41.最後の手紙
「マリー。飯まだ?」
「兄さん……何度も言ってるけれど、私は兄さんの侍女じゃありません」
そう言いながらも、私は焼き立てのパンを兄の座るテーブルの上に置く。
この日常は、エディグマ領にいた頃と変わらないけれど、生憎場所は兄の住んでいる小さな邸だ。
城内は急に行われた王の退位並びに国王派の諸侯達が処罰されたことで動揺を見せた。
一時は王宮内も騒然としていたが、反国王派の手腕と、リゼル王子による国民への説明並びに前国王の謝罪文の公開により、そこまでの混乱は起きなかった。
しかし、急な即位に伴い戴冠の儀を急遽行わなければならないと準備する城内は大変慌ただしい。
クーデターの首謀者であるレイナルドはほぼ強制に近い状態で周りの諸侯達から次期宰相となりリゼル王を支えるのだと言われ、反対する間も無く王城で仕事に追われている。
本当ならばローズ領に戻りたいし、何ならマリーと帰りたいとレイナルドは言っていたけれども、それはあっさりとアルベルトによって却下されていた。
騎士団長であるアルベルトも多忙を要していた。
組織改変もさることながら、国内が慌ただしくなると周辺国への警戒も強化しなければならない。混乱に乗じて何か問題が発生してしまってからでは遅い。
更には反国王派であった騎士団員もいた。反国王派の子息で騎士団員だった者も一時待機命令が出てしまい、人員が全体的に不足している。
王宮も騎士団も全てにおいて慌ただしい状況のため、ローズマリーに関する罪の改めは後回しでも構わないと、レイナルドには伝えている。とても不服そうだったけれど、私としてはそもそも特に急ぐものでもないし、この慌ただしい中で更に仕事を増やしてしまうのは申し訳なかったからだ。
そのため全てが終わるまで一時の休みを貰っている私は、何だか申し訳ないので書類を持ち帰ってきているアルベルトの手伝いを時々だけれどもしている。
苦手な書類仕事と向き合わなければならないと、目の下に隈を作ったアルベルトが嘆いていた。
そしてアルベルトも、「貴女に早く騎士団の侍女に戻って欲しい」と告げられたのだけれど。
これは同じくレイナルドによって却下されていた。
どちらにも必要が無いのであれば、婚約者候補として呼ばれていた令嬢達と同様に領地に戻ろうかと思ったのだけれども。
それは二人から引き留められ、結局私は王宮内で働く兄の元に身を寄せている。
かつて私が呼ばれたきっかけでもあった婚約者騒動は一度白紙に戻り、全員帰るように指示されていた。
ニキとは彼女が帰る間際に挨拶を交わし、お互い手紙を出し合おうと約束した。
また、彼女は戻ったら恋人との結婚を両親に報告したいと言っていたので、もしかしたら次に会う時は結婚式かもしれない。
私は先に花嫁になるであろうニキとの再会を楽しみにしながら、彼女が乗った馬車を見送った。
侍女としての仕事を休むことになり、手持ち無沙汰であることは事実だけれども、まさか兄の邸の侍女になるとは。
今までの高待遇に比べて、ほぼ無給で働くような仕事内容ではあるものの、王都で過ごせることは嬉しかった。
レイナルドとアルベルトは時間を作っては会いに来てくれる。
初めこそ、その立場の差から萎縮していた兄だけれども、普段から厚かましい兄は度重なる彼らの訪問に慣れ、家の中では家族の友人を迎えるような態度になっている。
王宮で兄は本当にやっていけるのだろうか。
心配になって聞いてみたけれど、二人からの回答では問題なさそうだった。
それどころか、私の兄に対して何故か二人の方が敬語だったりする時があるので必死で直してもらった。
兄に敬語なんて恐れ多い。足蹴にしたって構わないのに。
そして今日も、二人が夜には来れると言っていたので夕食の用意をしておいた。
庶民の味に近いというのに、二人は喜んで食べてくれるので、こちらとしても作り甲斐がある。
今日は野菜の煮込みシチューに焼き立てパン、王都内で旬の魚を使ったムニエル。
折角なのでと用意した白ワインは安物なので酸味が強いけれども、さっぱりしている。
案外酒に強いレイナルドと、酒には弱いらしくすぐ顔が真っ赤になるアルベルトを見ながら、私は水を飲む。
