24.(アルベルト視点)騎士の矜恃
「アルベルト! アルベルト待ってくれ!」
長い廊下の端から全速力とばかりに走る青年の姿に、アルベルトは一つの覚悟を決めた。
いつかは問われるだろうと思っていた事が、今から起きることに身構えた。
「リゼル王子」
「マリー嬢は! 彼女にどうして会えないんだ!」
「声を静めて下さい。誰が聞いているか分からない」
赤い長髪を乱れさせた王子は、事態の重さに気付き辺りを見回した。幸いなことに人影は無かった。
「どうぞこちらへ」
アルベルトは鍛錬場の陰に王子を連れて行った。
人の気配を気にしながらリゼルがアルベルトを問い詰めた。
「伺う書状を渡しても貴方に急務があると言って断ってから七日以上経っている。ここまでされたら僕だって意図的に距離を置かれているぐらい気付く」
「申し訳ございません」
「謝罪が欲しいんじゃない。理由を聞きたいんだ」
直向きなリゼルの表情に、アルベルトは顔を僅かに歪ませた。
「……勘付いている者がいるようなので、しばらく様子を見させて頂いておりました」
「もう? 早すぎないか」
「皆、王子の結婚を急いています。週に一度以上こちらに訪れていれば時間の問題となるでしょう」
嘘では無かった。マリーだと特定はされていないものの、昨今の王子の様子から目当ての相手が出来たのではないかと噂されていることをアルベルトは知っていた。
知らぬは当人といったところだ。
「この際僕はどうでもいい。マリー嬢は、彼女に被害がいっていないだろうか」
はっきりと恋い慕うようになったリゼルのマリーへの恋慕は日毎に増していっていた。会えば会うほど彼女に惹かれる王子の恋情は増す一方だった。
初恋に浮かれるには遅すぎる年齢だったが、アルベルトにも覚えのある病だ。どうにかしようにも手の施しようが無いことは分かっている。
それでも、思い通りに進めさせるわけにはいかない。
「時期を見て彼女をローズ領侍女として預かって頂くことになりました」
「何だって?」
リゼルの顔に一瞬凶悪さが現れた。
普段温厚である筈の彼から嫉妬や独占といった欲が生まれた瞬間だ。
が、直ぐに冷静な王子の顔に戻る。
「そうか……確かにレイナルド卿の元であれば安全ではある。しかし……」
ローズ領は北部地方にある。王都からは距離がありすぎた。
それは、アルベルトも痛いほどに分かる事実。
「事が落ち着きましたら騎士団侍女に戻します。必ず」
それは、リゼルのためでもなく、アルベルト自身のために。
「……せめて一目だけでも彼女に会いたい」
「…………ご辛抱ください」
苦渋の決断であることは、二人にとって共通することだったが、アルベルトは心を隠し王子に告げた。
落ち着きを取り戻したリゼルと別れ、アルベルトは執務室へ向かう。
本日の実務を終えたマリーは既に自室に戻っており、彼女が昼頃に淹れてくれた紅茶が冷めたままデスクに置かれていた。
執務室の椅子に座り、アルベルトは頭を抱えた。
マリーと出会い、彼女がローズマリーと知ってから、アルベルトは感情を何処に向けて良いのか分からなかった。
二度と会えないと思っていた想い人との再会。
生まれ変わった彼女はもう婚約者の立場ではなく、身分もアルベルトより下だった。
彼女に捧げた忠誠は何一つ変わらない。
そして、彼女への恋慕も何一つ変わっていない。
アルベルトはリゼルが羨ましかった。
彼のように素直に想いを届けられればどれだけ幸せだろう。
ローズマリーに対するこの想いが叶わないと、小さい頃から分かっていた。
だからこそ閉じ込め続けた思いが、今ならばと浅はかな欲望と共にアルベルトに囁いてくる。まるで悪魔のような囁きだった。
それでも、未だ完遂していない復讐と、今でも被害が及ぶかもしれない危険な状態であることが抑止力となる。その事がアルベルトには有難かった。
想いを告げられなくても、想いが叶わなくても。
側に居られるだけで幸せだったのは、昔も変わらない。
マリーとなり侍女となり側に居てくれる今が、アルベルトにとって幸せな時間だった。
(もし彼女が、ただの侍女で、何も覚えていないマリーとして仕えていたらどうなっていたのだろう)
不毛なたらればを考えては現実を思い出す。
(私はローズマリーだと知らなくても彼女を想っただろうか)
分からない。ただ、良い印象はずっと持っていた。
騎士団の鍛錬場に現れたマリー。
仕事を真面目にこなし、少しでもアルベルトの疲れが取れるように安らぎを与えてくれたマリー。
それが仕事であったとしても、これ以上ない癒しだったのは確かだ。
(マリー……ローズマリー様)
アルベルトの人生をこれ以上なくかき乱す二人の女性の顔が思い浮かんでは消えていく。
いっそ憎らしいほどだった。
ただひたすらに忠誠を誓うだけで終われば良かったのに。
生まれ変わり目の前に現れたことで、アルベルトの心を支えていた均衡は崩れ落ちた。
それでも尚、彼は騎士であり続ける。
変わらぬ忠誠は彼女の魂と共に有る。
唯一自我を保てるのは、彼女の騎士であることだった。
思い通りに事を進め、彼女を閉じ込めようとするレイナルドも。
ひたすら真っ直ぐ愛を囁けるリゼルにも出来ない。
昔からアルベルトにしか出来ない、ただ一つの彼女の愛し方だった。