21.(リゼル視点)王と宰相の、未来の話
「以上の事を踏まえ、期日において正式に発令を下すことで異論はないだろうか」
円卓の席に座る複数の諸侯は無言で頷いた。
一席だけ空席となった円卓に座る全員の顔を見て、リゼルは頷いた。
「それでは以上をもって会議を終了しよう。お疲れ様でした」
各々がリゼルに深く礼をした後、席を立った。今さっき決定した事項に関し、家臣がそれぞれの役目に関する話をその場で打ち合わせをしながら部屋を出ていく。
その様子を眺めていたリゼルもまた大きく伸びをした。長時間に渡る会議は体が鈍る。特に最近は新体制となるため会議尽くしだった。
ふと、しばらく空席となった場所を見る。本来ならその場に座るべき者は、昨今の騒動の心労が溜まり病床に伏せていると聞く。
それが仮病であるのか、本当に病んでいるのか。
「そろそろ潮時かな……」
そんな風に、一人呟いた。
たった数日の間に、随分とリゼルは次期王らしい風格になったと言われている。
けれどリゼルにはその理由が分かっている。
マリーの存在だ。
大切な、心から愛しいと想う相手に思われた自分が、今はまるで無敵のような心持ちだったりする。
自身の父が、愛すると思ったティアを前にして態度が大きく出ていたという過去の話を思い出し苦笑する。
嫌悪しても父は父。似ている部分はあるのかもしれない。
「誰か、馬車を用意してくれるか?」
傍にいた従者が頷いた。
「ローズ公爵の見舞いに行く」
ローズ公爵たるレイナルドは、王都に別邸を構えている。王都と領地の往復が多い彼の住む別邸は質素であり、郊外にあるものだから誰もがここに公爵位持ちが住んでいるとは思っていないだろう。
王の象徴たる獅子の紋章を飾った馬車が屋敷の前に止まったため、周囲に住む住民が遠目からその様子を見守っていた。
気にせずリゼルは馬車から降り、玄関から飛び出してきた執事に名乗った。
「ローズ公爵にリゼルが来たと伝えてくれ」
執事は心底驚いた様子のまま、駆けて主人の元に向かった。それからしばらくして中に案内する使用人が現れた。
中は薄暗く、使用人の数も最低限のものだった。
それでも通された客間は清楚で、持ち主の趣味が良いことが分かる。
更に出された紅茶も珍しい種類だった。
この辺り、本当に抜かりがないとぼんやり考えていると、扉が開く音がした。
「ご無沙汰しておりますリゼル殿下。しばらくの体調不良につき、このようなみすぼらしい格好でお迎えする事をお許しください」
「構わない。こちらこそ病床の中訪問してすまない」
確かにレイナルドの格好は、普段と違ってだいぶやつれているように見えた。
少しばかり痩せたようにも見えるし、目元には隈ができている。服は普段着に着替えたようで上品なものではあったが、髪は少しばかり変な方向に跳ねている。
普段呼ばれる氷の公爵様の姿が微塵も見られず、リゼルは笑いを堪えるのに必死だった。
気持ちを落ち着かせるために紅茶を飲み、レイナルドが着席するのを待った。
「見舞いとは言ったけれど、いつ頃体調は回復しそうなんだ?」
「…………」
レイナルドは黙る。
リゼルは彼が、あのレイナルド公爵がここまで落ち込む姿を初めて見た。
最初、彼の様子を知らせてくれたのはアルベルトだった。
反乱が終え、かつての主人だったローズマリーの無実を発表すると伝えたリゼルに感謝の意を告げにきてくれたのだ。
彼もまた、レイナルドと共にローズマリーの復讐を誓っていたと。ただ、彼はレイナルドほど冷徹になりきれなかったのだと思う。
仇の息子であるリゼル自身に向ける情をそれこそ受けていたリゼルには分かる。
主君だったローズマリーの無念を晴らせることを心から喜んでいた。
……もし、アルベルトにマリーがローズマリーの生まれ変わりだと知れたら。
リゼルの中に密やかに芽生えた嫉妬の炎から、リゼルは一生口にはすまいと誓っている。
