37.転生した悪役令嬢は復讐を望まない
扉を開けた途端、聞こえてきたものは断末魔だった。
突然の叫び声に私は体が硬直した。瞬時にアルベルトによって抱き竦められ、何が起きたのか分からなかったが。
「父上!」
リゼル王子の緊迫した声に、顔を謁見の間の正面に向けた。
まず目に見えたのは、ずっと探し求めていたレイナルドの姿だった。
そして彼の前には複数の騎士の姿と、グレイ王。
そして、彼らの辺りに散る鮮血の赤色。
私は恐怖する心を叱咤し、現状を冷静に調べた。
王は斬られているが致命傷ではないようで、呻き声を上げながら斬られた肩口を必死に止血すべく押さえていた。それでも彼の首元に伸びた騎士の剣は引かない。
王を斬りつけた相手はレイナルドで間違いなかった。レイナルドは赤く染まる剣を持ったまま、扉の前に視線を向けた。薄暗く翳った瞳が私を見つけると驚いたように見開いた。
「どうして貴女がここに……」
そして次にアルベルトを見据え睨んだ。アルベルトが呼び出したと思ったのだろう。
緊張が走る中、リゼル王子が王の元に近づこうとしたが、待機していた他の騎士によって妨げられていた。
「邪魔しないで頂きたい。リゼル王子よ」
彼の父によって染まった剣先をリゼル王子に向ける。
「貴公を処罰する事は想定外なんだ。黙ってそこで見ててくれるかな」
「……」
リゼル王子は黙りレイナルドを真っ直ぐに見つめる。悔しい思いを堪えながらも従うしかない事をリゼル王子は理解している。
もしリゼル王子が行動を取った場合、レイナルドは躊躇することなく王子に剣を向けるだろう。
「今更正論を並べないで欲しい。貴公の父君と母君は罪を重ねすぎている。どれほどの怨恨を持たれているか分からないでもないだろう? 賢き王子よ」
レイナルドには、リゼル王子が述べたい意見を一切受け付けないと公言した。綺麗事では終わらないのだという強い意志。
「それと、マリー嬢」
リゼル王子に向ける視線とは違い柔らかい眼ではあったが、強く刻まれる怨恨の思いは変わらない。
「どうやってアルベルトを説得したか分かりませんが、どうかこのまま私の復讐を遂げさせてください」
「……私を悲しませるようなことはしないと、約束したじゃないですか」
「そうですね……」
いつかの約束を、彼はまだ覚えていてくれた。
「復讐を考えているのであれば止めて欲しいとも」
「はい。そう仰っていました。だからこそ、貴女に今日の事は知られたく無かったのに」
悲しみを宿した瞳が私を見つめた。
「貴女にだけは知られずに復讐を遂げたかった」
どんなに。
どんなにローズマリーが復讐を望んでいないとしても。
レイナルドにとって、復讐は決定事項であり、人生であり。
きっと彼の全て。
どれだけの長い時間、復讐を考えてきたのか。
復讐するために生きてきたレイナルドが私に向ける顔は。
ローズマリーが望んでいた、彼の幸せである願いが叶えられていない事を表していて。
私は、溢れる涙が止まらなくなった。
ああ。
ローズマリー、泣かないで。
私は、急に押し寄せてくるローズマリーの悲しみに押され足を進めた。
その間も理性で抑えきれない涙がしとどに溢れていく。
今までこれほどに涙を流したことがあるだろうか。
ローズマリーだって、どんなに辛くても涙を流さなかった。それは生まれ変わった私にも言えることだった。
たとえ家族に蔑ろにされても。
無実の罪を重ねられても。
生まれ変わり、大切な母を亡くした時も。
私という魂は涙を流すことを堪えてきた。
けれども今、溢れ出す涙は止まることを知らず、涙で霞む視界のままにレイナルドに近づいた。
「マリー?」