「いつも思うけれどマリーの料理は本当に美味しい。もう城での食事では満足出来ないよ」
「そうですね。是非作り方を城の者に教えて貰いたいですね」
レイナルドとアルベルトによる、世辞とは思えない賛辞は日常茶飯事だった。
最初の頃こそ照れてはいたが、日常と化してくると慣れてきた。
「父が美食家なので色々な料理を作ってきましたから」
「父君は良い趣味をお持ちだ」
是非一度お会いしたいとニコニコ微笑むレイナルドだけれども、既に彼の本性を垣間見ている私としては笑顔で濁しておいた。
「リゼル王子はどうしていらっしゃいますか?」
戴冠式が終われば王となるリゼル王子には、かつての断罪の日以来会っていない。
誰よりも多忙となっているであろうリゼル王子は、城内で業務に励んでいるとだけ聞いている。体を壊すのではと心配されるほどにだ。
「そうですね。少ないながらも休憩はしっかり取っていらっしゃいますよ。暫くはどうしても忙しいでしょうが、戴冠式さえ終わってしまえば少しは休めるでしょう」
頬を赤く染めたままのアルベルトが答える。
「そういえばマリーによろしくと仰っていましたよ」
「そうですか。体を壊さなければ良いのですが」
折を見て手紙を書いてみるのも良いかもしれない。
そんなことを考えていると、兄が帰ってきたらしく邸の扉が開いた。
「帰ったぞー。ああ、ローズ公爵にマクレーン様。また来てたんですか」
この態度である。
「お邪魔している」
「エディグマ卿、お邪魔しています」
身に着けていた外套を取ると適当に椅子に掛けるので、仕方ないと立ち上がり掛けられた外套を手に取る。
「マリー。ほら」
壁の外套掛けに掛けているところで、一通の手紙を渡された。
「何?」
「リゼル王子から渡された。お前、この二人だけでも不相応だってのに、王子とまで親交あったのかよ」
我が家には不相応な相手からの手紙だというのに、ポケットから取り出した手紙は少し皺くちゃになっている。兄の行動が私には分からない。
とりあえず受け取り、テーブルで食事をしながらも心配そうに見てくる二人に席を外すことを伝え、寝室に行く。
部屋数が少ない兄の邸の寝室を自室として使わせてもらっていた。
手紙は、かつて騎士団の侍女として勤めていた時にも貰っていた封筒と同じだった。
ペーパーナイフを机の引き出しから取り出し、封筒を開ける。
中には一枚の便箋。
開けば、丁寧に書かれた文字で初めに私の名前が記されていた。
社交的な挨拶から始まる手紙を読みながら、私はずっとリゼル王子に伝えられていない真実を問われるのではと緊張していた。
彼にはまだローズマリーの生まれ変わりであることは伝えていない。
けれどあの場で、レイナルドと話す私を見ていた彼のことだから、薄々気付いているのかもしれない。
ただ、王を断罪の後、顔を合わせ話をする機会が無い現在、その事を話す機会が無かった。
どういうことか説明してほしいと言われていたこともあり、手紙で聞かれるのであれば真実を返そうと思っていたけれど。
「え?」
手紙には、その事は話さなくて良いと書かれていた。
『きっと計り知れない事情があると推測します。貴女に無理を強いたくない。どうか貴女の心に仕舞っておいてください。私もまた貴女に真実を問いません』
そして最後に記される社交的な別れの挨拶。
『貴女が過ごしやすい日々を築けるよう、王の立場となる者として役目を果たしてみせます。
どうかお元気で。貴女の安寧を心から祈ります』
リゼル王子の手紙を読み終え、ふう、と息を吐いた。
彼の好意については一切触れていない手紙が何を表すのか。
何となく感じ取れた。
今まで受け取ってきた手紙に必ず添えていた一文が無いことにも気付いた。
彼は必ず、文末に「貴女への想いと共に」という恥ずかしくもある言葉を記載していたのだ。
つまりは、そういうことだろう。
「ありがとうございます……リゼル王子」
手紙に向けて礼を言うのも滑稽だけれども、言わずにはいられなかった。
もう恐らく、リゼル王子から手紙は届かない。
最後になるだろう手紙を、私は大事に引き出しにしまった。




