29.籠の中の鳥は空へ飛び立つ
公爵付き侍女の一日を終えた。
疲れた体を、有難い事に使用できる浴室で洗い流し、寝巻きに着替えた私は用意されたベッドの上にダイブした。
レイナルドの言った通り、人の少ない屋敷は仕事量が多い。
むしろ、これが普通なのかもしれない。
王都内には侍女が溢れていたために分からなかったが、実際はこれだけ忙しいのかもしれない。
適度な疲労感でウトウトしていたところで扉がノックされる。
ベッドから起き上がり声をかける。
「少しいいかな」
声の主はレイナルドだった。
私はベッドから出ると急いで扉に向かった。
開ければ漆黒の服に身を包んだレイナルドが立っていた。
「どうぞ」
私は扉から彼を部屋に誘導したが、レイナルドは少し驚いてから苦笑した。
「警戒心も何も無いのは、喜ぶべきなのか悲しむべきなのか」
「警戒心と言われましても」
「いくら以前は弟だったとはいえ、今は他人でしょう?」
そう言いながらもレイナルドは遠慮なく入室してきた。
私はお茶を用意しようとしたが、レイナルドに止められた。
「少し話をしたら戻るよ」
口調が柔らかいことに、私は何処か安堵した気持ちで聞いていた。
仕事中のレイナルドの口調は、彼の異名通り冷たかった。
淡々と仕事をこなし、必要最低限に接する。それは侍女として支える私にも同じだった。
私情を挟まない姿勢を評価しながらも、どこか淋しさを抱えていたらしい。
ただ、時が経つにつれて今まで姉に話していた敬語のような口調が無くなったのは良い傾向だと思った。もし第三者に見られたらおかしいことは確かなので、私としては今の話し方がとても安心できた。
「仕事はもう慣れてきたね」
「とても充実してますよ」
「リーバーが喜んでいたよ。出来る侍女を連れてきてくれたってね」
ついでに嫁候補を連れてきたとも喜んでいるんだろうな。
乾いた笑いでもって返しておいた。
「これからの事だけど」
本題に戻り、私はレイナルドを見た。が、彼は私が立ったままであることに気づき、優しく私の腰に手を添えてベッドに座らせた。
彼は立ったままだったので、今度は私が隣に座らせるよう導く。
ベッドで隣り合わせに座るのは、幼い頃、眠れない彼を寝かしつける時によくやっていた。
小さな手を繋いでいたあの頃と違い、今では見上げる状態になっている。
「詳しくは言えないけれど、王都内が少し騒がしくなると思う。混乱に乗じて王太子の婚約者問題は一旦白紙にする予定だよ」
「そんな事ができるのですか?」
「私だけの力では無いけどね。でも、可能だよ」
いとも簡単に言うレイナルドに驚いた。
国一つ動かすのにどれだけの人力がいると思っているのだろう。
「元々諸侯達と一緒に王太子の婚約者問題とか、それ以外に関しても色々話は動いていたんだよ。それが早まったってだけの話だから」
「具体的には何が起きるんですか?」
「残念だけどそれはまだ言えない」
「……私に何か出来ることは?」
言っておきながら、出来ることなど何一つ無いことは分かっている。
けれども手助け一つ出来ない事がもどかしかった。
「あるよ。マリーにしか出来ないこと」
翡翠色の瞳が私を捕らえた。
至近距離にあった手が私の手をそっと掴む。
そしてそのまま抱き竦められた。
「私の元から二度と消えないで」
祈りのように囁くレイナルドを。
私は黙って抱きしめ返した。
数日してレイナルドは一人王都に向かった。
早馬に跨り領地を後にする彼を見送り、私は仕事に戻った。
いつも通り仕事をこなしながら、漠然と不安が残っていた。
本当にこれでいいのだろうか、と。
蚊帳の外に放って置かれたような、胸のしこりが延々と残り続けるような違和感。
見上げれば空には鳥が気持ち良さそうに羽ばたいている。
強固された屋敷の中にいる私は鳥を眺めながら。
まるでここは鳥籠の中のようだと思った。
レイナルドの執務室を何時ものように掃除している時、書棚に置かれた一冊の本が目に入った。
「懐かしい……!」
忠誠を誓う騎士とお姫様の絵本。
ローズマリーがこよなく愛した絵本が置かれていた。
周りには難しい専門書ばかりの中で目立つ絵本に思わず手を伸ばす。
古びた書物をパラパラと捲る。もしかしたらユベールの屋敷からレイナルドが持ってきたものだろうか。
懐かしみながら読み続ける。あれだけ愛読したというのに、内容がうろ覚えだっただけに新鮮だった。
物語は小さな女の子が好みそうな、分かりやすい物語だった。
悪いことをする王様と囚われた姫。
一人の騎士が王様から姫を救い出し、そして姫に忠誠を誓う。
姫は騎士に守られながら王子様を迎えて国を幸せにする、といったものだ。
ローズマリーは王子に一切興味なく、何故お姫様は忠誠を誓う騎士と結婚しないのだろうなんて考えていた。
よくよく改めて考えれば、この絵本もかつて国で起きた内乱を題材に物語化されていたものだった。
悪政働く王を騎士が粛清し、新国王を立てるために縁戚だった王子を王都に呼び出し、王の唯一の血縁者だった姫と、王位を継承させるための政略結婚を行ったという歴史があった。
その時。
私の中にあった違和感が、一瞬にして晴れた。
同時に急いで部屋を出る。
まさかと思う気持ちと、もしかしたらという気持ちがせめぎ合う。
いてもたってもいられずに馬小屋へ走る。
「ああ、でも駄目だ」
私は馬に乗れない。
この遠方からでは何一つ動けない。
もどかしい。急いでレイナルドの元にいかなければ。
彼を止めなければ。
彼は物語のように王を粛清する。
そんな気がして、私は抑えきれない思いから馬に勢いよく跨った。
馬が驚いて足を高く上げる。
私は必死にしがみついた。
私は馬に乗れない。
でも、ローズマリーなら?
貴族として淑女として、王妃として学んできた中に乗馬があった。
「お願い、ローズマリー……!」
貴女の弟を助けるために。
私は経験が無いはずの乗馬を必死で思い出し。
手綱をうまく引き寄せながら馬の鬣を撫でた。
大丈夫、行けるはずだ。
道は有難いことに移民のために舗装されている。
危険な賭けではあるけれども、今動かなければ後悔することが分かりきっていた。
馬が走る。
絶対に離さないと誓い手綱を手元に手繰り寄せた。




