32.(ローズマリー視点)転生した悪役令嬢の願い事
突如蘇ったローズマリーの記憶は、マリーという女性の中で密やかに芽吹き、ローズマリーという花を咲かせたように、全てを思い出した。
死を受け入れたローズマリーに終止符を打った縄が首元に掠った事がきっかけで記憶が花開くなんて、とローズマリーの意識を強くもった彼女は嘲笑した。
現世の生まれ変わりとして生きるマリーがローズマリーであった記憶を思い出した瞬間は、記憶の渦に飲まれ意識が混濁していた。
現世の彼女には前世の記憶が強すぎて、思い出して間もない頃はまるで、ローズマリーが蘇ったように意識を所有していた。ローズマリーという意識がマリーを支配するような感覚さえあった。
顔立ちは平凡寄りながらも人を癒すような優しい面影。背が高く体型は畑仕事などでしっかりしているマリー・エディグマこそローズマリーの現世。
父の愛と、亡き母の優しさ、だらしないながらも世話焼きな兄という恵まれた家族。
ローズマリーは、自身が最期に望んだ願いが実現したのだと改めて神に感謝した。
かつて恵まれなかった両親の情愛を沢山注ぎ込まれる現世に心から満たされていた。
ローズマリーは過去を思い出さず、マリーという現世を生き、永遠に眠り続ける存在で良かった。
マリーとして生きていくことで充分に満たされていたはずなのに。
どうして今、ローズマリーの記憶を思い出してしまったのだろう。
ローズマリーとしての意識が強く目覚めてしまった頃、思い出すのは弟であるレイナルドと騎士であるアルベルトの事だった。
誰よりもローズマリーに寄り添ってくれた二人に、ローズマリーは生まれ変わり、幸せであると伝えたかった。
マリーの姿のまま現れればきっと驚くだろうなと、苦笑した。
まずは彼らの所在を調べなければと思い至り、田舎からでは遅れて届く情報を頼りに調べようと思ったが、倒れた娘を心配して部屋に訪れた父であるトビアスの姿を見て現実に戻った。
そうだ。
私は今、マリーだ。
ローズマリーではない。
ローズマリーは過去の人間であり、既に命無き存在。
死者が生者に会うなどあってはならない。
可笑しいことに現実を受け止められたのは、今の父の笑顔を見たからだった。
マリーである私は、「今」の幸せを手に入れているというのに。
ローズマリーという過去が、レイナルドやアルベルトの「今」に介入していいのだろうか。
何より、マリーという現世を、ローズマリーという過去に引き摺らせてはならない。
何のために死に、生まれ変わったというのか。
ローズマリーは逢いたいと願う想いを殺し、マリーに自身のことは記憶として留めるよう強く意識して眠りについた。
二度と目覚めることなく、前世を思い出す前のように静かにマリーとしての生を感じようと思った。
一度目覚めてしまった前世という自我だけれども、時間と共に風化していくと直感ながら感じ取れたからだ。
しかし現実は思い通りにならない。
特に良い思い出も無い王家からの命令によりマリーは王都に行き、会ってはならないと強く心に命じていたアルベルトとレイナルドに再会してしまった。
再会した時に見たレイナルドとアルベルトの顔を見て、ローズマリーとしての意識は懐かしさと同時に、彼らの笑顔の奥に潜む悔恨や復讐心を感じた。
もし行動に移すのであれば止めるべきだと分かりながらも、マリーとして生きる自分には何も出来ないただの死者であることがもどかしかった。
それでもマリーは、ローズマリーの記憶からローズマリー自身の思いを汲み取ってくれた。
現世と前世で別人でありながら同一である互いを認識しあう不思議な感覚をマリーもまた感じていた。
マリーの中で密やかに意識として芽生えたローズマリーは願ってしまう。
もし、もしマリーが許してくれるのならば。
一つだけ叶えられていない願いを叶えさせて欲しい。
死ぬ間際にも願った大切な者を幸せにするという願いを。
奇しくも思い出してしまった前世の記憶に意味があるとしたら。
その願いを叶えるためだけだと、ローズマリーは思った。
『貴方がこの先幸せでいてくれることが、私の最後の願い』
処刑される死ぬ間際にローズマリーが思い出していたのは。
弟であるレイナルドの笑顔だった。
大好きなレイナルド。
唯一の家族として心を開いてくれた最愛の弟。
弟が姉であるローズマリーに依存したように、家族の愛情に飢えていたローズマリーもまた、レイナルドに依存していた。
婚約者に愛されなくても、弟が私を愛してくれている。
父が私を道具としてしか見てなかったとしても、弟は私を大切に慈しんでくれる。
私には愛情を注げる弟がいて、愛情を注いでくれる弟がいる。
その愛情に応えたい。
レイナルドが不幸であれば、それはローズマリーも不幸であると同じだった。
そんな依存関係が続けられるとは思っていない。
それでも、未来の王妃となるプレッシャーや父、婚約者に蔑ろにされてきた心を癒す術を、ローズマリーは弟に甘える事でしか解消出来なかった。
ローズマリーが亡くなった後、レイナルドが不幸になるとしたら。
それは依存し続けたローズマリーの罪だ。
そしてその罪は存在した。
アルベルトという一人の騎士を巻き込む最悪な形で。
ローズマリーにはアルベルトがレイナルドと共に復讐を果たそうとしていることに驚いた。
彼は生まれた時から騎士として育ってきた。
その強い志をローズマリーは幼い頃から隣で見続けてきた。
彼が復讐だけに命を使い果たすとは、ローズマリーにはどうしても思えなかった。
もしそのような考えになったとしたら、恐らくレイナルドにより騎士としての忠義を歪ませてしまったのかもしれない。
それもまた、ローズマリーの罪でもある。
自身の弱さが生み出した結果に、儚いローズマリーとしての自我は後悔で押しつぶされそうになる。
弟とアルベルトを、ローズマリーという亡霊から解放してあげたい。
そして誰よりも幸せになって欲しい。
どうしても願ってしまうローズマリーとしての思いを。
その悔恨にくれる前世の思いを。
マリーは確かに、受け取った。