10.(過去)王子は見聞を広めたい
リゼルの父は国王だった。
グレイ・ディレシアス。母の名前はティア。
国内唯一の嫡男として、それはもう大切に育てられた。
傀儡のように大切に。
甘やかされ、王になるのだと幾人の大人達が囁く中で、傲慢な人格にならなかったのは、数少ない心を許せる大人がいたからだ。
リゼルが信頼を寄せる人物は二人いた。
一人が護衛として傍にいたアルベルト・マクレーンだった。
王たる者、周りの意見に振り回されてはならない。
王になるのであれば、民を慮らなければならない。
王子だからといって全てが許されるわけではない。
時に厳しく導いてくれたお陰で、周囲の大人がいかに都合のよい言葉を投げてきたのか分かるようになった。
もう一人がレイナルド・ローズ公爵。
彼は、リゼルの両親に毛嫌いされているせいか、王宮内で会うことは無かったが、暫く学問を学ぶために留学していた先で知り合った。
正直初めて会った時は、その鋭利な視線が怖かったが、彼から学ぶことは多く、話を聞くうちに打ち解けた。
少なくともリゼルはそう思っている。
リゼルが九歳の頃に彼は国で功績をあげた。
領地を授けられてから群を抜いて領地を潤わせ、資金繰りに悩む王国の救済をする彼の手腕には憧れしかなかった。
そんな貢献を見せるローズ公爵に対し、リゼルの両親の態度はいつも冷ややかで、余計にリゼルとの親子関係に溝を生み出した。
夫婦仲が悪く、家族らしい思い出が全く無い両親について何も感じる気持ちは無い。
むしろ悪政に拍車をかける両親が恥ずかしく、自分に何か出来ないか試行錯誤しているところだが、まだ若輩なためか耳を傾ける者は少ない。
「まだ時期尚早ですよ、王子」
リゼルの行動を一蹴するレイナルド公爵の言葉に反論も出来ない。
リゼル自身、自分には王たるカリスマも実力も不足していることは痛感していた。
何より、王になるより騎士に憧れた。
アルベルトのように強くなりたい。
そう言ってはアルベルトを困らせていた。
せめて騎士になれないのであれば、自分に忠誠を誓ってくれないかとアルベルトに頼んだことがあった。
しかしすぐに断られた。
「自分には既に忠誠を誓った方がいますので」と。
それが誰だか聞いたが答えてくれなかった。
リゼルは勝手にレイナルドだろうと考えている。
彼とレイナルドは、時折秘密裏に会っていることを身近にいるため知っている。
聞けば旧知の仲だったらしい。
しかしその事を口にしてはいけないと忠告された。
リゼルには分からないことが多い。
政治も、人心も、家族の絆も。
幼く無知であるならば学ぼう。
書物や教わる内容だけでは分からないことは直に見聞すべきだ。
臣下達の反論を余所に各地を歩き回ることもあった。市井の声を直に聞くようにもした。
知識を深めれば深めるほど、父や母の愚行が恥ずかしかった。
父は臣下に政治を任せ、母は城内でパーティを開き散財尽くす。
どちらも異性を連れ込む姿を思春期に目の当たりにしたリゼルは、絶対に親のようなことはしないと誓っている。
リゼルが産まれる前、父には婚約者がいた。
ユベール侯爵の娘、ローズマリー・ユベール嬢という方だ。
当時、政力を野心的に狙うユベール侯爵の行動は直情的ではあったが、それでも国を発展させるという所に置いては抜きん出て実力があった。
侯爵の娘と王子の結婚により、政治力はより確固としたものになるはずだった。
保守派であり国王の相談役であったダンゼス伯爵が子女を父の侍女にしたことから物事は大きく動き出した。
ダンゼス伯爵の娘、ティア・ダンゼス。
つまりはリゼルの母が父の侍女として勤めていた。
リゼルの母は、見目はとても庇護欲が芽生える容姿をしている。
年齢よりも幼い顔立ち、高いソプラノ声。身長も平均より小さい。
父が接している間に恋心が芽生え、当時悪評高まっていたローズマリー・ユベール嬢を謁見の間で断罪し、遂には令嬢が激昂し、リゼルの母を殺害しようとして捕縛され、最後は絞首刑にあったと。
この、激動ある両親の逸話は話す事を禁じられている。
リゼル自身、親から聞いたのではなく、国の記録が書かれた文書で知った。
図書庫の奥深く、隠されるような場所にひっそりと置かれており、知ったのは十八の頃だった。
一度だけレイナルド・ローズ公爵に彼の姉について尋ねたことがあった。
もう二度とその話をするな。
たった一言。そう告げられた。
以来、恐ろしくて口にしたこともない。
二年前、軽々しく口にしたリゼルは猛省したのは言うまでもない。
絵本にも悪女として描かれる元侯爵令嬢。
リゼルが信頼するレイナルド公爵の姉。
(どのような御方だったのだろう……)
リゼルには想像することしか許されなかった。