21.(過去)家族の憧憬
トビアス・エディグマが長女、マリー・エディグマの誕生を知ったのは、領地内の視察中の事だった。
昼前に陣痛が始まり、早々と可愛らしい女児が生まれたと聞き、急いで屋敷に戻った。
愛する妻は、長男の出産時は難産であり、今回の子も時間がかかるかもしれないと言われていただけに、急な展開に驚きながらも喜び逸る気持ちで馬を走らせた。
春先のことだった。
野原を駆けて帰路に向かう最中、突風がトビアスを襲った。
急な風に目を閉じる。
頬に何かがあたると思い目を微かに開いたら、大量のマリーゴールドが咲き開き、突風で散った花びらがトビアスに飛びついてきていた。
まるで祝福されたような感覚から、屋敷で健やかに眠る赤児にマリーゴールドから取ってマリーと名付けた。
マリーはとんでもなく賢かった。
辺境の領地ではろくに淑女らしい教育も受けられず、どちらかといえば村娘のような生活を余儀なくされているというのに、時折訪問する客人に対して丁寧にカーテシーをする。
いつ覚えたのか分からない丁寧な言葉でもって客人を歓迎するため、素晴らしく出来た娘だと称賛されている。
「マリーはどこでマナーを覚えたんだい?」
幼い手を繋ぎながら彼女に聞いてみたら、不思議そうにこちらを見上げた。
「おぼえてないよ。知ってたの」
まだ幼い少女が知るには果てしない淑女の嗜みを当たり前のように使う娘が不思議ではあったが。
「マリーはお利口さんだものね」
何があっても彼女を肯定する妻の様子を見て、トビアスは深く追求しなかった。
彼女が生まれつき持った才能だとしたら、それを受け止め個性として愛することこそ父や母の役目だ。
ついでに自由奔放な兄に対して逆に礼儀を教えてあげて欲しいぐらいだった。
トビアスは家族が大好きだった。
妻は呆気なく世を去った。
持病を持ちながらも恋愛の末に結婚し、一時は子供も難しいと言われていたが、それでも妻は子供を望み、二人の子宝に恵まれた。
「トビアス。私に幸せをありがとう」
別れを察して妻が告げる。
「愛してるわスタンリー。お父様やマリーのことをよろしくね。あまり困らせては駄目よ?」
「分かってるよ」
ぶっきらぼうな態度しかできない長男の目頭には涙が溜まっていた。
「マリー。私の可愛い子。もっと一緒に居たかったのにごめんね。お母様、ずっとマリーの側にいるからね」
まだ小さな少女は黙って母の手を強く握っていた。
最後の灯火が消えるその時まで、家族全員で過ごした。
毎年妻の命日に大輪の花を飾る。
花や自然を愛した妻に相応しい景観の良い場所に棺を埋めた。
長男のスタンリーは一緒に行かなくなってしまったため、長女のマリーと二人で花を飾り祈る。
妻の事は今でも愛している。
だが、忙しない生活の中で悲しみが風化してきていることもまた事実。
そんな中、ポツリとマリーが呟いた。
「次のお母様も、またお母様がいいな」
「マリーは面白い考えをしているね」
生まれ変わってもまた家族でいるなんて素敵な考えだと思った。
トビアスもまた生まれ変わることがあるならば、妻を望みたい。
のんびりと聞いていたトビアスは、次の娘の言葉に声を失った。
「だって、前のお母様はマリーを見てくれなかったんだもの」
前のお母様。
「……マリー。前のお母様って誰のことだい?」
平静を装って娘に尋ねてみたが、娘は自分の言ったことをうまく理解できていない様子で、「わかんない」と言って笑った。
教えた記憶のない礼儀作法に、前にもいたという母親。
トビアスは何となくではあるものの、マリーが持つ記憶が何を意味するものなのか感じ取った。
だがそれがどうしたというのだ。
彼女が生まれつき持った記憶だとしたら、それを受け止め個性として愛することこそ父の役目だ。
そうだろう?
トビアスは墓地に眠る妻に心の中で語りかける。
もしトビアスの考える想像が事実だとしたら、いつか妻と再会する日が来るかもしれない。
それは何て素敵なことだろう。