嫉妬心も勿論だけれど、マリー自身が名を出す事を望んでいないから、というのもある。
そんなアルベルトから、心配した様子でレイナルドの話を聞かされた。
反乱の日以来、体調不良で登城しないレイナルドを心配する声はアルベルト以外にも出ている。
ただ、長年反乱のために行動していたレイナルドの事を知る家臣らは、長きに渡る疲労が今になって出たのだろうと、そっとしておくことにしていた。
けれどリゼルはアルベルトの言葉を聞いて、動くべきだと踏んだ。
『ローズ公爵は辞任されるかもしれません』
公爵としての位すらも誰かに譲り、ひっそりと存在を消すのではぐらいに心配しているアルベルトの言葉は、冗談では済まされない。
だからこそリゼルは今、レイナルドの元に踏み込んだのだ。
「今日の会議で、レイナルド・ローズ公爵を宰相とする事が決定した。以前の宰相は今回逮捕されているから急ぎ後任が必要だ。できれば早めに登城してくれないだろうか」
「私は……」
レイナルドは俯いた。
ふと気づけば、その手にはリゼルが渡したハンカチを握りしめていた。
ずっと持ち歩いているのだろう。
「……その贈り主が誰であるのか、聡明な貴方のことだ。目星はついているのでは?」
リゼルの指摘にレイナルドは顔を上げた。
口を開こうとしたレイナルドを、リゼルは手を少し持ち上げてそれを制す。
「名前は言わないでほしい。僕はそれに応えられない」
「…………私はその方に顔向けできない。それどころか、許しを乞うこともできない」
レイナルドにはきっと、マリーがローズマリーと関連している事実に気付いているだろう。
まさかそれが、生まれ変わりだなんて思わないだろう。リゼルも問われても、答えを伝えるつもりはなかった。
ただ、マリーと接するうちに感じる、彼女の思いぐらいは伝えることは出来る。
「……その贈り主は貴方から謝罪を受けたいとも、許してほしいとも思っていないけれど。きっと貴方は納得できないだろうね」
「…………はい……」
「だったら一つ、僕からの提案だ」
リゼルは立ち上がりレイナルドに手を差し出した。
「僕はその贈り主が望む未来を築き上げていく。貴方が愛した方が望む未来を。そのためにも公爵の力が必要だ」
「リゼル様…………」
「貴方にとって僕は憎むべき対象でしかないかもしれない。それでもどうか、僕を……僕達を導いてくれないか?」
それが、リゼルの出した答えだった。
父と母に復讐をするために仕えてきたことは重々承知している。リゼルに対しても、一つ間違えれば裏切るような忠誠心であっただろう。
それでもレイナルドはディレシアス国に欠かせない存在になっていた。彼に従う家臣も多い。彼の頭脳はリゼルには到底及ばないほどに長けている。
一国の王となる自分にとって、心強い後ろ盾となるレイナルドが欲しかった。
そしてレイナルドが救われることこそ、リゼルの愛するマリーの望むことでもあると知っている。
過去に囚われず未来に生きてほしい、幸せになって欲しいと願う彼女の思いをリゼルは汲み取りたかった。
「レイナルド。僕は絶対に父や母のような過ちは侵さない。そして絶対に、貴方が愛した人を幸せにしてみせる」
「…………リゼル様……」
レイナルドは躊躇ったのち、力強くリゼルの手を握り返した。
「謹んでお受けいたします。私は貴方の剣となり盾となり、貴方の未来をお守りします」
「ありがとう、レイナルド公爵」
「どうか私のことはレイナルドと」
少しばかりやつれたレイナルドが小さく微笑んだ。
リゼルは今初めて、レイナルドに心から微笑まれたような気がした。
「うん。よろしくね、レイナルド」
これから先。
常に王の傍に立ち、誰よりも王と王妃を支えることとなる宰相の姿が。
後の国家に伝え続けられることとなるのは。
まだ少し先の、未来の話。