25.公爵付き侍女に就任しました
慌ただしい日常の流れはまるで駆け足のように通り過ぎていく。
つい先日までエディグマの田舎風景を眺めながら生活していた私が、華やかな城内で侍女勤めをしていたかと思えば、絢爛たる騎士団の侍女になり。
そして今、北風が心地良いローズ領の侍女になるのだから。
「良い景色」
「マリーなら気に入って頂けると思いました」
薔薇印章が刻まれるローズ公爵の馬車に乗り、私は広大な山に囲まれた土地を窓から眺めていた。
あろうことかその向かいに座るのは、私の主人になるレイナルド・ローズ公爵。
書類手続きのついでだからと、私と共に移動しようと言ってくれた。
正直、その好意は有難かった。
荷馬車を繋いで移動するには結構な距離があるローズ領は、直接馬車で走らせても丸一日掛かるほどの距離にあった。騎乗して走れば半日と少しで到着するけれども、私は馬を走らせることも出来ないし馬車を使うお金も無かった。
そんな私にアルベルトが送ると言ってくれたけど、たかが一人の侍女のために騎士団長を使うわけにもいかず困っていたところにレイナルドからの助け舟。
私は素直にレイナルドの提案に賛同し、今に至っている。
正面に座るレイナルドは、長い馬車の移動で疲れるために、何度か長い足を組み直している。
王都近くのカフェテリアで会う時には前髪をオールバックにまとめ大人の雰囲気を醸し出していたが、自領に戻るということもあり今は前髪を横に流す程度にしている。
少し伸びた前髪は、ローズマリーと同じく微かに癖があり、緩やかなウェーブが刻まれている。
髪色はまとめている時には分かりづらかったが、薄茶色だった。
少年の頃はローズマリーと同じ金色だったが、成長した彼の髪質は変わったらしい。
恐らく彼の母親と同じ色なのかもしれない。
「どうしました?」
穏やかな笑みを浮かべながら問われる。
「改めて大きくなったなって思ってました」
「それもそうですね」
指を手に当てながら笑うレイナルドの笑顔が穏やかで、私は心に潜んでいた不安が溶けていった。
新しい地に向かうことに緊張していた心が、レイナルドと話すことで落ち着きを取り戻してきた。
「マリーには申し訳ないのですが、実は屋敷には最低限の給仕しかいないのです」
「そうなんですね」
「はい。あまり人が近くにいるのは好きではないので。ああ、でもマリーは違いますからね。折角なので私付きの侍女として仕事をしてもらいます」
「わかりました」
領主のメイドなど本来なら名誉ある仕事だ。まだまだ新米の侍女仕事しか出来ない私だけれども、レイナルドのために少しでも役に立ちたい。
すると、馬の鳴き声と共に馬車が止まる。
窓を覗くと、新しく作られたばかりの城門に止まっていた。
「街に到着しましたね」
窓から覗く街並みは、王都よりは小さいけれども小さな家屋が長く連なっている。
舗装がしっかりされた路上には色々な人が物の売り買いをしていた。
見かける人の顔ぶれに違和感が生まれる。
「ローズ領は移民が多いのです。山脈沿いに住む村人達がまとめて物を売り買いしに来たりしているんですよ」
「素敵ですね!」
だから彼らが売っている商品がどれも王都では見慣れない形や物だったのか。
嗅いだことも無い食べ物の匂いが色々なところから漂ってくる。甘い匂い、辛そうな匂い。見ているだけで胸躍る光景だったが、しばらくしてもう一度馬車が止まった。
正面を見据えると大きな屋敷が林の中にそびえ立っていた。
「ここが私の屋敷です」
「街から随分離れたところにあるのですね」
入り口の扉から延々と林の中を走る。
段々町の喧騒が消え、静かな林道をひたすら進んでいく。
領主としては警戒した城内の作りだと思った。屋敷も近くで見ると、新しい建物が多かった中では異質なぐらい古い作りをしていた。
「この屋敷は以前の領主が使っていたものをそのまま使っているんです。古いですけど趣味はいいですよ」
なるほど。自分のことには無頓着なレイナルドらしかった。
馬車が止まるとレイナルドが先に降り、扉前から手を差し出される。
遠慮なく私は手を添えて馬車を降りた。
屋敷の前には主人の帰りを待つ屋敷仕えの者達が並んでいる。確かに屋敷の規模にしては人数が少ないと思った。
「お帰りなさいませ」
「ただいま。今日から私の側近になる侍女のマリーだ。マリー、挨拶を」
「よ、よろしくお願いいたします」
急に領主らしい態度に変わったレイナルドに動揺しすぎて声がどもってしまった。
自分から外では立場を上らしく振る舞って欲しいと言っておきながら、いざその場面になって混乱してしまうとは。
「マリーの事はリーバーに任せる。マリー、リーバーだ」
並んだ従者達の中から、初老の男性が前に出た。
その顔に、ローズマリーだった時の記憶が蘇る。
(見覚えがある……)
「レイナルド様の執事でリーバーと申します」
「マリー・エディグマと申します。よろしくお願いします」
手を差し出され、私はその手を握り返した。
リーバーはローズマリーとレイナルドが小さい頃に世話になっていた執事の一人だった。
彼の一族は長くユベール一族に仕えていた。確か、リーバーの兄が父であるユベール侯爵に仕えていた。
私はレイナルドを見上げた。彼も私の気持ちを察したらしく頷いた。
「屋敷の中を案内します」
彼の声に、私は小さくお辞儀をした。
その場でレイナルドとは別れ、屋敷の正面玄関を通る。
ふと、心地良い花の香りがした。
色々な箇所に飾られている花瓶には、薔薇とマリーゴールドがそこかしこと飾られており、レイナルドが約束を律儀に守っていることに、私は微笑んだ。
「給仕達はこの棟で過ごしていますが、公爵から貴女は側仕えということで、領主様の棟に部屋を用意しています」
「そうなんですか?」
屋敷の廊下を歩きながらリーバーに場所を紹介してもらっていたが、とんでもない発言に驚いてしまった。
「大丈夫です。ここの屋敷の者は皆さん口が硬いので、何があっても公言しませんよ」
「……? ……あ、違います。違いますよ!」
レイナルドとのあらぬ関係を示唆されたことに気付いて慌てて否定した。
するとリーバーは少し残念そうに私を見た。
「そうなのですか?やっと若様にも春が来たと屋敷の者一同喜んでおったのですが」
「レイナルド様とはその、色々縁はあるのですが、そういう関係ではない、です……」
火照るぐらいに顔を赤らめて否定している私を眺めながら、リーバーは笑った。
「まあ何が起きるかは分かりませんからね」
フォフォフォと、わざとらしく笑っている。
どうして立場が上である執事の彼が、私に敬語で接しているのか分かった気がした。
彼は多分、この機会をチャンスとばかりに独身を続ける公爵の妻を迎えようとしているのだろう。
私は違いますからと答えるしかなく、柔らかな絨毯の上を足早に進んで行った。
しかし悲しいことに。
彼が冗談まがいに言った事が、屋敷内で周知されていたことが分かり。
私は新しい職場での立ち位置について悩まされることになった。