22.転生した悪役令嬢とのお茶会(上)
非番の日。つまり、レイナルド、アルベルトの三人で集まる日である。
あまり人に見られると噂が立つため、騎士団長の鍛錬場まで馬を回してくるとアルベルトに言われ、私は身を潜めながらアルベルトが来るのを待った。
時間を持て余し靴先で小石を弄っていると、遠くから蹄の音が聞こえてきた。
到着したのだと顔を上げたけれど、私の頭には疑問符しか浮かばなかった。
馬に跨ってやってくると思っていたアルベルトではなく。
一台の馬車が私の元までやってきたからだ。
「マリー嬢」
丁度同じタイミングで馬に乗り駆け寄ってきたアルベルトが私の前で降りる。
「あの馬車は何でしょうか」
「レイナルド卿ですよ。どうやら待ち合わせの時間まで待てなかったみたいだ」
アルベルトの声は大変不満に満ちていた。
馬車が止まり、御者が降りる。私を一瞥すると深く頭を下げ、手を差し出してきた。
どうすれば良いか分からず、私は横に立つアルベルトを見上げる。
焦茶の髪を乱暴に掻きながら頷いた。
「レイナルド卿が隠密時に使用する御者なので問題ないです」
アルベルトの話を聞いて安堵し、御者に手を差し出そうとしたが、その手をアルベルトが掴み、己の肘にかけた。エスコートしてくれるらしい。
カーテンで閉ざされた馬車の扉を開ける。そして開けた目の前にも、手が差し出された。
「おはようございますマリー。お会いできる日を楽しみにしておりました」
太陽よりも眩しいレイナルド公爵の笑顔が迎えてくれた。
私は早々に疲れた心を叱咤しながら馬車に乗り込んだ。
向かいに座るレイナルド。縮こまるように座る私。
アルベルトは連れてきた馬に乗り、馬車の前を走る。
馬車には刻印も何も無く、窓も全て閉められカーテンが掛かっている。確かに秘密裏に使用するためにあるような馬車だ。
「マリーは侍女の生活に不都合はありませんか?」
「ええ、とても性に合っています」
「そうなのですね。安心いたしました」
レイナルドは初め、アルベルト同様、私を姉呼びや敬語で接する態度を見せた。勿論断り、敬語を使わないよう、マリーと呼ぶよう固く誓わせた。
レイナルドはすぐに私をマリーと、今ある名で呼んでくれるようになったが、敬語に関しては人前以外では前のように話したいと懇願された。
普段公の場で会う機会もないため、渋々私は承諾した。
馬車がガタガタと舗装が行き届いていない道を走る。
目の前に座る男性は、ローズマリーの記憶に知る美少年だった弟とは全く違う成人した男性だ。
氷の公爵と呼ばれるのは彼の手腕だけを指すのではなく、その切れ長の瞳にも付随していた。顔の整ったレイナルドの表情無い素顔はまさしく氷のように研ぎ澄まされ美しかった。
ローズマリーの時なら隣に並んでも不自然では無い美形姉弟だったけれど、今の私だと場違いだなあ。
童顔の父に、美人系の母の間に生まれた私と兄は、どうもどっちつかずな容姿で生まれている。美人でも無いけど、可愛いわけでも無い。ただ、どちらも体型はスラリとしている。似ているところといえば体型ぐらいだろうか。
長い脚を組み、少し前のめりの姿勢をしながら穏やかに私を眺めるレイナルドの視線にどうすればいいのか分からず、開いてもいない窓を眺める。
「マリーの小さい頃はどのような暮らしをしていたのですか?」
レイナルドはこうしてよく私の事を聞いてくる。
「贅沢できるほどの領地ではなかったので、家畜の世話や畑仕事、編み物などをしていましたよ」
「それは大変でしたね」
「全然。とても楽しく過ごしていました」
ローズマリーの時には考えられない生活だろう。
マリーは心から生活が充実していた。
自分の手で育てた作物を収穫する喜び。生き物との生活。明日を無事に過ごせる事を日々感謝し、育てた命を命の糧にする大切な行為。
書物や文献では絶対に理解出来ない現実が生活に溢れていた。
「とても充実していました。毎日が楽しかったです」
「それは良かった」
嬉しそうに微笑んでくれるレイナルドだけれども、彼の笑顔を見ても私は素直に喜べなかった。
何故なら、マリーとして生を受けた私が喜びを噛み締めている頃、レイナルドとアルベルトはローズマリーの死を受け止めていたのだから。
「レイナルド……」
私は彼のかつての姉として声を掛けた。
