20.転生した悪役令嬢の未来
先日まで降り続けていた雨が嘘のように、今の空は晴れていた。
清々しい天気のお陰で洗濯物もよく乾くと、侍女のみんなが喜んでいる。
最後の仕事を清々しく終えられることを喜ぶように。
「王宮の生活もあっという間だったなぁ」
荷造りをし終えたニキの部屋で、私は彼女と一緒にクッキーを食べていた。
翌日には故郷に帰る彼女とささやかながら送別会をしていた。
ニキに限らず、王宮に婚約者候補として招致されていた令嬢達は皆、明日には王城を出発し、それぞれの故郷に帰ることになった。
昨今騒がせていた王位継承の儀が始まったことで
、婚約者選びに終止符が打たれたのだ。
それでも残りたいと言っていた令嬢もいたけれど、もれなく王命によって帰された。
それでも、王城で恋人や婚約者を得た女性達は帰郷の時期を伸ばしてもらっていたり、嫁ぎ先に居候することにしたりなど、猶予は与えられている。
「マリーがいきなりリゼル殿下の専属侍女になったりするから驚いたわ」
「私もニキが騎士団侍女になっていたことには驚いたわよ」
そう。
いきなり決まった私の専属侍女の話だったけれど。
私が就任して間も無くに、ニキも騎士団侍女に異動していた。
どうやら騎士団で仲良い方ができたらしく、その方からの推薦もあって騎士団の侍女になっていたらしい。
「マクレーン騎士団長も今回の騒動に協力していたのよね」
「ええ。騒ぎがある前から離席されていることが多かったけれど、後から聞いたら王城内にいた国王派の一派を抑えていらしたらしいわよ?」
アルベルト……マクレーン騎士団長も協力して反乱ともいえる今回の騒動に参加していたのだと、リゼル様から聞いて私はどこか納得した。
ローズマリーのこともあり、素直に王国騎士団にいることが不思議だった。もしかしたら反旗を翻すような考えをしていたら、なんて不安もあった。
けれど、リゼル様が語られるマクレーン様の話を聞いて、その考えは払拭した。
リゼル様が心から慕う様子は、まるで兄のように尊敬に満ち溢れていた。
それだけ慕われたリゼル様を悲しませるようなことは、ローズマリーが知るアルベルトには出来ないと思ったからだ。
あるいは、レイナルドと共謀していたかもしれないけれど。
私は小さく首を振った。
考えるのはよそう。
今はただ、明るい未来をマクレーン様やレイナルド……ローズ公爵が過ごしてくれることを祈るばかりだ。
「それよりも」
コホン、とニキが咳払いをすると、私に頭を下げる。
「ニキ?」
「未来の王妃様にご挨拶申し上げます……なんてね」
「何言ってるのよ……もう」
恭しい態度をわざとらしく見せるニキは、私とリゼル様との間に何かがあることを知っている。
ニキ以外にも、暗黙の上でみんな知っているのだと思う。
何故なら、何一つ理由もなく、今回の帰郷指示の中に、私の名前が無かったから、だ。
私はエディグマ領に帰ることもなく、引き続きリゼル様の専属侍女として仕えている。
王宮侍女が一斉に帰郷する話が上がった時、リゼル様自ら私に仰ってくれた。
「みんなを帰らせることになって寂しいかもしれないけれど。マリーは僕の傍にいてほしい。帰らず残ってくれる?」
普段はキリッとして政務に励むリゼル様も、私の前では甘えてくださることが、私の中に芽生える独占欲が喜び溢れ、考えるまでもなく頷いていた。
父には手紙を出した。兄にも会う機会を使って話をした。
兄は信じられないという様子をしてから、しばらく真面目に私の様子を見ていた。
特に多くを語ることはせず、話し終えた私の頭をポンと叩き。
「辛くなったら帰ってこい」
とだけ言ってくれた。
リゼル様と想いが通じ合うことが、何を指しているのかを兄は理解した上で私にそう言ってくれた。
リゼル様と結ばれる……それはつまり、王族に直接関わる立場になるということ。
身分が男爵位と低い私にはあり得ない立場だ。それこそ、ローズマリーぐらいに爵位が高ければあり得る話だったかもしれない。
今回、男爵位である私を婚約者として名をあげることになる話は、既にリゼル様から王政に関わる諸侯に話はされているらしい。
