16.その涙は誰が為(上)
その日は、朝から雨が降っていた。
天候が悪く外に人の気配は少ない。フードを被り護衛をする騎士の数も少なかった。
誰もが声を発さずに、何事もないように仕事をしていた。
侍女は与えられた場所の整理に、給仕は本日のメニューを確認し、下拵えを始めている。
休憩中の門番は、雨宿りをしながら草タバコを咥えて蒸している。
「酷い天気だねぇ」
隣で休憩していた御者の言葉に、門番も頷いた。
謁見の間には近づかないよう言われていた侍女は、腫れ物のように遠目からチラリと謁見の間の方向を見ては仕事に戻っていた。
時折気がそぞろな侍女を叱り付けるアマンダもまた、誰もいないところで溜め息を吐く。
彼女が長い間面倒を見てきた息子のような王子の事を考えると、日頃鉄の心で仕事をしている彼女の胸も痛んだ。
一部の者にしか伝えられていない粛清日は本日。公にされていない会談は国王の書状で各諸侯に届けられたらしい。裏門から隠れるように入城する者達がいると、一人の侍女から相談があったが、非公式な謁見があると伝え誤魔化した。
国王は、グレイ王は何も知らない。
書状を送った主はグレイ王ではなく、リゼル王子だった。
そして今まさに、謁見の間では王政を大きく揺るがすであろう事変が、雨の音にかき消されながらも行われている。
「離せ! 何をするつもりだ!」
両腕を後ろに拘束され、騎士により剣で押さえられたグレイは恐怖から叫んだ。
宰相に呼び出された筈だった。しかし訪れてみれば、グレイの顔見知った諸侯が皆、拘束された状態でグレイを待ちわびていた。中には傷を負っている者もいた。グレイはすぐさま逃げようと思ったが、近くにいた騎士に捕まれ今に至る。
グレイの少し離れた場所では、王妃が騎士に掴まれたまま立たされていた。顔は青白い。どうやら彼女も、何も知らずにここへ訪れていたようだ。
「リゼル……これはどういうことなのかしら?」
彼女は、恐怖を抑えた抑揚のない声色で正面に立つリゼルに聞いた。
「先ほども申し上げました通り、先日行われた貴族総会議により、王権交代並びにグレイ王、ティア王妃の裁判が行われることが決定したのです」
リゼルは、感情もなく答えた。
彼の傍には冷笑をしたレイナルドが立っている。
「王の断りもなく行うとは……!」
「父上。ご存知ないのですか? 王がおらずとも、王位継承権を持つ者と宰相、並びに上位貴族過半数が参加する会議は王不在時でも決行出来るのですよ?」
それは、国の法典にも書かれた内容であったが、悲しいことにグレイは初耳だとでも言わんばかりの表情をしていた。
「そ……だとしても、我々をどうするつもりなのだ」
「決まっているでしょう? 裁判ですよ」
隣に立つレイナルドが発した。
「グレイ王。そしてティア王妃。貴方達には、かねてからかけられていた容疑の洗い出しを全て行わせて頂きます。そして、長年国民が苦しみ続けてきた悪政に終止符を打つために、犠牲になって頂かなければならないのです」
「このっ……だからお前を、公爵になどしたくなかったのだ!」
レイナルドを公爵位に推薦したのは上位貴族達だった。グレイはローズマリーの件もあり、レイナルドに憎まれていることを知っているため最後まで反対したが、彼の幾多ある功績と実力は国になくてはならないと説得され、渋々爵位を与えていた。
グレイはずっと、こうして復讐を果たされる日が来るのを恐れていた。
「もし、貴方が王として相応しい立場でいらしたのなら、今ここにいらしている筈はないのですよ。父上」
「リゼル……お前は父を裏切るのか」
憎しみ強い瞳の色が、同じサファイアの瞳を睨みつけた。
「父であるからこそ、貴方を正しい道に戻したかった」
リゼルは反論することもせず、ただ寂しそうに父親を見つめていた。
その後も、拘束された国王派の貴族、国王と王妃に罪状を述べ、裁判にかける書状と共に地下牢に入れられることになった。
連行される最中、ティアが顔を上げてレイナルドを見た。
「先を越されちゃったみたいね」
諦めたようにティアは笑った。
「貴方の行動は制限しておりましたから。ご存知ないでしょうが、貴方の影も、私の手足になっていたんですよ」
大きな瞳がより大きくなり、レイナルドを睨んだ。
「本当に……っ面白くない子……」
「……最後に息子に話すことは?」
レイナルドは、ティアではなくリゼルを想い、聞いてみたが。
