16.転生した悪役令嬢は弟と再会する(下)
渡されたハンカチを申し訳なくも盛大に使い、グショグショになった顔をようやくあげれるようになった。
目もきっと充血しているだろう。
冷静になったところで、どう言い訳しようか考えるけれど、全くもって良いアイデアが浮かばない。
(公爵を見て泣き出すのに理由って何があるの……!)
生き別れの兄に似てた、とか?
駄目だ、兄は王宮内でのほほんと仕事をしている。すぐに嘘がバレる。
最近悲しいことがあって、急に思い出したとか。
それも微妙。
最近王宮に篭りきりで、何の事件も起きていないことはマクレーン様もご存知。
ここは仕方ない……!
「大変失礼いたしました。もう大丈夫です」
「一体どうしたんだ?」
「ええ、心配には及びません。お話を進めさせてください」
ニッコリとマクレーン様、レイナルドに笑顔を向ける。
こうなったらシラを切るしかない!
女の涙に深く追求しないで! 無粋だから!
心から念じ二人を笑顔で見続ける。
沈黙こそ最大の防御。
諦めてくれたマクレーン様は、暫く様子を窺っていたけれど視線をレイナルドに戻した。
レイナルドといえば、目の前で泣き崩れる女性がいたにもかかわらず特に動揺もせずに私を観察していた。
目鼻立ちがとても整っている。
父も若い頃は美丈夫で通っていたため、男前ではあったが、レイナルドはまた異なった色気のような大人らしさを兼ね備えていた。
少しばかり崩れたような危うさを醸し出した、他者を寄せ付けないオーラ。
人嫌いであるところはどうやら変わっていないらしい。
「話を始めよう」
聞こえの良いテノールボイスが声を紡いだ。
声変わりする前の声はどうやら既に消えてしまったらしい。
とても残念だけれども、これが生まれ変わり時が過ぎた事を事実だと打ち付けてくれる。
私は気持ちを切り替えてマクレーン様とレイナルドに目を向けた。
「リゼル王子が貴女を懸想され、その対処に困っているというのは事実なんだな」
「そうですね。私も見た限り王子は真剣なご様子ではありました」
「他の者に気付かれてはいないか?」
「その辺は抜かりなく。王子もそこを一番気にされていたので、最低限彼女とは距離を置いています。時間の問題かもしれませんけどね」
そう。リゼル王子はやはり心配りが出来る方だった。
今回の王子の行動により、誰が一番危険であり困惑するか理解してくれていた。
私に会いに行きたいという気持ちがあるものの、全く表に出さずマクレーン様に会いに顔を出す形で訪れる。
あまりの自然な様子に私自身も騙されて、「やっぱり勘違いだった」と気を抜いていた時に、正面に立たれ。
「今日も貴女に会えて嬉しい」
なんて囁かれながら、隠し持っていた一輪のベゴニアを差し出された。
赤いベゴニア。花言葉は確か、『愛の告白』。
ボンっと顔が赤くなるのを感じたのは、つい先日の記憶だった。
本当に恋愛経験が少ないとは思えない手腕にたじろいでしまうのは私ばかりで。
どう返して良いかもわからない。
私の様子を一瞥していたレイナルドは、鋭い視線を変えないまま私の様子を眺めていた。
「ふうん……それで?貴女は王子の婚約は遠慮したいと?」
「はい」
「素直に頷けば、貴女の手には富と権力、それにあの秀麗な王子の愛が受け取れるというのに?」
「そうですね」
私の反応に偽りがないか見定めるような眼だった。
ローズマリーの時には毎日のように見つめていた翡翠色の瞳。
ローズマリーだった頃を思い出させる。
レイナルドはそこまでローズマリーと顔は似ていなかったが、髪色と瞳の色だけは瓜二つ同じだった。
「貴女の父君が治めているエディグマは、そこまで裕福ではないと聞く」
「仰る通りです」
「もし王子と婚約すれば、貴女の父君も困ることは無いと思われるが?」
ああ、これは揺さぶりだ。
ローズマリーの父も、よくこうして交渉相手をふるいにかける時、わざと挑発的に発言をしていた。
まさか父を嫌悪していたレイナルドが、父と同じような事をしてくるなんて。
「……父は既に引退し、政界や領地拡大に関心は持っておりません」
「兄君は?」
「そうですね。王都暮らしに憧れるだけで野心は無いです」
何も疚しいこともない。私は端的にレイナルドへ返した。
レイナルドは、眉間に小さな皺を作り、整った顔を微かに歪ませた。
「餌には何一つ釣られない方だということはよく分かった」
正面に座っていたレイナルドが立ち上がり、私の隣に座った。
見上げる身長差に加え、彼の瞳から肉食獣のような鋭さが感じられて、私は身体中から畏怖する感情が走る。
「レイナルド?」
マクレーン様が傍でレイナルドの名を呼びかけるが返事もせず、私の顎を指で掴んだ。
「貴女は己の価値を分かっていないようだ」
「……仰る意味が分かりません」
絞り出した声が震えている。
あれだけ親しく、優しかった弟の笑顔が霞む。
「王子の唯一の王妃候補になるかもしれない貴女だ。恐らく聡明な知見をお持ちであろう。であれば、私達は協力を仰ぎたい」
「協力……?」
弟の、レイナルドの幼かった笑顔が記憶に霞む。
今目の前にいる男は本当にローズマリーの大切な弟なのだろうか。
翡翠の瞳が翳り薄ら笑う表情は、あどけなくローズマリーを慕っていたレイナルドの笑顔とは別人だった。
「婚約者になりたくないという希望を叶えてみせよう。ただ、簡単に進むはずがない。だから私に協力をしてもらいたい。そうすれば貴女も望み通り王子からの求婚を逃れることが出来る」
まるで蛇に巻き付かれているような感覚に陥った。
同時に深い悲しみと怒りに飲み込まれる。
違う。こんなレイナルドは違う。
ローズマリーが慈しみ育んだレイナルドが、こんな事を言うなんて。
許せない。
私は顎を掴んでいたレイナルドの手を勢い良く叩き、溢れる怒りのままに叫んだ。
「いい加減にしなさいレイナルド!」
勢いを持って立ち上がり、唖然としたレイナルドを見下ろした。
「父様のような人間になりたくないと言っていたのに、貴方の態度は父様と同じではないですか!」
そう。
彼は、レイナルドは父を嫌っていた。
私を道具として扱う父のようにはなりたくないと私に言ってくれていたのに。
今の彼は、マリーという私を道具として見ていた。
こうしてレイナルドを怒ったのはいつ振りだろう。
自分が妾の子だと揶揄われても何一つ動じなかった彼が怒るのは、いつだってローズマリーに関係する事だった。
婚約者に相手にされないつまらない女だと貴族に馬鹿にされた時、レイナルドが秘密裏に貴族達に制裁した時や、陰で王子を慕う女性に嫌がらせをされた時もそうだった。私の代わりに報復をする弟を見て辛かった。
いつだってレイナルドはローズマリーの事になると見境がなくなる。
だから私が、ローズマリーが怒る。
そしてそれは今も。
今、も?
「あ……」
我に返った時には。
目を大きく開けて私を見上げるレイナルドが居た。
あ、この顔は昔と一緒ね。
なんて呑気に思っていたから。
「姉様……?」
レイナルドがポロッと溢した一言で、ようやく事の重さを理解した。