3.華々しきデビュタント
ガタガタと揺れる馬車の乗り心地は最悪だったけれど、慣れれば環境に適応するようで、気持ち悪い揺れにもだいぶ慣れてきた。
(さすがに丸二日も乗っていれば慣れてくるものね……)
私は今、遥か遠くに見える王城へと向かっていた。
事の発端は、一ヶ月ぶりに戻ってきた兄から渡された手紙だった。
「何これ」
「王室からお前宛だとよ」
「はあ?」
思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
「何で私に?」
「さあね」
焼き立てのパンをつまみ食いしながら兄であるスタンリー・エディグマは屋敷の奥に進んでいった。恐らく父に王都や領地に関する報告でもしに行くのだろう。
さっさと隠居をして田舎生活に生き甲斐を見出した父とは正反対に、兄のスタンリーは田舎暮しを嫌がり、父の跡を継ぐと早々に王都に通い出した。こうして月に一度領地の様子を見るために戻ってきているが、こんな平和なエディグマ地方、片田舎で何かあるわけでもなく、どちらかといえば息抜きに帰ってきているように見える。
受け取った封筒を裏返すと、見覚えのある印章。
獅子の刻印は国王の象徴、つまり国からの書状であることを意味する。
ローズマリーの頃にはよく目にしていた刻印だった気がする。
恐る恐るペーパーナイフで封を切り、中身を読んでみれば……
「最悪だわ」
心の底から溜息を吐き出した。
「王室からの手紙だって?」
兄から話を聞いたらしく、父が階段を降りて私の元に寄ってきた。
私は、手にするのも嫌な手紙をさっさと父に渡す。受け取った父はしばらく読んでいると「凄いじゃないか」と驚いた。
「王宮侍女への推薦状だぞ。何だってマリーが?」
「王太子の婚約者探しだよ」
父の書斎から出てきた兄が口出ししてくる。どうやらつまみ食いしたパンは既に腹の中らしい。
「ああ。リゼル様もそんなお年頃だったな」
リゼル・ディレシアス王太子。
ローズマリーにとっては元婚約者であるグレイと、その婚約者である地位を奪い取った女、ティアとの嫡子だ。
(ローズマリーが亡くなって一年ぐらいしてから誕生されたんだったかな)
大恋愛の末に産まれた赤児は、未来の国王として国をあげて祝われたらしい。
「いやあ、にしてもマリーを妃候補だなんておかしいじゃないか。地方の男爵令嬢なんて何の利益も無いぞ?」
ごもっともな父の意見に頷く兄。
私は少し考えたのち、二人に意見する。
「何も利益が無いからですよ。下手に得する相手と結婚すれば、現王権の勢力が傾く恐れがあるから。だったら何の得もしないけど、何のリスクも無い田舎娘を候補にしてるんでしょうね」
ローズマリーの時に散々悩まされた政権競争にはウンザリしていた。
(ローズマリーが婚約者になったのも、ユベール侯爵が地位を確固としたかったところが発端だったし)
ローズマリーの父は政力争いにしか興味のないような男だった。
ろくに愛情を注がれなかったローズマリーが、幼心に寂しさを覚えていたのは覚えている。
「いや〜マリーは頭がいいねえ。父さんちっとも考えつかなかったよ」
嬉しそうに微笑む父に笑って誤魔化しておいた。
今の父は十分に愛情を注いでくれている。それで十分満たされている。
(今の私は幸せだわ……)
「まー後はお前の噂が結構出回ってるからだろうな」
しみじみと感慨に耽っていたが、二つ目のパンを頬張る兄の言葉に顔を上げた。
「噂?」
「お前のデビュタントだよ」
「ああ〜……」
父と同時に唸ってしまった。
思い出したくも無いデビュタントがフラッシュバックする。
デビュタント。成人した女性のお披露目会。
十七という少し遅めの年齢で私は王都に足を向けた。
当時まだローズマリーの記憶はないけれど、かつての自分が亡くなった場所に向かう足取りは重く、ギリギリの年齢まで王都に行くことを拒んでいた。
流石に結婚出来なくなるぞ、という兄の脅しもあって、兄にエスコートを頼みデビュタントを果たしたのだ。
会場に入室した私に視線を送る人達の顔は、幾ばくか驚いた顔をしていた。
驚かれる理由は、ドレスにあった。
(やっぱり浮いたか……)
フリルを大量に使用したプリンセスドレスが当時主流の中、私のドレスは真逆にもシンプルなデザインを主軸としたマーメイドドレスを着用していたのだ。
年齢も十七と周りよりも歳が上の中、フリルたっぷりのドレスとか無理だし、そもそも田舎であるエディグマ地方に流行に富んだドレスなんてものはない。
流行遅れのドレスを着て笑い者にされるぐらいなら、自分に合ったドレスを着たい!
そう思い、馴染みの針子である友人の元に通い、何年も前から遡ってドレスのデザインを見聞した。
よくよく資料を見ていると、一定周期でドレスの流行が変わっていく様子が見て取れた。
数年前は淑女らしさが窺えるミモザドレス、その前はエンパイアライン。
最近廃れた流行りのドレスを除き、自分に合うドレスを考えた結果、体型が細く身長が一般女性よりは僅かに高い自分にはマーメイドドレスが似合うと判断し、製作に掛かった。
蜂蜜色の瞳と榛色の髪が明るい色だから、ドレスの生地は派手さよりもシンプルな色合いを。
装飾はゴテゴテしたものよりも細いデザイン。光の反射のみで輝くシルバーを。
髪結いは大人びすぎるとデビュタントに浮きすぎるため、多少前髪を下ろし後ろ髪を纏めあげる。
結果、笑われることは無かったが、浮いたのは事実だった。
「ドレスについては今でも城にいると聞かれるからな。妹さんを雇いたいってよ」
「それは丁重にお断りください」
ドレスのセンスが良かったとしても、私だけの実力じゃない。針子の友人の協力あってこそだ。
「あと、もう一つあっただろう?あれも噂の一因かな」
呑気に父が言う噂に、兄が笑い出したので睨んでやった。
「ドゼ地方の令嬢がどっかの子爵にからかわれていたところにマリーが登場!てやつか」
私の睨みも無視して兄がわざとらしく声を張る。
「ご機嫌ようなんちゃら子爵。ドゼ男爵令嬢もお久しぶりです。先日素晴らしい鉱石を発見されたとお伺い致しました。あまりの素晴らしさに王妃様も大変お喜びだったそうですね。とまあ嘘をツラツラ」
「嘘ではありませんよ。ドゼ地方から鉱石が出たのは本当でしたし」
「そこで王妃の名前やらお偉方の名前を軽々しく口にして、相手が萎縮したところでドゼ令嬢を連れて退場」
「お陰で恥をかかずに済んだドゼ令嬢のご両親からは今でもお礼状を頂いているよ」
ニコニコと微笑む父。
ニヤニヤと語る兄。
私は深々と、本当に深々と溜息を吐いた。
(目立たなきゃ良かった……)
当時の行動は、我ながらよく行動できたなと驚いていた。
それがローズマリーの時に叩き込まれた淑女としての知識からなのかは分からないが。
結果、私はこうして丸二日かかる王都へ向けて、兄と共に馬車で向かうことになったのだ。