「別に。あの子が私達を裁くんでしょう? 話したくもないわ」
子供のようにふてくされた様子を見せ、リゼルに目を合わせずに連れていかれた。
暫くして謁見の間には、リゼルと反国王派の諸侯、そしてレイナルドだけになった。
皆がひと段落したところで小さな歓声が上がった。無事、粛清が完遂できたことで緊張が綻んだのだ。
「呆気なかったですな」
「ええ。長年苦しませられていたのが嘘のようです」
ある者は安堵し、ある者は目尻に涙を浮かべて喜んだ。
しかし、リゼルの表情は浮かばれず、そしてレイナルドもまた何の感情も抱かないままに話を続けた。
「皆様の協力があったお陰で、粛清は果たされました。これからは忙しくなります。リゼル王子の戴冠、王政による裁判、そして判決が果たされるまで、どうか力を貸してください」
レイナルドの言葉に、周囲は歓声をさらに強めた。
その姿を、リゼルは隣に立ちながら黙って見つめていた。
「ローズ公爵」
視線を合わせず、周囲にも聞こえない程度の声でリゼルはレイナルドの名を呼んだ。
「話がある」
それだけ伝えれば。
レイナルドは翡翠の瞳を僅かにリゼルに向けた後、周囲の歓声にかき消されながらも。
「かしこまりました」
とだけ答えた。
一通りの流れが終わり、レイナルドはリゼルの執務室に訪れた。
先ほどまでの歓声が嘘のように静寂しており、雨の音だけが部屋の中に響く。
仄かな明かりしかなく、リゼルの他に人はいない。
リゼルは、何か思い悩んだ様子で訪れたレイナルドを見つめていた。
「話とは何でしょう?」
レイナルドは穏やかな声色で王子に問いかけた。
「二つほど聞きたいことがあった」
「聞きたいこと?」
「ああ。一つは、父と母の処遇について。人伝に聞いた。貴方は……」
しばし躊躇したものの、意を決してリゼルは聞く。
「父と母の処罰を絞首刑とし、公衆の面前で処刑するのだと」
あまりにも厳しい罰だった。
国の職務を放棄したような王政だったとはいえ、その処遇はあまりにも厳しかった。
「彼らの罪の量を鑑みるに、たとえ死をもって償うにしても公衆で行うのはやり過ぎだ。民に恐怖を与えかねない」
「やり過ぎと仰いますか。ええ、やり過ぎです」
レイナルドの声色は穏やかだった。何一つ感情を出さず、むしろ微かに微笑んでさえいた。
「そのやり過ぎた処罰を、貴方のご両親は私の愛する姉に仕向けたのですよ?」
「…………」
「彼らが行ったことを、私は彼らに返したいだけなのです」
レイナルドが両親を絞首刑に臨む話を聞いた時から、それは彼なりの復讐の一つなのだと理解していた。
けれどリゼルは、出来ることならばその結末を迎えたくなかった。それが、両親への僅かに残る情愛なのかと問われれば是とも言えないが、否とも言えない。何より、公衆の面前で処刑を行うことは、民の感情を大きく揺さぶることになる。
かつて、ローズマリー・ユベールも公開処刑が行われた。その際、彼女は歴史に残る悪女と言われ、今もなお理不尽な悪評が蔓延っている。
レイナルドは公言しないが、彼は姉の復讐をするためにリゼルの王と王妃を処刑し、歴代に残る愚王として歴史に残したいのだろう。
それが姉の末路を踏襲させるように。
そう。レイナルドは過去を踏襲させていた。
王子は身分違いの侍女に恋をする。
公衆の前で絞首刑に処される。
数多く居た諸侯の一部は国外追放、爵位を剥奪される。
全て、レイナルドが首謀としていた行為の行く末であった。
「…………もう一つの聞きたいことは?」
レイナルドに聞かれ、リゼルは掌に力が入る。
どちらの問いも、リゼルには確信があった。けれど、受け入れたくなかった。
少なくともリゼルにとってレイナルドは信頼できる者の一人だったのだから。
「先日、私の想い人であるマリー・エディグマが何者かに襲われました。襲撃した男の特徴を聞いて、母の影である者の一人だと言われた」
マリーが突如複数の男に襲われたことを思い出し、リゼルは怒りが込み上がる。
「けれど貴方は先ほど、母の影は貴方の手足になっていたと」
「…………」
雨がより勢いを増して落ちてくる。
「マリーを襲ったのは、ローズ公爵……貴方の仕業だったのでしょう?」
ブクマ、感想ありがとうございます!
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挿絵でキャラを頂いてから、脳内ではそちらの絵をイメージして広げております。