翡翠色の瞳から笑顔が消える。私の思いを汲んでくれたのだろう。
「ずっと伝えたかったんです。私はグレイ王やティア王妃に復讐など望んでいません」
心の底から思っている事を、言葉一つ一つに込める。
「だからどうか、復讐を考えているのであれば止めて欲しいの」
これ以上、大切だった弟が血に染まり、悪に染まる姿を見たくない。
それが亡きローズマリーによってもたらされたのであれば、止めるのもまた生まれ変わった私の役目。
真剣な思いを感じてくれたのか、少し距離を近づけて私の両手を握りしめてくる。
「姉様の気持ち、充分に理解しております。私のために心を痛める優しい姉様ですからね」
握りしめた私の手を頬にすり寄せ甘える。
「姉様を悲しませることはいたしません」
「絶対に?」
「絶対に」
しばらくレイナルドの瞳を見据えた。
正面から私を見つめ返してくれるレイナルドの瞳に揺らぎは無い。
「…………ありがとう」
私はようやく懸念していた気持ちに終止符を打った。
先日訪れたカフェテリアの個室に入り、円卓席に三人で座る。
私にはミルクティー、レイナルドは珈琲、アルベルトは柑橘の紅茶。
給仕をしてくれた女性が私達の姿を見て、少し怪訝そうにしつつ退室した。
無理もないよね。三十過ぎた麗しき二人に田舎娘。
けれども二人は全く気にせず私を眺めて笑っている。
「こうして三人でお茶をするのはいつ以来でしょうか」
「姉様が王宮で暮らす前だからね、二十四年ぐらい振りじゃないか?」
二十四年。
それだけ聞くととても歳を召した気がする。
「そうよね……私がもし生きていればアルベルトと同じ三十六歳なのね……」
なんてことだ。
子供が三人ぐらい居てもおかしくない年齢だ。
子供といえば。
「二人は結婚しないの?」
二人の茶器を持った手が止まった。
先に茶器をソーサーに置いたのはアルベルトだった。
「そうですね。騎士の務めが忙しくて考えもしていません」
「私もです。まだローズ領は安定していませんから」
「そうなのね」
勿体無い。彼らの噂は侍女として働く前から田舎町であるエディグマでも耳にしていた。
顔も良く身分も高い二人の妻の座を狙って、彼らが出る宴には地方からも令嬢が押し寄せるとか、彼らの出席する社交パーティがあれば招待状が争奪戦だとか。
勿論、男爵令嬢かつ田舎娘として育った私は彼らが出席するようなパーティに出向いたことは無い。
「私としてはマリーの結婚についてお聞きしたいです」
「そうですね。こうして王太子の婚約者候補の侍女に入っているということは、まだ婚約者はいらっしゃらないと思っても?」
興味津々に尋ねる二人に対し、私は素直に頷いた。
「全くもってそういった類の話はないですよ」
「どなたか想われている方は?」
中々突っ込んで聞いてくる。
「いません。いつかはどなたかと結婚したいとは思っていますが」
父の後継に関しては兄に一任しているが、兄も未だ独身。
最悪、兄が爵位を継がずに王都で生涯を終えるかもしれないことを考えると、私がエディグマ領の後継を産まなければならない。
まだまだ遠い先の話だけれども、適齢期が過ぎるまでには落ち着かないと、とは思っている。
「…………?」
急に二人して黙るため、飲んでいたミルクティーをソーサーに置いて二人を見た。
レイナルドは凍てついた笑顔のまま私を見て、アルベルトは何の難題があるのか険しい顔をしていた。
「そうそう、王子の求婚の件なのですが」
レイナルドが話題を切り替え、不思議な空気を変えた。
まだ解決していなかったものの、アルベルトに一任して良いと言われていた王子の事を思い出し、私は少し焦る気持ちでレイナルドを見た。
「しばらくは私とアルベルトに任せて頂きたいとは思いますが、それでも万全ではありません。王宮にいる限り王子に会う機会が生まれてしまうでしょう」
「それはそうですね」
好いてくれていることは本当に嬉しいが、立場がそれを許さない。
私はレイナルドの言葉の続きを待った。
「そこでですね。マリーにはローズ公爵家の侍女となって頂きたいのです」
「はあ?」
私の代わりと言わんばかりに大きな声で突っ込み返したアルベルトの様子から見て、どうやら彼も知らなかったらしい。
悪役令嬢から男爵令嬢になり、王宮侍女から次は公爵侍女。
私の名称はいつになったら落ち着くのだろう。