その事に、異論を唱える者は未だ声を潜めている。
何故なら間も無く王に即位されるリゼル様に対し、これ以上の問題を展開させることは得策ではないと理解していることと、無駄に爵位や地位が高い女性を婚約者にする方が、より政権が揺らぐことを理解していたから。
むしろ地位の低い男爵位の私を婚約者とされたことは称賛されていた。
とりあえずの妃としては申し分がないと。
そして政権が落ち着き次第、王妃を迎えるべきであろうとも。
「…………」
「マリー。どうしたの?」
暫く黙って考え事をしていた私を、心配そうにニキが声を掛けてくる。
「ごめんね。考え事をしていただけ」
「……そっか。何か困ったことがあったら言ってね。手紙を出してくれれば、すぐに駆けつけてみせるから」
「そんな……ニキは帰ったら結婚式の準備でしょう?」
王宮侍女として過ごす中、彼女は彼女で両親に恋人との関係を認めてもらうために頑張っていたことを知っている。ようやく結婚も認められ、故郷に戻り次第式の準備を始めると、嬉々として話してくれた。
「そうよ。式の準備の兼ね合いで王都に用事を作って向かうことも出来るから。会いたくなったらすぐに言ってね」
「……ありがとう」
優しいニキの言葉に慰められて、私は彼女の手を強く握りしめた。
ニキの部屋で彼女と別れ、自室に戻ろうとしたところで一人の侍女に声を掛けられた。
「リゼル殿下がお呼びです」
私が今日は休みであることを知っていたため、わざわざ私の用事が終わったら声を掛けてほしいと伝言されていたらしい。
侍女にお礼を伝えてからリゼル様の部屋に訪れる。普段着のまま入室することになるので、周囲の視線が少しばかり気になったけれど、私はその視線を無視して扉を叩いた。
「マリー?」
扉の先から声がした。
「はい。入ってもよろしいでしょうか?」
確認をしてから入るつもりだった扉が、勝手に開いた。
リゼル様が顔を覗かせる。
「休みの日にごめんね。少しだけいいかな?」
「はい」
頷けば嬉しそうに肩に手を置き私の入室を促してくださった。
中に入ればアマンダ侍女長が立っていらしたので、私はその場で頭を下げた。
「さっ。座って」
リゼル様に誘導され、私はリゼル様の執務室にある来客用ソファに腰かけた。
すると、何故か正面ではなく隣にリゼル様が座られる。
その様子を見ていたアマンダ様がわざとらしく咳をする。
「王子」
その一言だけで忠言していると分かる。
けれど王子はめげなかった。
「やっと取れた休憩時間なんだ。好きにさせて欲しい」
「…………人が来るまでの間です。それ以上は分かってますね?」
今まで見たことがないぐらいキツいアマンダ様の視線がリゼル様に向けられていた。
「分かってるってば。信用が無いなぁ。僕は父や母のような愚行はしないよ」
「…………?」
何のことだろうか。
リゼル様は少しばかり隣に座る私を見つめ、薄らと微笑んだ。
「もし、マリーから誘惑されたら、やぶさかでもないな」
「…………!」
何を言っているのか分かった。
思わずソファを尻込みして下がるけれど、下がれば下がるほどリゼル様が近づいてきて。
パンッと。
アマンダ様が両手を叩きその場を制してくださったお陰で。
私はこれ以上顔を染めずに済んだ。
「これ以上おふざけになられるようでしたら、マリーを専属侍女から解任致しますからね」
「ごめんなさい。もうしません」
どうやら一国の王太子も、乳母でもあった侍女長には弱いようだった。
気まずそうに頭を掻いていたリゼル様が、改めてという風に私を見つめた。
「実はマリーに伝えたいことがあったんだ。これはもう諸侯らとの会議で決定をしてしまったから、君への報告が後になってしまったのだけれど。どうか受け入れて貰いたい」
「? はい、何でしょうか……」
まさか、婚約破棄なんてことは無いだろうか。
あり得ないとは思っているものの、一度受けたことのある処遇なせいか、そんなことが脳裏に浮かんだ。
けれど考えとは全く違った。
「明日から君に教師がつくことになった」
「教師……?」
「そう。王妃教育のための教師」
「王妃……え……?」
王妃?
