らは私をマリー嬢、又は呼び捨てで呼んでもらうことにしている。それだけでも周りには不思議に映るので嫌だったけれども。
「スタンリー殿でしたら先程に喫煙ルームにいましたよ。それより……」
何か言い辛そうにしながらも、アルベルトが私の姿を見つめてきた。頬が僅かに赤いところを見て、察した。
「似合ってますか?」
ドレスの裾を少し掴んで軽くカーテシーしてみせる。
私の言葉にアルベルトが柔らかな笑みを浮かべて「とても」と返してくれた。
社交辞令が苦手な彼からの最大級の褒め言葉に、私も嬉しくて頬が染まる。
「アルベルト様もとてもお似合いですね。いつもの隊服も素敵なのですが」
「任務を行うには窮屈ですけどね」
帯刀しながらも普段より装飾も多い騎士服は、実戦向きではなくどちらかといえば式典のための衣装のため、華やかさと清廉さがよく伝わる作りだった。
更には今回、爵位授与も決まっている目の前の騎士団長様に向けられる好奇の視線は止まることを知らない。
こうして会話をしているだけで私には刺のような視線が男女共に投げつけられてくる。
「マリーは隊服と正装ではどちらがお好みですか?」
気恥ずかしそうに聞いてくるアルベルトに、私は目を大きくしてしまった。
容姿や服装の良し悪しなどあまり気にしない印象が強い彼にしては珍しい問いだと思った。
暫くアルベルトを眺めてから、いつもの彼を思い出す。
「やっぱりいつもの隊服がいいですね」
と返したら、嬉しそうに「私もです」と笑う。
正装した彼も素敵だけれど、騎士としての職務を全うするアルベルトはとても誇らしく、格好良いと思った。
「ああ、スタンリー殿が参られましたね」
視線の先に、喫煙ルームから戻ってきた兄が私達に近づいてきた。
「では、また後でお会いしましょう」
アルベルトが軽く手をあげ、任務に戻る。
すれ違うようにして戻ってきた兄がアルベルトを見てから私を眺めてきた。
「お前はやっぱ凄いな」
「何ですか急に」
突然の発言に私は眉を顰めるが、兄は気にせず続けてきた。
「いや、仕事の鬼だった騎士団長が職務中に話をする姿を初めて見た。それにお前が一人なのを気遣って俺が戻ってくるまで傍にいてくれたんだろうな。そこまでさせるお前が凄いってこと」
言われてそういえば、と気付いた。
彼は今回の警備を任されている立場だった。それなのにも拘わらず私の事を気にかけてくれたのだ。
「そんでもって、さっきから視線が痛ぇ」
好奇の視線は変わらず注がれている事に不快を示す兄が、私を連れて庭園に移動する間。
私は任務を遂行するアルベルトの姿を遠目から眺めていた。