床にポタポタと溢れるほどに泣き続ける私に驚いて見つめるレイナルドに近づき、そっと彼の首元にしがみついた。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい」
ローズマリーが伝えたかった想いのままにひたすら謝罪の言葉を繰り返す。
「貴方をずっと苦しめてきた。貴方を遺して逝ってしまった。貴方に辛い思いをさせてしまった私を許して。レイナルド。ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」
しがみついて泣いて許しを乞う。
ずっと謝りたかった。
レイナルドという幼い弟に甘え、依存し続けた結果。
彼を復讐者にしてしまった。
彼が復讐すべき相手は誰でもないローズマリー自身だ。
「私が貴方の幸せを奪ってしまった。貴方の未来を奪ってしまった」
「姉様……?」
「貴方が復讐を遂げたいなら構わない。けれど、どうかその時は私にもその罰を与えて。本当に罰するべきは私なのだから」
「何を、言っているのですか……」
しがみつく私の腰に腕を絡み付け抱き締め返された。
「姉様が罰されるなどあってはなりません! 罪は全て奴らにあります!」
「ええ。そうです。彼らへの罰を貴方が望むなら、私が王達を罰します」
溢れる涙のまま、レイナルドの顔に近づき頬に触れた。
「彼らへの罰は私が下します。だけど、貴方の全てを失わせた罪を私は償わなければならない」
「罪……?」
「可愛いレイナルド。私を愛してくれたレイナルド。私は貴方の幸せを願うなら、貴方に復讐を遂げさせるような未来を与えてはいけなかった」
ローズマリーがよく撫でていた金色の髪を撫でる。
昔は見下ろして撫でていた髪が、今は見上げ、手を伸ばさなければ届かない。
これほど大きく成長するまで、彼はローズマリーの復讐を考えて生きてきた事実は、ローズマリーの罪の重さを思わせた。
「どんなに後悔しても元に戻れない。それでも今、貴方の前に立てるなら」
両の手でレイナルドの頬に触れる。
本当は泣き虫だったレイナルド。
雷の夜が怖いと一緒に眠ったレイナルド。
私の騎士ごっこに最後まで付き合ってくれたレイナルド。
愛している、たった一人の家族。
「貴方を幸せにさせてください」
涙に濡れる顔を近づけ。
返り血に濡れる彼の頬に口付けた。
頬の次は、額に。
次に鼻に。
ローズマリーがかつて弟にしていたおまじないのように。
私は口付けを注いだ。
触れていた頬に、涙が伝う。
くしゃくしゃに顔を歪ませて。
レイナルドが泣いた。
「どうして……」
嗚咽が混ざる声を必死に出す。
「どうして、私を置いていったんですか」
剣を落とし、両手で私を抱き締めた。
「姉様さえいればどうなっても良かったんです! 姉様がいないのにどうやって私は生きればいいんですか。何も信じられない。ずっと、ずっと会いたかったんです。ずっと姉様だけが側にいれば何だって良かったんです」
レイナルドの頬から伝う涙が落ち、私の頬に当たり私の涙と混ざり合う。
「身分を落としてもいい。貧しくても姉様となら乗り越えられた、どうして私を置いて死んでしまうのですか!」
「ごめんなさい……ごめんなさい、レイナルド」
「姉様は酷いです。姉様は本当に酷い。私を一人にしないでください」
幼い頃に伝えたかった言葉が溢れ出る。
幼子のようにずっと泣きたかっただろうレイナルドを。
やっと心から抱き締めることができた。
「酷い姉様…………愛しています……」
「私もよ。レイナルド」
甘えるように頭を摺り寄せる愛しい弟を抱き締めながら。
ローズマリーが願った最期の思いを。
ほんの少しでも叶えられたことに。
私は、新たにあふれ出る涙を零した。
書籍の文章追加作業と、私生活の仕事の影響により4/7までは18時投稿に変更させて頂きます。申し訳ないです…