側室でも、愛人でもなく。
「王妃!?」
私は淑女にあるまじき大声で言ってしまい。
アマンダ様が注意をするように、大きく咳をされた。
「うん。僕は君以外の妻を娶るつもりはないから」
当たり前のようにリゼル様はそう仰って下さった。
「王妃なんて大役をいきなり君に押し付ける結果になってしまうことは本当にごめん……でも、どうしても僕は君とこれからも長く傍にいたい」
握られる手には微かに汗が滲んでいた。緊張されている。
「想いを告げたばかりでこんなことを言っても混乱をさせてしまうことは分かってるんだ……ただ、時間がない。このまま婚約者の存在もなく王位を継げば、嫌でも婚約者を迎えろと言われる」
「……そうでしょうね」
私にも分かっていたことだった。
王位を継ぐ者に妻一人いない状態は、政権を揺らがせる事になりかねない。
そもそも私が王宮に呼び出された理由こそ、リゼル王子の婚約者選びのためだった。
「僕は君しか妻に迎えたくない。そんな我が儘で君に王妃という立場を与えてしまう。それでも……僕は君じゃないと嫌だ」
「……リゼル様……」
リゼル様はきっと、ローズマリーだった頃の事も思ってくださるのだろう。
一度は王妃として教育を受けていた私が、地位を脅かされ投獄された過去。
そうしてまた今も、王妃という地位が目前に現れることに対し、リゼル様は悩まれたのだろう。
それでも傍にいて欲しいという想いに、私は胸のうちから喜びが溢れた。
「私もリゼル様のお傍にいたいです」
「マリー……!」
「王妃教育の件、喜んで受けさせて頂きます」
「…………ありがとう……」
その場で優しく抱き締められ、私もまたリゼル様を抱きしめ返した。
さっきまで忠告を厳しくされていたアマンダ様も、今だけは大目に見てくださったのか、視線を窓に向けていて下さった。
「それに私、ちょっと嬉しいんですよ」
リゼル様にだけしか聞こえない声で私は囁いた。
「ローズマリーの時にせっかく教え込まれてた王妃教育が、無駄じゃなかったんだって」
「そう思ってくれる?」
「はい。民のためになるのならと、彼女は頑張っていたのですから」
生まれ変わった今、その力を発揮できるのだとすれば。
かつて学んでいたローズマリーも喜んでくれると、私には感じていた。
「だから頑張りましょう、一緒に」
「うん……一緒に頑張ろうね、マリー」
握り合っていた掌に向けて小さなキスを捧げてくれる。
「あと、後回しになっちゃったけれど。言わせて欲しいな」
「何をです?」
照れ臭そうに笑うリゼル様の笑顔が、いつもより赤く染まりながら私の手を取り、その場に膝をついた。
「どうか僕……いや、私と結婚して頂けますか?」
「…………! はい、喜んで!」
嬉しさのあまり、私は頬から涙が伝いながらもその告白を受け入れた。
思わずもう一度抱きしめ、口付けようと近づいてきたリゼル様を目前にしたところでもう一度手を叩く音が聞こえた。それも、二度。
リゼル様と二人で視線をアマンダ様に向ければ。
「休憩時間はそこまでです」
甘いムードを一瞬にして霧散する厳しい声に。
私達は大人しく姿勢を正したのだった……
10月10日に発売する本編に向けて、発売日までに頑張ってリゼル王子編を完結させたいと思います!