15.転生した悪役令嬢は弟と再会する(上)
レイナルドと名付けられた小さな子供がユベールの地に訪れた。
母と父が喧騒しあっている中、ローズマリーは怯えている小さな子供をこっそりと外に連れ出した。
小さな子供の手は柔らかい。
まだ足取りも覚束ない男の子は、不安そうに口に指を咥えている。
『ここでお父様のお話が終わるのを、待ちましょう』
ローズマリーは、お気に入りの庭園にあるベンチに男の子を座らせた。
母と父はよく喧嘩をする。ローズマリーは喧嘩がおきる度に怖くて泣いていた。
年が離れた兄は、怖がるローズマリーを無視して外に出てしまう。
今日も喧嘩が始まったと恐る恐る部屋を覗いたら、少し離れたところに男の子が立っていたので、思わず連れ出してきた。
よく、あんなに大きな声で喧嘩する二人のところに居て泣かないなあ。
男の子だからかな。
呑気にローズマリーは考える。
『あなた何歳?』
男の子はしばらく考えると、指を四つ立てた。
『私は八歳よ。四つ違いね』
喋れないのかしら。
同じ翡翠色をした子供の瞳を見つめる。
『名前は何?』
喋れたら答えてくれるだろうと待ってみる。
男の子はしばらくローズマリーを見つめていたけれど、小さな声で「レイナルド」と言った。
喋れた。良かった。
『私はローズマリーよ』
これが、ローズマリーが覚えている弟との初めての会話だった。
(レイナルド・ユベール……じゃなくて、レイナルド・ローズ公爵か……)
侍女のために用意された宿室で、私はかつての思い出を反芻していた。
ローズマリーだった時の記憶や感情は、遙か遠い記憶を思い出すようにすれば何となく思い出せる。
自分の小さい頃の思い出を探すように、ローズマリーの小さい頃を思い出した。
レイナルドは、父が外で作った愛人との子供だった。
愛人が結婚するにあたり、父との間に産まれた子が邪魔だと言ってユベール家に押し付けてきたらしい。
この話は噂好きのメイドから聞いた情報だったので、確かではないけれども。
レイナルドが屋敷に来てから、彼は実の母親について一切口にしたことが無い。
暫くしてから尋ねた時に「そんな人もいましたね」ぐらいに返されてしまったので、こちらとしてもあまり聞くに聞けなかった。
何より話題にするだけで母の機嫌が悪くなり、ただでさえ病弱だった母の病状が悪化するため、禁句だった。
そして母の近くにレイナルドを近づけることも、禁止されていた。
当時のローズマリーは、遊び相手が従者のアルベルトしかおらず、アルベルトが不在の間、遊ぶ相手に飢えていた。
そこで新しい子供が家にやってきて、無知も良いところに歓喜した。
何より弟か妹が欲しかった時期だった。
父に似た兄は全く私に関心も持ってくれなかったので、遊び相手は総じてメイドだったけれど、メイドが本気で子供の遊びに付き合ってくれるはずもなく、不完全燃焼なストレスを見事にレイナルドで発散していたような。
結果から見れば、双方にとって良い効果だった。
愛情に飢えていたレイナルドは、ローズマリーとの触れ合いで満たされた。
遊び相手に飢えていたローズマリーは、レイナルドという弟で満たされた。
拍車をかけてレイナルドが他の人からも姉好き、姉離れ出来ない奴と揶揄われていると知って、距離を置いたのも覚えている。
(あの時のレイナルドの切ない顔はまだ忘れられないわ……)
うるうる瞳を揺らし、まだ声変わりしていない高い声で「ねえさま……」なんて呼ばれて。
(良心が痛みすぎて辛かったわ)
と。
そんな幼かった弟が、今では三十二歳、立派な北部地方の公爵様。
(私の、ローズマリーの罪に巻き込まれなくて良かったけれど)
ローズマリーが処刑されてから二十年の間に、彼に何があったのかは分からない。
幸せになってくれているかしら。
会うのが楽しみな反面、怖さもあった。
ローズマリーはレイナルドに幸せになってくれることだけを願っていた。
姉にしか愛情を見せなかった弟が、自分が亡くなれば後を追ってしまうことが無いかとても怖かった。
生まれ変わり、レイナルドが存命していたことにはホッとした。
けれど、何というか違和感が拭えない。
(多分だけど、レイナルドは国を恨んでると思う)
無実を主張した彼を、国は相手にせずローズマリーを断罪した。
(それに、領地にローズを付けるなんて……未練があることを主張しているように見える)
もし王家に忠誠を捧げるのならば、犯罪者となった姉の名前に通じる言葉を付ける筈が無い。
(二十年の間にどうなってしまったの?)
空白の期間が長すぎて、ローズマリーの心を受け継いでいる私にも、レイナルドの考えが想像出来なかった。
あと、もう一点懸念がある。
もし。
もしもだけど。
ローズマリーが生まれ変わっている、なんてことを知ったら。
(…………考えたくない……)
私は考えることを止めた。
マクレーン様と非番が重なる日を決めた後、レイナルド公爵に会うために書状を送られていた。
数日後に返事は届き、公爵が王都に訪れることになった。
場所は王宮だと怪しまれるため、マクレーン様がよく使われるカフェテリアの個室で集まることになった。
久し振りに降りた、城外の賑やかな街並みに心が躍る。
「何か欲しいものがあれば奢るよ」
「いえ、そんな!ちゃんとお給金は頂いていますから」
慌てて返すが、こういった発言を軽々しく言える彼にも、レイナルドと同様二十年のブランクがあることを痛感した。
ローズマリーの知っているアルベルトは、こうした自然な女性との対話が苦手だった筈なのに。
寂しさを覚えながら、私はマクレーン様の後をついて行った。
カフェテリアは街から少し外れた場所に、ひっそりと立っていた。
物静かな街角に立つ一軒家は、綺麗な彩りをした花々に飾られている。とてもカフェとは思えない佇まいだった。
扉を開けばカラン、と鈴の音が鳴る。
中から可愛らしいエプロンを付けた女性がやってきて、マクレーン様の顔を見ると「どうぞこちらへ」と個室まで誘導してくれる。
なるほど、常連なだけある。
素直に後ろをついていくと、離れた小部屋に通された。
中も趣向が良いアンティークな作りがされた部屋で、ゆったりとしたソファに座り心地が良さそうな椅子が二脚。
とりあえず椅子の方に座り、忙しなく辺りを見回した。
「何か飲みたいものは?」
「ハーブティーをお願いしてもよろしいでしょうか」
「分かった」
エプロンをつけた給仕の方を呼ぶとマクレーン様は自身の分と私の分を頼んでくれた。
「そんなに緊張しなくていいよ」
それは無理な話でしょう。
私は苦笑した。
しばらくしてお茶が運ばれてきた。
良い香りのするハーブティーを一口飲んで、早い鼓動を打つ心臓に落ち着きを取り戻させる。
隣で私の様子を時々気にしながら、マクレーン様もお茶を飲む。柑橘の香りがするお茶のようだ。
その時、静かに正面の扉が開いた。
最初に見えたのは黒だった。
黒の羽織りに黒の衣服。長い脚は漆黒の生地で作られたズボン。
縁が銀のみで飾られた黒のブーツ。
唯一明るい装飾とされるのは、鋭い翡翠の瞳だけ。
ローズマリーが見たこともない氷のように冷ややかな表情。
真っ黒に染められた服。
「エディグマ嬢?」
マクレーン様が驚いて私を見ている。
何故か慌てて手拭いを差し出された。
「マリー、どうして泣いてるんだ」
「分かりません。貴方を見た途端、急に……」
泣いている?誰が?
ぽたりと。
握っていた手のひらに温かい滴が垂れてきて、ようやく自分が泣いていることが分かった。
涙が溢れだして止まらない。
「ごめんなさい……」
俯き、堪えられないで嗚咽が漏れる。
真っ暗な服は未だ喪に服している表れ。
氷のように冷えついた表情は、幸せになれていない事実を突きつけて。
私の中に眠るローズマリーが声をあげて泣いているみたい。
そして頭の中で叫び続ける。
レイナルド。
ごめんなさい、と。
私の涙は止まることを知らずに流れ落ち、暫く目の前の二人を困惑させた。
評価やブクマありがとうございます!
何とか挫折出来ずに書けているのも読んでくださる方がいるんだな、と思えるからです(涙)
じゃなきゃこんなに続いていない…